
こんにちは、Miyabiだ。
「差別じゃないよ」
「○○ハラじゃないよ」
「だってホメてるんだよ!?」
と、しばしば聞くことないだろうか?
あ、誰かが「これは差別だ」「○○ハラだ」「だからやめて」って言ったときに返ってくるやつだね。
「でも、でも、本当にホメてるつもりなんだろうけど、こっちとしては嫌な気持ちになってるんだよ……?」
と、相手と自分とで、全く感じ方が違う場合も多くある。
100善意の言葉は差別ではないのだろうか?
そもそも「差別」ってどういう意味なんだろう?
今回は、
- 実は「差別」ってよく使うけど、なんとなくしか意味が分かってないのでは?
- 「差別」って具体的にはどういう意味なのか?
- 何を基準にすれば良いのか?
についてお話していこう。
目次
何が「差別」なのだろう?

僕たちは日常的に日本語を使っている。
なんとなーく意味は把握してはいるけど、「具体的に何?」って聞かれると答えに詰まる言葉もたくさんあると思う。
「これ良いね!」っていう言葉もめちゃくちゃ使うけど、「「良い」って具体的にどういう意味?」って聞かれたら、一言で説明できなかったりするよね、そういう感じ?
「差別」ってワードも
「これって差別に当たるのでは?」
「差別的だ」
と、ちょっと硬めの文章でよく見る。
でも「何を基準に「差別」って言っているのだろう?」と考えると、
「人種の話だから」「そこに女性がいないから」「生まれの家や出身地の話だから」
と、「一度その話をしたら怒られたから、言っちゃダメ」とタブー扱いで、何故それが「差別」なのかを考えないようにしている感じがするのだ。
たしかに、ちゃんと話し合わないとダメなところをのらりくらりしても、何も解決しないもんね?
では一体、「差別」って具体的に何を意味しているのだろう?
「差別」の意味
具体的に「差別」ってどういう意味なのか?

人種やジェンダー、LGBTQ+などの扱いの歴史から差別についての研究って実はかなりあるらしい。
「何が差別なのか」の他に、「何故それが差別ということになるのか?」「この差別は、ジェンダーの問題と人種の問題、美醜の問題などの色んな問題が絡み合って表に出てきている」などなど、色んな角度から研究がされているな、と感じた。
じゃあ「「差別」って具体的にどういうこと?」って問題も、答えが出てるのかな?
今回、雑誌「現代思想 ルッキズムを考える」の中にあった対談記事の中に、その答えとなるキーワードが載っていた。
それは
「思い出させる」
ことだった。
どういうこと?
マイクロアグレッションとは?

この記事内では「マイクロアグレッション」という言葉が使用されていた。
マイクロアグレッションとは、「マイノリティを周縁化するような「世界観の反映」あるいは、自分たちが集団として周縁化されている状況を「思い出させる」」ということらしい。
(「周縁化」とは、物事の中心から追い出されて、軽視されている状態のことを意味する。)
例えると、女性に対してだけ「料理上手いんだね!良いことだね」と言って男性には言わない、という現場にたまに遭遇する。

これは一見その女性をホメているように見える。
だが、これには「女は家事をするもの」という固定概念が前提となっていて、ホメられた女性が
「あ、これ、私が料理がんばってるとかじゃなくて「女だから」ホメられてるんだ」
と、「料理がんばってる」話のはずなのに、「女」というグループを、「女は中心ではない」という社会観を「思い出させて」しまっている。
料理をがんばってるから料理が上手いんであって、「女だから当然」みたいな前提があると、「がんばってること」を馬鹿にされている感じ・どうでも良い扱いされてる感じがあるもんね……
これが「差別」によって起こる「あ、嫌だな」「不快だ」「馬鹿にされた」という感情を起こさせているのだと思う。
関係ない特徴を思い出されることの不快と、それに注目すること

「大学入試では学力・能力を試されるはずなのに、なぜか家柄をぐちぐち言われた」
「黒人は足が速い!って言われた」
「日本文化は「原始的」と言われた」
ということは、全部、当事者の不快感を煽る。
最後の日本文化は「原始的」と言われた件については分かりにくいと思うが、これはそもそも欧米圏において「アジアは遅れているはず」「アジアは欧米よりも劣っている」「エキゾチックなはず」という差別意識があることから発せられる。
これは欧米映画でのアジア系俳優の扱いから見ても、一目瞭然だ。
刷り込みレベルでこの差別思想が根付いていて、それゆえに「ちゃんと調べたことないけど、日本文化もこんなモンでしょ」という知識レベルで「原始的」という言葉が自然に出てくるのだと思う。
これはちょっと……むかっとくるね…

これは何を思い出させるかというと、差別の歴史だ。
反対に、「黒人は足が速い」「外国人は肌が白い」という日本人の言い方も、「日本文化は「原始的」」と同じで、異人種動物園的な見方をしている、となる。
じゃあ僕らは差別をなくすために、どうすれば良いのだろう?
それは
- 「イメージ」ではなく、ちゃんとリサーチする。
- それでも「それ嫌だ」と言われたら、「ごめん」と言って、再度リサーチする。
これに尽きると思う。
こうしたら「足が速い」「原始的」「肌が白い」というザックリイメージも、「○○さんは足が速い」「○世紀~○世紀にこういう発展があった」「外国人とか人種じゃなくても、肌の色はたくさんある」と、詳細イメージになっていく。
詳細イメージになればなるほど、相手に対するホメ方も叱り方も「相手に則したもの」になったり、相手と実のある話ができたりするね。
まとめ

今回は「差別」て具体的にどういう意味かについてお話してきた。
「相手が嫌な思いをしたらイジメです」
という言葉はよく見るが、
「え~~こっちは100%善意なんだけど~~」
と加害者が言うと帳消しになる感じが否めなかった。
だがそれによって「いじめられている人」と軽視されている事実を思い出させているのであれば、「いじめ」であり、「やめて」と言って良いと思う。
これは差別ないし、「「差別」って言葉は言い過ぎかもだけど、でも「差別」されてる感じが……」の意の「差別的」という言葉でも同じだ。
相手が100%善意でも100%悪意でも、そもそも何も考えていなくても、
「それって○○(女性、トランスジェンダー、外国人etc.)の本質じゃなくて、ただの偏見・間違ったイメージじゃん!」
「そんでもって、この話題と全く関係ねぇええ」
って時、これが「差別」なのだと思った。
そういえば昔、「奇兵隊」という組織が幕末長州で組まれた話がある。
「農民・武士などの身分関係なく、志がある人が入れる」ことで新時代の価値観だと、現代でもてはやされることが多い。
で、僕は奇兵隊や関係者の日記や手紙などを読み漁ったのだが、
- 「士分・卒族(足軽・中間など)・農民などその他」の身分が見た目で一発で分かるように、「隊長・小隊長・一般兵」みたいな役割ではなく、身分ごとに袴の形の規定がされていた
- 本藩(萩藩)出身者と支藩出身者とでは、元々差別意識があった(本藩>支藩)が、それが奇兵隊内にも自然と持ち込まれている感じがあった
のように、時代背景から刷り込まれている差別意識が完全になかったわけではない。
「身分関係なく、志さえあれば」といえど、身分を思い出させられることから、これも「差別」と言える。
思い出したので紹介してみた。