
こんにちは、Miyabiだ。
このサイトはLGBTQ+をテーマにしていて、僕自身もトランスジェンダーである。
この間図書館に立ち寄ってみると、現代思想の2021年9月発刊のものが恋愛の現在を特集していたのを見つけた。
恋愛って研究されているんだね。
従来の恋愛論やメディアに出てくる恋愛特集は「気になる異性を~」とシスジェンダー(生まれた身体の性別と性自認が一致している状態)のヘテロセクシュアル(異性愛)が前提で僕はあまり乗れなかった。
が、恋愛の「現在」を特集しているのであれば、シスジェンダーヘテロセクシュアルと並んでLGBTQ+論も見れるのではないか?
今回はこのような期待を持って読んだ「現代思想2021 vol.49-10 <恋愛>の現在」を、簡単にどんな感じだったかを紹介してみようと思う。
目次
現代思想<恋愛>の現在の感想
どんな雑誌なの?

現代思想は毎号なにかしらテーマを決めて、哲学者や社会学者などなどの学者・研究者が、2人でテーマについて話している討論や、論文的な報告や発表を元にした文章、グッと読みやすいエッセイなどが載っている雑誌だ。
文章雑誌なんだね。
いままで「専門的なことが書かれていて、テーマについてある程度知識ないと読むの難しそう」と、手にとる機会が正直少なかった雑誌でもあった。
だが今回のテーマは「恋愛」。
「恋愛」といってもチャラい内容ではなく考察してる風で、「歴史」「アート」と並んで得意分野なにおいがした。
恋愛特集ではどんな内容が載っているの?

目次をザッと見ると、最初に「これからの恋愛の社会学のために」高橋幸・永田夏来の討議から始まる。
討議、つまり実際に2人が意見を出して話し合っているのを文字に起こしたものなので、意外に読みやすい。
「これからの恋愛の社会学のために」と題しているだけあって、恋愛研究がどういう立ち位置にあって、これまでどんな研究の変遷があったのか、お見合い結婚から恋愛結婚に変わるとき、そこからセクシュアル・マイノリティを含めた現代について、そもそも「恋愛」をどう定義するのか?……
など、これから細かく見ていく上で、どこが重要ポイントかを「織田信長・本能寺の変!」「関ヶ原合戦!」「江戸幕府!」くらい分かりやすく抑えることができるようになっていた。

そこからLGBTQ+に関する恋愛の実態についてフィールド調査をしている研究者、研究者自身が何かしらのセクシュアル・マイノリティに該当していて、それについて研究している者の文章が続く。
またヘテロセクシュアルシスジェンダーでも、家父長制の話、結婚は恋愛がなきゃダメという現状、非モテ男性、メンヘラについてなど、「恋愛といえば」的な話もある。
恋愛感情を恋愛以外で例えることで恋愛について探る試みの話、恋愛相談や恋愛運の記事を書いている占い師の見る恋愛の現在、流行りのドラマや漫画、ラブソングから見る恋愛の変遷など、「あー、あったなー!あれはそういう社会事情を反映していたのか」と面白い記事もあった。
このように、「LGBTQ+でもゲイしか取り上げてもらえない」的な偏りがなく、かと言ってセクシュアル・マイノリティばかりでもなくて、ヘテロセクシュアル・シスジェンダーを含めた全員が今いる「常識」のようなものの問題についても載っていた。
僕としてはトランスジェンダーの恋愛についても載っていて「分かる……」と共感するとともに「よくここまで網羅したなー」と驚きが大きかった。
「恋愛ってラブってことじゃん!」「LGBTQ+もいるよ!」「男女平等が一番!」って思い付きやすいところから、もう1段階掘り下げて考えている印象で、すごく発見があったよ。
読んで発見したこと

今回僕がこれを読んでどんなことを発見したのかというと、
- 「恋愛」の定義が時代によって変わっていること
- ゲイ・レズビアン・バイセクシュアルなどの性的指向のマイノリティは、異性愛主義的な社会からもではあるが、同じ同性愛コミュニティで居心地の悪さを感じていること
- 恋愛を「する」ことと「見て楽しむ」ことは違うこと
このあたりについて見ていきたい。
「恋愛」の定義が時代によって変わっている

「恋愛」というと、ざっくりと「LOVEってことじゃん」と僕らは思う。
けどよく考えると、「推しもすごくLOVEだけど、別に恋愛感情はないな?」とか矛盾ポイントがあったりする。
では昔はどういう風に定義していたのだろう?
女性が社会進出する以前は
「女性というわけの分からない神秘的なモノが突然現れる、非日常的なもの」
と男性間で定義されていたようだ。
わぁ、女の人にも人格あるって思ってない、ゲームのヒロインキャラ扱いだ
それに異性愛でしか説明できない内容だね。

時代が下って、70年代日本では「結婚に至らない恋愛が「不潔」「真剣ではない」と否定的に」思われていたようだ。(雑誌内の「ロマンティックラブ・イデオロギーというゾンビ」谷本奈穂より)
80年代ではトレンディドラマの影響もあって、もっと恋愛は「軽く」なる。
90年代では「友達以上・恋人未満」があった。
それ以降の恋愛は他者との程よい距離感、心地よい関係を第一に求めるようになる。
と、このように恋愛もとい「真剣な恋愛」とはどのようなものか、は、時代によって少しずつ変化しているのだ。
確かに2世代以上前の恋愛観を見ると、「へー!そうだったんだ!」ってビックリするね。
「そりゃあメディアとかの親世代の人たちの言う「恋愛とはこうあるべき」は意味不明になるよなぁ」と妙に納得した。
性的指向のマイノリティが、異性愛環境よりも同性愛コミュニティの方が居心地悪いことがある

これは驚いたとともに、記事を読むとこれまた妙に納得したものだ。
まず同性の恋人がいると、
- 外でデートするときに、手をつなぎづらいなぁ……
- 法的な結婚ができなくてツラいな
- 「彼女/彼氏いるの?」って異性愛前提できかれるのツラいな
などの苦労があるだろうと、僕らは想像する。
確かにこれもある。
だが実は同性愛コミュニティの方がツラいこともあるようなのだ。
ゲイだったらゲイ、レズビアンだったらレズビアンのコミュニティにいた方が、理解者がいて良さそうな気がするけど、どうして?
これは「恋愛」というものが前提にあるからだと思う。

例えばゲイコミュニティだと、
- 少しでも女らしい印象があると「ホゲてる」と言ってNG
- 最初のデートで性交することを求められる
- 男性性を強く求められる
などがあるらしい。
お互いにこれが自分にとって自然であれば全く問題ない。
だが、もちろん男性の中には(性的指向がどれであっても)「女性らしい」と一般的に言われるような印象のある人もいるし、デートを重ねてからセックスをする、あるいはセックスはしない人もいれば、いわゆる「男らしい」は自分にとって不自然だと感じる人もいる。
レズビアンコミュニティでも、
- 出会いの場がバーやクラブなどが多くて、その雰囲気に馴染めない
- 外見的に男っぽいと「ボイ」、女っぽいと「フェム」と区別され、そこに異性愛主義ジェンダー格差的な「ボイがフェムにおごる」「フェムが家事をする」みたいな感覚が持ち込まれて窮屈
といったことがあるようだ。
僕も自分がLGBTQ+だと知ったとき、2丁目の「派手な夜の街」的なお店くらいしか同じ境遇の人と会えないらしいことを見て、尻込みをした経験がある。
また性表現(ファッションや仕草など)は性自認によらず自由なので、レズビアンの中にもいわゆる「男っぽい」人「女っぽい」人がいるであろうことは分かる。
だがレズビアンとは「性自認が女性の人が女性を好きになる」アイデンティティなので、いわゆるボイもフェムも女性なのだ。

ここに、「デートはこうする!」「告白はこうする!」みたいな恋愛コードが異性愛のものしか存在していなく、同性愛の場合は異性愛から引用せざるを得ない感じを見てとれる。
他にも同じ同性の恋人のいる人でも、ゲイ・レズビアンとバイセクシュアルでは、バイセクシュアルは「浮気者」「同性を愛するものとして未発達」という偏見で見られてしまう危険がある。
「LGBTQ+」が「多様性を認める」という大義名分で認知されているので、LGBTQ+内部でも、確かに前例が無かったり不安だったりするのは分かるが、「多様性を認める」方針で進んでいきたい。
(雑誌内の「恋愛からの疎外、恋愛への疎外」島袋海理を参考に考えてみた)
恋愛を「する」ことと「見て楽しむ」ことは違う

これはアセクシュアル・アロマンティックについての記事内で語られていたことだ。
アセクシュアル・アロマンティックはこちらの記事でも書いたように、それぞれ「性的欲求を持たない」「恋愛感情を持たない」性的指向である↓
とはいえ彼らが全く恋愛漫画や恋愛ドラマを分からないかというと、「それとこれとは違う」という話だ。
何故なら自分が「する」わけでなく、「見て楽しむ」ものだから。
海賊漫画を読んで楽しむとき、実際に自分が海賊王になりたいかというとそうではなく、「海賊王になりたい!」と言って海賊として大海原に乗り出しているという「前提を把握した上で」、その冒険で起こる事件をドキドキワクワクしながら「見守る」のが楽しいと思う。
同じように、恋愛モノも「AとBが最初は喧嘩してたけど、最終的にくっつく、かも!」というジャンルそのものの前提を把握しているから、毎度起こるドキドキする展開を楽しめるのだ。

よく「性的欲求がない」「恋愛感情がない」というと
「何か人間性が欠落しているのでは?」
「過去にそういうトラウマがある?」
「恋愛するのが怖いんじゃないか?」
といった理由付けの憶測が飛び交う。
恋愛ドラマや恋愛漫画を「面白い」と言えば、余計この憶測は加速してしまう。
だがそうではない。
自分と他者との交流と、コンテンツの楽しみ方は全然違うジャンルだ。
そして「異性愛と同性愛」の二元論でこぼれ落ちてしまいがちだが、アセクシュアル・アロマンティックはそこに並列するものなのだ。
(雑誌内の「アセクシュアル/アロマンティックな多重見当識」松浦優を読んで考えたこと)
まとめ

今回は現代思想の「<恋愛>の現在」を読んで、特に興味深かったところをピックアップしてみた。
他にも「恋愛や性愛に身体性を求めるのであれば、トランスジェンダーはそこに参加しづらいのではないか」とか、「クワロマンティックにとっての「恋愛」とは」とか、「日本語は英語と違って一人称・二人称でジェンダーを特定しやすいが、このときラブソングではどうなっているか?」とか、「ポリアモリーとは」とか、語りたい内容がたくさんあった。
多分また1つずつまとめると思う。
「LGBTQ+の恋愛」というとトランスジェンダーの恋愛については空洞化したり、ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル以外は無いものとされたりしがち。
「恋愛論」というと、シスジェンダーでヘテロセクシュアルが前提となりがち。
こういったものが多くて、あまり恋愛について詳しく本を見てこなかった。
が、この現代思想の恋愛特集は、このあたりをガッとすくい上げてくれた感じがあった。
そこが嬉しくて、今回この記事を書いてみた。
良ければ見てみてほしい↓