こんにちは、Miyabiだ。

セクシュアル・マイノリティ(以下、セクマイ)とはセクシュアリティにマイノリティ要素がある人のことを指す。

セクシュアリティっていうのは、その人の性に関するアイデンティティの総称だよ。
だから、全ての人にセクシュアリティはあるんだ。
セクシュアリティとは?~人間の持つ性のアイデンティティの4つの要素~ – 画家美少年ラボラトリイ (miyabistarr.com)

LGBTq+もセクマイとほぼ同じ意味としてこのサイトでは扱っている。

今回はセクマイを始めとしたマイノリティというのは、その人の全てではなく、たくさんある要素の内の1つだ、というお話をしたい。

セクシュアル・マイノリティはその人のほんの一部

「若者は○○」の違和感

セクシュアル・マイノリティやLGBTq+というと、

「セクシュアル・マイノリティは○○」「LGBTq+は○○」

のように、グループとしてくくられて語られることがあったりする。

「若者は○○」みたいな感じだね。

美少年くんの言うように、「若者は○○」「年寄りは○○」と大まかなグループでくくられるのはニュースなどでよく見る。

緊急事態宣言中なんかは「若者が自粛中に街中で飲み会をしている!」という報道がたくさんあった。皆さんも記憶に新しいだろう。

だがここでこうは思わないだろうか。

「いや、自分も若者だけど、ちゃんと予防に気を付けてたし!」

「若者はむしろオンライン飲み会使いこなせるのでは?」

「おじさんおばさんも自粛中に外で飲み会してたのは、報道しないの?」

そう、「若者」の中にも色んな人がいるのだ。

たしかに、僕はあのとき外に出ないで積読を読む生活してたな。

飲み会やその報道のことは置いておいて。

この「ひとくくり」はセクマイやLGBTq+を語るときにも起こっているのだ。

同じ「セクマイ」「LGBTq+」でも全然違う?

例えば僕はLGBTq+のT、トランスジェンダーだ。

性自認は男性。

なので必然的に女性しか関係のないレズビアンについては、僕は部外者となる。

が、「セクマイ」「LGBTq+」と言うときには、僕もレズビアンもひとくくりにされて語られる

また、同じトランスジェンダー男性同士でも「スカートが死ぬほど嫌だった」「スカートとかはコスプレのノリだったけど、それによって「女の子」と認識されるのが嫌だった」などなど、嫌のラインが異なるのだ。

これはまさに「若者」の中にも外向的な人、内向的な人、お酒は酔うために飲む人、お酒はおいしいものを厳選して飲みたい人、お酒は舐めただけで酔っ払う人などがいるのと同じなのだ。

例えその人が若者でも、「若者」がその人の全てを物語るわけではない。

同じように、その人がセクマイやLGBTq+でも、「セクマイ」「LGBTq+」がその人の全てを語りつくしているわけではないのだ。

セクマイやLGBTq+にも、他にやるべきことがあったりする

「女性はうるさい」と言って炎上した人がいた。

もし本当にその人の周りにうるさい女性がいたとして、「自分の妻はうるさいな」と感じた場合、「僕の妻は口うるさいのです」とすればこれはその人の体験談だった。

だが何故か「人類の女性全体」を主語にして「ひとくくり」としたばかりに、個人の出来事を人類全員のことに広げてしまった

これが上で言った「若者」「セクマイ」「LGBTq+」と同じ「くくり」の構図だと思う。

くくってしまうと、棒人間の上に「若者」などのラベルを貼っただけのペラペラな人間のように思えてしまうのが、くせものなのだ。

「アイドルオタク」と「魚介類オタク」を「同じオタク」とくくったら訳が分からなくなるのに、くくっちゃった感じだね。

「女性」「男性」「若者」「年寄り」「セクマイ」「LGBTq+」と、まぁ何でもグループ化してしまうことはできるのだが…

これらはその人を構成する1要素でしかない。

「女性VS男性」のように対立させたがりがちだが、同じ出身地、同じバンドが好きと分かると、このくくりを超えて仲良くなることはザラだ。

つまり、「女性」「男性」「セクマイ」「LGBTq+」などの要素は、「出身地」「音楽好き」「映画好き」「読書好き」などと同じ作用をすれば、ムダに対立をあおられたりしないのにな……

「セクマイ」や「LGBTq+」はこういうもの、ではなく、その人はどういう考えや気持ちがあるのだろう、それぞれ違う価値観で生きているけど、どこが共通項なんだろう?という観点からスタートすれば誤解や勘違いは生まれないのにな……

と僕は思う。

LGBTq+でもそうでなくても、学生は学生だし、会社員の人は会社員だし、日本人の人は日本人だし、生春巻きが好きな人は生春巻きが好きなんだし、転職したら会社員ではなくなったりもするし。

というように、その人を構成する要素はたくさんあるので、どれか1つだけでくくってしまうと、その人のこともそのくくりのことも分からなくなって誤解してしまうので、自他ともに気を付けていきたい。

まとめ

今回は「セクマイ」「LGBTq+」といった「くくり」についてお話してきた。

問題なのは「セクマイは○○」というように、決めつけをしてしまう点にある。

なので、セクマイやLGBTq+などの言葉を「くくり」ではなく「ジャンル」と考えると分かりやすいかもしれない。

音楽の中でもロックやクラシックなどのジャンルがあって、その中でもどの人の演奏を聴くのが好きかというのは人それぞれとなる。

し、「ロックは好きだけど、この曲はいただけないな~」「今はロックやってるけど、昔のジャズの演奏に影響を受けた」という個人の好みも入る。

ジャンルを超えても、これらを人は「なるほど」と受け入れることができる。

セクマイやLGBTq+の中にトランスジェンダーがいて、その中でもどこまでが許容範囲かは人それぞれと話したが、これも「セクマイやLGBTq+は○○」「トランスジェンダーは○○」ではなく、「セクマイやLGBTq+というジャンル」「トランスジェンダーというジャンル」とすると、考え方が変わるのではないだろうか。