こんにちは、Miyabiだ。

今回は、みなさんに紹介したい漫画がある。

それが「AIの遺電子」だ。

僕は普段漫画を読むとき、「共感する!」「アツい!」という点には全く重きを置いていない。

むしろ「コマ割りが的確だな~」「ここでこんな演出するんだ!これは思いつかないな……すげぇ」「こんなセリフを書くなんて、作者、只者ではない……」的な見方で楽しんでいる。

ひねくれもの…

そんな僕が

「あ、これ、すごい共感できる」

とのめり込んだ漫画が、今回取り上げる「AIの遺電子」なのだ。

漫画「AIの遺電子」とは?

「AIの遺電子」(全8巻)は山田胡瓜・著(秋田書店)の作品で、ヒューマノイドと人間が共生している近未来が舞台のお話だ。

AI、ヒューマノイドと言っても、今僕らが想像するような「ザ・ロボット」みたいなものではない。

この漫画では、人間もヒューマノイドも普通に街を歩き、学校に行ったり仕事をしたりしている。

生活している姿を見ると、全員人間のように見える

キャラクターが会話して、「頭が壊れたら俺らだっておしまいですよ」「バックアップ取っとけばいいじゃない」といったセリフでようやく、「あ、こっちの人はヒューマノイドで、あっちは人間なんだな」と判別できる。

で、ヒューマノイドも「病気」をする。

そんな「病気」を治療する医師が、この漫画の主人公だ。

主人公を中心として、毎回患者が入れ替わっていく1話完結を繰り返して、全体的なお話が進行していく「医療ドラマ」スタイルの漫画だよ。

ヒューマノイドの「病気」は、現在で言えば「故障」みたいなものだ。

だけどヒューマノイドも生きているので、「病気」と称している。

何故AIに共感したのか

これの第4話「恋人」は、中学生か高校生の人間男子とヒューマノイド女子の恋愛を描いた16ページの作品だ。(ネタバレしない程度に紹介する)

この16ページで、一気に僕は、彼らに共感してしまった。

何故なら、

・「人間」「人間」「あのオッサンは?」「ヒューマノイドだな……目が違うし」と、見た目で人間かヒューマノイドかを見分けようとする人間

ヒューマノイドは人間に比べて不自然→「自然」「不自然」って何?という葛藤

・ヒューマノイドのカップルは、子どもは養子縁組で作る→「人間」の俺からするとそれは不自然→人間でも養子縁組する家庭もあるでしょ?

って葛藤が、そっくりそのまま、トランスジェンダーに対する偏見と同じだからだ。

「AIの遺電子」のレビューで「近い将来、こんなことがあるかもと考えさせられた」て感想があった。

だが、これらは、今まさに、ずっと起こっていることなのだ。

見た目でLGBTq+を見分ける方法を知りたがる人はけっこういる。

また、トランスジェンダーとシスジェンダーが結婚しようとすると、シスジェンダー側の両親に「トランスジェンダーだから」という理由で反対されるという話は、探すとゴロゴロ出てくる。

トランスジェンダーを始めとしたLGBTq+は子孫を残せないからダメ、という誤解と偏見も何故かずっとある。

トランスジェンダー当事者からすると、この第4話「恋人」で描かれた「人間」と「ヒューマノイド」の「自然」「不自然」問題は、現実に起こっていることとしてクリティカルヒットで僕の共感をえぐってきたのだ。

同じ「生きている人」として人間もヒューマノイドもいっしょの生活圏に存在するものの、こういった壁がある表現は、LGBTq+や人種に関する問題をオブラートしたものではないだろうか……と、感じた。

読み終わったあとも、ずっと心に残る

客観的に見ると、この漫画は手塚治虫の「ブラックジャック」シリーズと同じ形式をしている。

何かしら治療しなければならない「病気」「ケガ」があるものの、同時に患者やその周りの人の価値観を揺さぶる出来事が絡んでいるのだ。

ブラックジャックなら「体内にもう1人分の人体が存在している!」→ピノコ誕生、「死刑囚が瀕死」→オペをして治療した上で死刑を執行、「尊敬する先生が亡くなってしまう」→なぜ医者がいるのか、といったように、現実世界であり得ないようなあり得そうな病気やケガを治療しようとして、そこから物語や読者の価値観が揺さぶられる。

に対して、AIの遺電子の症例はヒューマノイド、つまり機械的なことが中心だ。

患者も治療のときは機械部分が露わになったりする。

でも、何故か「修理」には見えないのだ

それは、絵的にヒューマノイド患者をベッドに寝かせたり、「私はどうなるのでしょう……?」と患者が当然医者にする質問があったり、「生きている」と読者に分かるように工夫がされているからだろう。

ブラックジャックは「医療知識を詳しく知りたい」というよりも、「医療をベースに、倫理的な問題について、読んだあともずっと考えられる」点が魅力だった。

この「AIの遺電子」も、まだ全巻買えてなくて途中まで読んだ感想だが、このブラックジャックの読了時に感じる魅力があると思った。

まとめ

今回は漫画「AIの遺電子」についてお話した。

LGBTq+ものの漫画や映画は多いけど、それらは当事者からすると「何で物語中まで差別されなあかんねん……」としょんぼりしてしまったりして、観る前に「これって幸せな映画なんかな!?」と警戒してしまったりする。

(LGBTq+当事者ではない人が「あ、こんな気持ちなんだ」と体験するには良いとは思う)

そんな中で、LGBTq+とか人種とか、現実にある問題を直接扱わず、「マイノリティ」として「人外」を登場させたり、あるいは可愛い動物キャラを使って表現を緩和させた漫画やゲームが、最近たくさん登場してきている。

「AIの遺電子」がLGBTq+を扱った漫画だ!とは思わない。

でも、倫理問題や人間的な思考と同時に「マイノリティを扱っている」とは感じるのだ。

僕ら人間はどんなアイデンティティがあっても、「AIの遺電子」ではマジョリティ側だ。

改めて「人間って何だろう」と考えたい人に、おすすめしたい漫画である。