
こんにちは、Miyabiだ。
この間「ジェンダーレス」について記事を書いた。
そのときに「ジェンダーレスとジェンダーフリーって何が違うの?」という疑問を目にして、「これは書かねば」と記事にしたくなった。
たしかに、語感とかワードとか似た雰囲気ある言葉だね。
なので今回は
- ジェンダーフリーについて
- ジェンダーレスとの違い
- 今後のジェンダーフリーに期待するもの
の3点をお話していこうと思う。
目次
ジェンダーフリーとは?

まずはじめにジェンダーフリーについて見てみよう。
ジェンダーフリーとは、男性も女性も、従来の固定的な性別ごとの役割を負うことにとらわれず、自身の得意なことや性質などから、自由に・平等に行動を選択できる世の中のことを言う。
従来の固定的な性別ごとの役割って?
それは、男性は会社などでバリバリ働く、女性は家で家事や子育てをする、男性は積極的に、女性は消極的に、などの性別を理由にした行動の制限のことを指す。
女性が社会進出しようとしたら、どんなに有能な人でも「ガラスの天井」があると言われるような環境だったり、男性が専業主夫をしようとすると「男なのになぜ?」と許されなかったりするのも、この従来の固定的な性別ごとの役割がストッパーをかけているからと言えるのだ。
だがこの「生まれながらにして○○だから、こうすべき」というのは時代とともに変化する。
男性も女性も、外の仕事で有能なら評価されるべきだし、家での仕事が有能なら評価されるべきなのだ。
別に女性の専業主婦や男性のバリバリリーマンが、ダメってわけじゃないんだね。
もちろん従来の固定的な性別ごとの役割と言われるものに適応できる、というかそれが自分に向いていると思えば、それをしてもかまわない。
ジェンダーフリーとは、新たな行動の制限ではなく、行動の選択肢を増やし、それを選択する自由を広げることを意味しているのだ。
ジェンダーフリーとジェンダーレスとの違いは?

では「ジェンダーレス」とはどういう違いがあるのだろう?
そもそも「ジェンダー」という言葉は「性別」と訳されがちだが、実際は「社会的・慣習的に期待される性別ごとの役割」を意味する言葉だ。
ジェンダーレスというのは、このようなジェンダーによるギャップを無く考えている人・ジェンダーのしがらみから解放された人のことを意味する。
ジェンダーレスのモデルとかファッションとかよく言うよね
ジェンダーレスは特にファッション界で見られやすい。
中性的な服装をしていたり、あるいは反対の性別の服を取り入れたりして、「女の子だからフワフワワンピース」「男の子だからスーツにネクタイ」などの概念に縛られない外見だからだろう。
↓ジェンダーレスについてはこちらの記事で詳しく解説しているので、ぜひ見てみてほしい↓
ジェンダーフリーが環境づくり・社会づくりのキーワードとするなら、ジェンダーレスはそれを体現している個人を指す言葉となる。
今後のジェンダーフリーに期待したいこと

ジェンダーフリーな世の中になったからと言って、男性や女性の「自分は男だ」「自分は女だ」というアイデンティティの意識は消えない。
「日本人なら和服を着なければ」というしがらみが無くなっても、「自分は日本人だ」というアイデンティティの意識が消えたわけではないし、ここぞというときには「和服でキめたい」と思う人も消えてはいない。
これと同じだと思う。
「まず性別で振り分ける」というところから、「日本人」「アート作家」「帰国子女」「映画好き」などの要素と並列に「その人」を表す一部というところまでセクシュアリティも行けば良いなと思う。
冒頭のジェンダーフリーの解説で「男性と女性」と言ったが、性自認にはXジェンダーやノンバイナリーなどの「男性とも女性とも言えない性」がある。
「男だから女だから」で行動を制限されている内は、「性別関係なく自由に生きたい」と思っている男性や女性を抑圧するだけでなく、これらの他の性別の居場所をも奪うこととなる。
他にも同性婚や戸籍の性別変更について、顔面偏差値、出身地なども同じことだと感じる。

同じバンドが好き・ユーチューバーが好きというだけで老若男女問わず話せてしまうのが人間だ。
良い人も悪い人も、その人の要素の1つだけで見分けられるわけがない。
昔の日本では「武士ならば信や義をたがえてはいけない」ということで「雨月物語」なんかでは、軟禁されてしまい「9月に帰る」という友人との約束を守れそうにないから、切腹して魂だけで約束の日に友人の元へ行く話が収録されていた。
これが昔の美談だったのだ。
現代では「武士ならば○○」といった身分縛りがフリーとなり、「ごめん実家に捕まったいけない」とラインでも送って謝るだろう。
これからは切腹縛りがなくなったように、ジェンダー縛りもフリーにしていきたい。
まとめ

今回はジェンダーフリーについてお話してきた。
よく「性別がなくなる」と懸念する声があがるが、「性別というアイデンティティ」と、「性別を理由にその人を縛り上げること」は全く別のことなのだ。
なのでジェンダーフリーが実現されると、より自由な男性・女性・Xジェンダー・ノンバイナリーが生まれるだけなので、その辺は安心してほしい。
物語を見ると「自分は名門○○家の人間だから」と、いばって好き放題するキャラクターが出て来たりする。
嫌われキャラである。
このキャラを好かれキャラにするには、自身の出自を理由にいばることなく、自分の得意なことを活かして頑張るのが吉だ。
別に「名門○○家の人間」というアイデンティティを捨てずとも、これは成し遂げられる。
ジェンダーフリーではない世の中、ジェンダーフリーな世の中は、この違いなのだと僕は思う。
↓似た言葉で「性別二元論」についてお話した記事もあるので、良かったら↓