
こんにちは、Miyabiだ。
「これは「LGBT」なのに、あれは「LGBTQ+」って表記だなぁ」
「「LGBT」と「LGBTQ+」って何が違うのだろう?」
そう思ったことはないだろうか?
確かに。
どっちが正式名称なのかな?
今回は
- LGBTやLGBTQ+の表記について
- そもそもこういう表記にデメリットってないの?
について、お話していこう。
目次
「LGBT」と書く?「LGBTQ+」と書く?
LGBT

まずどちらにも含まれる「LGBT」についておさらいしていこう。
これは「レズビアン(L)」「ゲイ(G)」「バイセクシュアル(B)」「トランスジェンダー(T)」の頭文字を取って並べた言葉だ。
何故この4つなのかと言うと、20世紀にまずこの4つのアイデンティティが世間に認知されたからだ。
最初は男性同性愛者=ゲイの人から人権運動が起こったんだよね。
日本語でもそれまでは「性的倒錯」などと侮蔑的に呼んでいたのを、差別要素を無くしたニュートラルな言葉として「性的マイノリティ」や「LGBT」と呼ぶようになった。
ではLGBTQ+は?

LGBTに「Q」「+」がくっついたのが「LGBTQ+」だ。
Qというのは「クエスチョニング」や「クィア」の頭文字。
+は「その他のセクシュアル・マイノリティも含む」という意味を持っている。
制限がなくなった、って思っていいってこと?
「LGBT」は先ほど説明したように、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの4つしか含まれない。
「LGB」が該当する性的指向(どの性に対して性的感情を抱くか・抱かないか)の中には、パンセクシュアルやアセクシュアルなど、他にも色んなものがある。
または恋愛指向という、性的感情関係なく、恋愛感情でのみ語られるアイデンティティも存在する。
「T」が該当する性自認(生物学的性別に関係なく、自分をどの性として認識しているか)でも、ジェンダー・フルイドやアジェンダー(無性)などなど、別の名称の方がしっくり来る、あるいは説明しやすい、あるいはそもそも別の種類のものといったことがある。
といったように、「LGBT」だけでは収まらない性的アイデンティティが存在するのだ。
もとの「LGBT」の4つが有名ってだけで、実際は性的指向にしても性自認にしても、他にも色々なタイプがあるってことだね。
なので「それらを受け入れる」形で、元ある単語「LGBT」に頭文字や記号が連なっていく用語ができたのだ。
+の良いところは、「もしかしてこれも性的マイノリティかも?名前をつけよう」と新たな単語がこれから出来たとき、「LGBT」の人権運動の文脈にそれらのアイデンティティを加えることができる点だ。
たしかに、新しいマイノリティ単語って、性的マイノリティの中でもマイノリティになっちゃうから、「LGBTと同じ文脈だよ!」って示すのは存在を肯定する上で、1人で抱えるよりも助けられることだよね。
「LGBTQ+」以外にも「LGBTQIA」とか「LGBTs」とか色んなのがある。
これらは連なる文字によって少しずつ意味合いも変わってくるが、だいたい上に書いたような成り立ちでできたものだ。
今の時代性・あなたの思いをかけ合わせたマインド的なのを言葉は受け持つ。
「LGBT」から「LGBTQ+」がスタンダードになったのも、ここ数十年でのマインドの変化なのだ。
「LGBT」「LGBTQ+」って書くことのデメリットは?

侮蔑的な意味を持たないニュートラルな言葉として存在する「LGBT」「LGBTQ+」ではあるが、実は弊害もある。
それは、性的マイノリティをまとめていることにある。
どういうこと?
「LGB」と「T」は全然違うベクトルの話

先ほど「LGB」は性的指向、「T」は性自認、と分けて説明した。
「どの性の人を好きになるか・ならないか」と「自分はどの性なのか」は全く別のことだ。
シスジェンダー(生まれた身体の性別と性自認が一致)の人、ヘテロセクシュアル(異性愛者)の人は「LGBTQ+ではない」と思われがちだ。
が、シスジェンダーの人で「LGB+」に当てはまる人はいるし、ヘテロセクシュアルの人で「T+」に当てはまる人はいる。
あるいは「T+」で「LGB+」に当てはまる人もいる。
問い1・あなたの性的指向は?
問い2・あなたの性自認は?
って別の質問だからこそ、どっちかがマジョリティでどっちかがマイノリティとかもあるんだ。
別物なのだが、「LGBT」とまとめられると、どうも偏った政策・方法が見られがちとなってしまう。
同性パートナーシップ制度があればLGBTQ+政策はOK??

例えば同性パートナーシップ制度。
「LGBTのため」と言われがちだが、その実「同性のパートナーのいる人」のためでしかない。(「でしかない」と書いたが、もちろんこれも大切な1歩だと思う)
「LGB+」でも同性のパートナーのいない人は含まれないし、「T+」に関して言うともう全く関係ないのだ。
同性パートナーシップを導入することでLGBTQ+に対する差別の軽減につながると信じたいが、同時に「LGBTを助ける制度は十分だろう!」で終わられてしまう心配が含まれてしまう。
誰でもトイレでLGBTQ+政策はOK??

また似たような例として「どの性別の人も入れる公共のトイレ」もある。
これはトランスジェンダーでホルモン治療・性別適合手術をしていない人、性別移行中の人、Xジェンダーの人、ノンバイナリーの人あたりだと気兼ねなく入れて、外で嫌な思いをすることから解放されることだとは思う。
が、「T+」が本当に欲しいのは、「性自認が身体的性別と違う」という時点で自分の性別を保障してくれるような「戸籍の性別変更の法律要件の変更」なのだ。
トランスジェンダー男性でホルモン治療は受けているけど性別適合手術を受けていない僕は、ヒゲが生えようと声が低くなろうと、医者の「性同一性障害」の診断書を持っていようとも、戸籍の性別を変更させてくれない法律の現状がある。
これだとトイレはもちろん、銀行関係、仕事関係、住宅関係などなど生きていく上で不都合がたくさんあるのだ。
また、これらのことに「LGB+」という性的指向は全く関係がないことだ。
「LGBTQ+」とまとめて認知や存在肯定を進めようとする動きはとてもありがたいことだと思う。
しかし、まとめることで「ここら辺でいいだろう」と、痒い所に手が届かない政策がとられがちなのも事実なのだ。
当事者の現状と「これが良いんだろう」って策がイマイチ合致しないんだね。
まとめ

今回は「LGBTQ+」の表記についてお話してきた。
「セクシュアリティ」というものは人間誰しもが持つものだ。
「LGBT」って言葉には20世紀からの人権運動の文脈、つまりマインドが乗っかっている。
意識や状況の変化に応じてマインドは少しずつ変化していくので、「Q+」がくっついた。
今後も単語自体が変わるかもしれない。
マイノリティをただただいっしょくたにまとめるのではなく、かといってマイノリティ内で対立するでもなく、「LGBT」「LGBTQ+」はマインドであること、その中には色んなベクトルのマイノリティがあること。
そして人間には「日本に住む日本人」「外国に住む日本人」「普通校での絵が好きな人」「美術学校での絵の好きな人」など、他のベクトルでも環境に応じてマイノリティ・マジョリティが入れ替わりまくる部分があること。
ここら辺を把握すると「LGBTQ+」ないし人間のセクシュアリティに対する見方が変わるかもしれない。
そして「マイノリティ・マジョリティ」って言葉自体が必要ない世の中になればいい。