
こんにちは、Miyabiだ。
人間にはさまざまなセクシュアリティがある。
自分をどの性として認識しているかの性自認、どの性に対して恋愛感情・性欲を抱くか抱かないかの性的指向、そもそもの生まれた身体の性別、どんなファッションや言葉遣いをするかの性表現。
これらの組み合わせが一応の基本となっている(例外あり)。
性的指向に関して言うと、異性愛(ヘテロセクシュアル)、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルなどが有名だろう。
どの性が恋愛対象・性愛対象か、だね。
では
「そもそも「恋愛感情」って何?」
「性的魅力と他の魅力の違いがよく分からないんだけど……」
という人はどんなセクシュアリティなのだろう?
今回は
- クワセクシュアル・クワロマンティックとは?
- そもそも恋愛感情って何?
- クワの人は「恋人」はいるの?
についてお話していこう。
目次
クワセクシュアル・クワロマンティックって何?
「クワ」とは

クワセクシュアル・クワロマンティックともに「クワ」が頭にくっついている。
クワ……?
どういう意味?
クワとはフランス語「quoi(クワと読む)」から来ている。
Quoiはフランス語で「何」という意味だ。
他のセクシュアリティ用語が「トランスジェンダー」「セクシュアル」のようにだいたい英語なことから、「クォイセクシュアル」「クォイロマンティック」と読む場合もあるが、同じ単語を指している。
他にも「WTFロマンティック」とも言われる。
クワセクシュアルとは

このフランス語を踏まえて、それぞれ見ていこう。
クワセクシュアルとは、日本語に直訳すると「何?性的指向」。
つまり、
「自分が相手に対して抱いているこの「魅力的だな」って感情は、性的魅力なの?他の魅力なの?」
ということを判断できない、あるいはどっちかに断定しないセクシュアリティだ。
クワロマンティックとは

ではクワロマンティックを日本語に直訳してみよう。
これは「何?恋愛指向」となる。
なので
「自分が相手に対して抱いている「魅力的だな」は恋愛感情なの?他の魅力なの?」
を判断できない、あるいは判断しないセクシュアリティのことを指す。
セクシュアリティ用語では「性的指向」と「恋愛指向」を分ける傾向にあるよね。
そう、これらの詳細はこちらの記事を参考にしてみてほしい↓
そもそも恋愛感情って何?

そもそも恋愛感情とは何だろう?
クワセクシュアル・クワロマンティックでなくても「こっちの尊いは性的魅力・恋愛的魅力、こっちの尊いは推し感情」って分ける人いるよね。
自分にとって恋愛を重要度No.1でないと
「まだあなたは本当の恋をしていないんだよ」
と言われたりするが、「いやいや、本当の恋とか何の基準?」と疑問に思うだろう。
恋愛ドラマや恋愛漫画では、ある瞬間で「どきっ……!」と明確に「恋に落ちた」ことが表現される。
これらはたいてい電気のスイッチのオン・オフのように、「恋愛中」「冷めた」が区別される。
他にも「どきどきする人」「信頼し合える人」などの言葉が恋愛感情の説明に使われる。
「恋」っていうと、たしかにこのテンプレが思い浮かぶよね

が、じわじわ一緒にいる内に恋人関係になってましたタイプもいれば、「一番信頼し合える人」が友人な人もいる。
とするとさらに「恋愛って何だ?」と訳が分からなくなる。
「これは美しい・美しくない」は判断できるけど、「美とは何か?」って聞かれると説明できなくなるみたいな感じだね。
僕はクワロマンティック・クワセクシュアルでないが、クワとは何かを分かろうとするときは、この「恋愛って何だ?」のモニョモニョする感じを思い出すようにしている。
クワセクシュアル・クワロマンティックは「恋人」はいないのか?

クワセクシュアル・クワロマンティックは「性的・恋愛的魅力と他の魅力を区別しない・できない」セクシュアリティと説明した。
では「恋人」はいるのだろうか?
区別できないのと恋をしないのとは別……?
いや恋じたいそもそも……?
アセクシュアル・アロマンティックとの区別

まず1つ区別しておきたいことがある。
アセクシュアル・アロマンティックは「どの性に対しても性的・恋愛的感情を抱かない」セクシュアリティだ。
これはクワセクシュアル・クワロマンティックとごっちゃになりやすい。
が、アセクシュアル・アロマンティックは「抱かない」と世間の性的感情・恋愛感情を基準に「無」を明言している。
これに対しクワは「他の魅力と区別できない・しない」と言っている。
つまり、クワは特定の相手に対して「何かしら特別な感情」はあるということだ。
だがその「何かしら特別な感情」=恋愛感情・性的感情というわけではない。

例えるなら「クラシック音楽好き」と「ロック好き」は全然違うジャンルな感じがする。
そこにビートルズを投入してみる。
ビートルズはロックをベースにしつつも、クラシック音楽的魅力も含まれる。
なのでビートルズを聴くときは「クラシック音楽好き」と「ロック好き」の間の壁がグラデーションになり始める。
何か特別な「ビートルズ的音楽」がそこにあるのだ。
明確に白黒区別するわけでもないし、どっちも違う!と明言するわけでもなくて、そこ「特別な何か」があるって感じかな
アセクシュアル・アロマンティックと違って、世間にある性的感情・恋愛感情の定義そのものの壁をグラデーション・あるいは無くして、くっきり「こっち!」としないのがクワセクシュアル・クワロマンティックだ。
「恋人」「友人」とも違う「特別」

「自分にとって特別な人」と言うと「恋人?」「付き合ってるの?」と恋愛に直結するところがあると思う。
たしかに2人で親密そうだと「もう付き合ってるだろ」的な扱いになったりするよね。よく見る。
前回の記事で「現代思想 <恋愛>の現在」の感想を書いた↓
この中にクワロマンティックの記事もあった。
ここでは恋愛感情と他の感情を分けないから、自分にとって特別な人のことも「恋人」「親友」のように名前を付けるのは違うとあった。
なぜなら「恋愛感情と他の感情の区別をつけない・できない」の他に「「恋愛感情」という概念そのものが自分にとって意味をなさない」セクシュアリティという定義があるからだ。
記述上あえて「重要な他者」とあったが、そのネーミングすらも無くて良い。
世間的な「恋人」として扱う人もいるかもしれないが、それが必ずしも世間的な「恋人」「友人」のスイッチに該当しているわけではないし、何なら「恋人か友人か白黒はっきりさせなよ」的な概念ではないところに「重要性」の置き所があるのではないか、と僕は思った。
(現代思想 <恋愛>の現在より、「クワロマンティック宣言ーー「恋愛的魅力」は意味をなさない!」(中村香住)を読んで)
まとめ

今回はクワセクシュアル・クワロマンティックについて見てきた。
クワセクシュアル・クワロマンティックはそれぞれ「性的魅力」「恋愛的魅力」と別の部分に観点があるが、それらの「境界線」という概念そのものを無くしているセクシュアリティだ。
「Aさんが仕事ができて自分の憧れ」
は恋愛的な文脈で判断されがちだ。
が、実際には「自分にとってのヒーローで、自分もAさんの隣で仕事ができるようになりたい!」という恋愛抜きの憧れもある。
これを考えると、僕らがいかに「恋愛」を分かった感じで実際にはちゃんと定義できていないことが分かる。
クワセクシュアル・クワロマンティックは現代思想を読むまでは「何となく聞いたことあるな」程度でよく知らなかった。
が、「恋愛はこうしなきゃダメ」という公式が(ドラマや漫画ではあっても)現実にはない以上、「これはこうなはずだ」という願望よりも、「自分はこうだけど、きみは?」と価値観を確かめ合って、お互いのルールを構築するのが大事なのではないか、と感じた。