こんにちは、Miyabiだ。

最近選挙があったのもあり、LGBTq+について政治家がどう考えているかの報道が多く目に入るようになった。

個人的には「戸籍の性別の変更条件を変えてほしいなぁ」とか「同性同士も異性同士も、同等に結婚できると生きやすくなる人も大勢いるだろうなぁ」とか思ってみていた。

正しい見方がされているといいな。

が、そこでは「LGBTは種の保存に背く」「LGBTは「趣味」みたいなもの」発言が飛び出ていた。

何故このような発言が出たのだろう?

一歩引いて、このような発言の何が問題なのだろう?

今回はこれらの発言についてと、「LGBTq+の人権が守られるということは、あらゆる可能性を守ることに繋がる」ことについてお話していこう。

「LGBTq+を理解する」現状

LGBTq+も国民

まず、当然だが、日本人のLGBTq+は日本国民だ。

そしてLGBTq+の割合は、学校のクラスに1~2人いるくらいの計算になる。

LGBTq+の人も、そうでない人も、等しく色んな特技や才能、努力をしたり、日々の活動をしている。

それに対してニュースで政治家のLGBTq+に対する発言を見ると、LGBTq+は日本国民にカウントしていないようなものが見られるケースがある。

そういえば現代アートの作家も税金を納める国民なのに「納税者のためを思って作品と意見を下げてください」と政治家から言われた出来事もあったね。

LGBTq+は種の保存に反するか?

単純に、「1、身体的に同性のみで子どもを作れない」ことと「2、性器がないと子どもを作れない」ということから、「LGBTq+は種の保存に反する」と言われるのだと思う。

それはトランスジェンダーの僕も事実として、反論はない。

これだけを見ると、確かに……?

だが、同性のパートナーを持つ人でも「子どもがほしい」と思って代理母出産精子提供養子縁組里親などなどの方法で子どもを産み、育てる人がいる。

また「同性パートナー」と言っても、シスジェンダーと性別適合手術をしていないトランスジェンダーのカップルもいることを忘れてはならない。

この場合は、セックスから子どもを産んで育てることが生物的にできる。

性別適合手術をして性器を失ったトランスジェンダーの人も、代理母出産や里親など、上に書いたのと同じ方法で子どもを授かることができる

そもそもトランスジェンダーに関して現行の性同一性障害の法律では「生殖機能を永久に欠いている」ことを条件に、戸籍の性別の変更の許可が出るシステムになっているのが、「種の保存に反する」という偏見に繋がっているとも考えられる。

だがトランスジェンダーは戸籍の性別を変更したい人は多くても、必ずしも性器を無くしたいわけでもない場合が普通にある。

政治家が作った法律自体に偏見が入っていて当事者のニーズに合っていないものになっているんだね。
そこから「それが当事者全員が欲しいと考えている」という誤解に繋がっているってことだね。

またこれらLGBTq+を批難する発言の裏には

「シスジェンダー(身体と心の性別が一致している人)の異性愛者なら、必ず子どもを産んで育てる」

という希望的観測も含まれていると感じた。

だがシスジェンダーの異性愛者同士でも、

  • 不妊で子どもができない
  • 事故や病気、障がい、生まれつきの特徴によって子どもができない
  • 子どもが生まれても育てる経済的余裕がない

などの理由から、子どもを産まなかったり、産んでも捨ててしまったりするケースがある。

不妊の人やLGBTq+、あるいは自分の子どもを育て終わった人などは、自分で子どもを新たに作れなくても、育てることはできる。

ここでニーズが合致するのに、「種の保存に反する」発言はこの可能性を丸ごとつぶしかねない。

子どもをパートナーと2人で直接作れないから「LGBTは種の保存に反する」という発言は、同時にシスジェンダーでヘテロセクシュアルの夫婦やカップル、生みの親が親ではない子どもなどまでもを疎外することになってしまうのだ。

LGBTq+は「趣味」か?

LGBTq+は、そうではない人からすると趣味のように感じられるかもしれない。

何故なら身体に障がいを負っている人のように「目に見える負担」があるようには見えないし、精神疾患者のように「働けない」「学校に行けない」というように社会のシステムの通りに動けないわけでもないからだろう。(かなり大ざっぱな表現になってしまったが、タイトルの発言について考えると、このような理解なのだろうということで)

無理をすれば同性愛者も異性と仮面結婚ができるし、トランスジェンダーも心を殺して、生まれた身体の性別を演じ続けることができる

「世の中には無理して頑張っている人もたくさんいるのだから、LGBTq+が自分のありのままで生きるのは、趣味だよね?」

だが、LGBTq+は「LGBTq+になりたい!」と思ってLGBTq+に生まれたわけではない。

僕も幼稚園時代から「自分の認識する自分の性別」と「周りが認識する自分の性別」とのギャップにずっと悩んで、その結果「トランスジェンダー」という単語が見つかった。

きっと同性愛者の人も「同性愛者になろう!」というのではなく、「好きになったのが、結果的に同性の人だった」のだ。

これは異性愛者でも言えるのではないだろうか。

もちろん生まれてくる「自分」を選べるわけではないので、「裕福な子」「貧しい子」「美しい見た目の子」「ブサイクな見た目の子」のように、「LGBTq+である自分」は受け入れなければならない。

だがそれを「趣味だから」といって「取るに足らないこと」扱いされるのは、「自分は公務員・サラリーマンだから、その他の仕事は趣味でお金を払わなくていい」と言っているのと同じことだと感じる。

美容師やアーティスト、スポーツ選手は好きな事の延長線上だが、同時に専門技術を「趣味」レベルの人よりも本気で磨いてプロになったわけで「自分は公務員・サラリーマンだから、その他の仕事は趣味でお金を払わなくていい」とは言えない。

同じように、「クラスに1~2人はいる、カミングアウトをしていない人を含めるともっといる」くらいの割合をしめるLGBTq+の人についても「趣味」や「種の保存に反する」と言って考えないようにするのは、事なかれ主義っぽく僕には感じる。

LGBTq+は社会的に差別を受けやすいことから、二次的に精神疾患になったり、結果的に自殺率が高くなってしまいやすいよ。
これは大人もそうだし、政治家などの大人が守ろうと言っている「子ども」「青少年」にも当てはまることだよ。

LGBTq+を理解することは、他のあらゆる可能性を保護することになる

LGBTq+について調べると、当事者の僕でも

「こんな考え方があったんだ!」

「同じトランスジェンダーでも、この人はこう考えるんだな」

新しい発見がたくさんあって、世の中の広がりを感じ、好奇心を刺激される。

「こうじゃなきゃLGBTq+じゃない」という「診断」や「くくり」はないので、色んな価値観や物の捉え方を知って、考える機会が生まれるのだ。

これは何もLGBTq+に限った話ではない。

アーティストの体験記を見れば「世の中にはこんな活動をする人がいるんだな」とワクワクするし、歴史の本を読むと「昔は今と違って、こういう考えで物を使っていたんだな」とタイムマシンがなくてもジェネレーションギャップ(?)を体験できる。

男女平等についても、「男か女か」の単純な2択ではないことが知れたら、性別は「北海道出身です~」「あ、自分沖縄です!」と同じくらいの情報として扱われるようになるのではないだろうか。

また、この記事の上の方や他の記事でも「シスジェンダーでヘテロセクシュアルであっても、子どもを育てられないことがある」と言っているのは、実際に「戸籍がない子ども」についての本を読んで「あれ?LGBTq+を批難する政治家って、これについても知らないのでは?」と感じて危機感を覚えたからだ。

マイノリティはLGBTq+だけではない。

発達障害や身体障がいを持つ人などもマイノリティだ。

LGBTq+にも、そうでない人にもこれら発達障害や身体障がいを持つ人はいる。

何かについて知ろうとすると、自分が知らなかった、経験してこなかったことを擬似体験することができる。

「自分はマイノリティだからダメなんだ……」と気落ちしている人たちも、マイノリティについて認知が進めば「マイノリティはあるけど、それに関係あれなかれ、自分のできることをやろう!」と気力が出て、結果的に国や人類が全体的に「生産的」になると思う。

他にも何かにつけて「LGBTq+の子どもは親のことで差別を受ける」という心配を聞くが、 LGBTq+への差別が禁止されたり、LGBTq+がそうではない人よりも「生きづらい」と感じていることについて共有して当事者だけではなく政府からも考えるようになると、その心配を少しは解決できるのではないだろうか。

そうすると「シスジェンダーでヘテロセクシュアルの夫婦が、子どもを産んでサラリーマンか公務員になるように育てる」以外の状態にある人を救う余裕が生まれるのではないだろうか。

LGBTq+も子どもを産み育てたいと思う人がいること、実際に立派に育てている人がいることがもっと知られるようになったらいいね。

まとめ

今回は政治家の差別的な発言を紐解いて、LGBTq+を理解することは、他の問題も解決できるように繋げられるのではないかというところまでをお話してきた。

ちょっと今回の話題は放っておけない。

何故ならLGBTq+で世界的に活躍している人たちや、またはLGBTq+を育ててた僕の親までが馬鹿にされた気がするからだ。

今回取り上げたLGBTq+に対する政治家の差別発言も、少しLGBTq+について調べたら「誤解をしていた」と分かることばかりだった。

裏を返せば、LGBTq+の正しい知識を広めれば、このような発言自体が事実無根だということが判断できるのだ。

実際に、LGBTq+についてしっかり調べて、現状の問題点を解決しようとする政治家の人もいる

もちろん僕は「人類全員LGBTq+になれ」と言っているわけではない。

セクシュアリティはその人のアイデンティティで、他人が外から変えられるものではないからだ。

むしろ今の状態を元に、「LGBTq+にはどんな可能性があるだろう?」「LGBTq+ではない人とどのように協力ができるだろう?」「そもそもLGBTq+・LGBTq+ではない人というくくりは、この場で重要だろうか?」などなど、「目の前の事実や問題を退けて考えない」のではない方法をとることこそが重要ではないだろうか。

色々書いてきたが、「取り扱うのに勉強しない」ことが問題であって、知らないことは悪いことではない。

これから知れば良いのだから。

「電子と時空」Miyabi Starr、油彩、2021年

僕は最近、人間のアイデンティティについて考えている内に「生命って何だろう?」と疑問がわいて、その根源である微生物について調べている。

突き詰めれば「動物のお医者さん」という漫画で知られる獣医学部で勉強されることだが、獣医学部でもなければ生物の授業もそこそこにしか学校で習わなかった僕でも、図書館に行って微生物についての本を借りて勉強することができる

YouTubeでは大学の研究室などがチャンネルを開いていて、「今から大学入試はちょっと……」な僕も、専門的な内容を、1回で理解できなくても、何度も見ることができる。

「実際に顕微鏡で見てみたいなぁ」と妄想しながら、自分の作品制作に活かせるように頑張りたい。