
こんにちは、Miyabiだ。
先日、保守的と言われているチリで同性婚を合法化する法案が圧倒的多数の賛成で可決された。
圧倒的多数!すごいね
また先日、東京都が同性パートナーシップ制度を2022年度の内に導入する方針であると発表があった。
日本では市や区、あるいは府や県などが同性パートナーシップ制度を導入していたが、それより大きい東京都が導入するということで、性的マイノリティへの理解も一歩進むのではないかと期待が大きい。
このニュースに対して僕は、「やっとかー」と喜ばしくもあり、
「え?何で同性婚じゃなくてパートナーシップ制度でいいって思ったんだ??」
というモヤッとも、実はある。
「同性婚と同性パートナーシップ制度って何が違うの?」と疑問の声も見かけたので、今回は
- 同性婚と同性パートナーシップ制度の違い
- なぜ現在同性の恋人が特にいないMiyabiなのに「同性婚ではないのか」とモヤッとしたのか
の2つについて、お話していこう。
目次
同性婚と同性パートナーシップ制度の違いとは?
「結婚」って何?

まず、「結婚」というものから見ていこう。
愛では……?
もちろん愛も重要視される項目ではある。
が、一番強いのは、「法的な効力がある」というところだ。
芸能人の不倫問題がたびたびネットで炎上するが、実はこれ、「浮気とか論外~!」という感情だけが問題なのではない。

不倫とは「配偶者のいる人(既婚者)が配偶者以外と肉体関係を持つ」ことである。
こういう事実があれば、これを元に弁護士を介して離婚や慰謝料請求をすることができる。
結婚が法的な効力がある以上、不倫って契約違反みたいなものってことかな。
転じて、結婚していない恋人同士では「不倫」として扱われない。
その実、不倫問題で炎上する有名人はみんな異性と結婚した人たちばかりだ。
同性愛関係はどんなに真剣でも「どうせ真剣じゃない」としか扱われないのは、この婚姻関係を結べないことにも原因があるのではないかと僕は感じる。

他にも、パートナー間の扶養関係が認められるにも結婚という法的事実が必要になる。
相手の手術や入院などがあったとき、病院側に「家族」と認められるにも結婚が必要だ。
相手が亡くなったときの遺産についても、婚姻関係があると「配偶者」として認められ、婚姻関係がなければ「他人」となる。
などなど、パートナー間の「家族」としての法律上のお金の問題や保障問題、いざというときに一番近くにいられる権利、また別れ話となったときに法律がどれくらい守ってくれるかは、「結婚」しているかどうかがカギなのだ。
結婚って「紙切れ1枚」って思われがちだけど、カップルが法律に守られるっていう意味もあったんだね。
同性パートナーシップ制度では足りない?

では同性パートナーシップ制度について見てみよう。
この制度の最大の問題は、法的な効力がないことだ。
例えばパートナーシップ制度のあるA県でパートナーである証明書を発行されたとしても、転勤でパートナーシップ制度のないB県に引っ越さなければならなくなったとき。
「結婚」であればどこに行こうが「婚姻関係がある」と認められるのだが、同性パートナーシップ制度だと「証明書の発行」で終わりな上、別の場所に引っ越す際には自治体に証明書を変換しなければならない。
つまり、B県に行けばどんなに仲が良くても、どんなに長年いっしょに住んでいても「他人」と扱われてしまうのだ。
え、こわ……

次に、子どもがいる場合を考えてみよう。
異性間であれば、今まで恋人または事実婚状態から「子どもができたから、結婚しよう」とパートナー関係在り方を変更するのをよく聞く。
これは、
- 夫婦2人とも親権を持つ
- 子どもを育てるにあたり、家などを共有財産として扱う
- 家族としてそばにいることを公的に認めさせる
などのメリットがあるからだ。
異性間であれば結婚でも事実婚でも、自分たちに合う方を選べる。

だが同性パートナーシップ制度だと、まずふうふの関係が公的に「他人」としてしか認められず、子どもの親権もどちらか片方にしか与えられない。
ちなみに同性同士だと事実婚も認められないので、異性間のように「事実婚にする?結婚しちゃう?」と選択が一切できない。
結婚におけるメリットを初めからまるまる手に入れることができない状態となっているのだ。
これじゃあ同性ふうふが子どもを育てるときにも、異性夫婦よりも何倍も壁が高くなっちゃってるね。
国際結婚の場合も、異性間であれば認められるが、同性間だと認められずに日本でいっしょに住めなかったりする。
なので「同性のパートナーと結婚するため、海外へ行った」「本当は日本で結婚したかった」系の話を多く聞く。
同性同士も異性同士も「結婚」にすりゃ、気持ちよく祝えるのに

日本の「婚姻」が、異性間のみならず同性間でも適応されると、上に書いたような「パートナーシップ制度しかないので、家族として認めてもらえない」状態が解消される。
また「結婚してます」と報告される側にしても、「同性だから異性とはこことここが違って保障が受けられなくて……」とややこしいことにならず、
「ほい、結婚ね、おめでとう!」
とどの性別間のふうふであっても、ひとまずは同じように扱えて、公的にも私的にも祝福できる嬉しさが生まれる。
異性でも同性でも、仲良しでもそこまで仲良くなくても、「恋人から結婚に関係を変更する」行為には区切りと門出を感じる。
門出はどんなことでも、新たな出発として祝いたいのが人情……というか、僕の思いだ。
そこで「同性だから結婚できないけど、とりあえずふうふっていう体で……」とモヤると、祝う側も気持ちよく祝えない。
異性だの同性だの言わずと、法的にも同じ「結婚」であれと僕は願うのだ。
まとめ

今回は同性婚と同性パートナーシップ制度についてお話してきた。
以前にも同性婚についての記事を書いたので、同性婚の歴史などを軽く見てみたい人はぜひ読んでほしい↓
同性愛が「単なる趣味でしょ」と誤解されるのは、不倫問題やDV問題などが浮上したときに「同性間だと婚姻関係がないから、異性間夫婦のように裁けない・軽くなる」という法律の問題があるからだと感じた。
同性婚が日本に導入されたら、「同性愛者はうんぬんかんぬん……」とよく言われる文句がけっこう解消されると思う。
それで……現在同性の恋人がいない僕が何で「同性婚があればいい」と思うのか。
当事者ではないのに、なぜ支持するのか。
それは「結婚しました!」「子どもできました!」って報告を、異性同性関係なく「おめでとうー!!」と祝いたいからに他ならない。
同性で結婚するために海外に行くのはよく聞くが、「元々海外に住みたかったんだ~」という人なら「いってらっしゃい!」と見送れる。
でも「本当は日本で結婚したかったんだけど……」と聞くと、祝いたいのに気分がしょんぼりしてきてしまう。
今回のチリの同性婚の合法化法案可決の際、「どんなセクシュアリティであれ、全てのカップルは愛に生きることができ、必要な法の保護の元で結婚したり家族を形成することができる」と大統領は言った。
これに尽きると思う。