こんにちは、Miyabiだ。

妊娠する親には「子どもの性別を聞かれたくないな」と感じる人がいる。

また成長した子どもや大人たちの中には「自分の性別を言いたくない」という人もいる。

性別なんて当人の自由なんだから生きたいようにしてほしいのに、ムダに聞かれる場面って多いよね。

今回は

  • 「性別を言いたくない」という思い
  • 性別はどういう判断に使われるの?
  • 子どもの性別は男・女の2択とは限らない
  • 性別を言いたくないのであれば、言わない自由もあって良いのではないか?

についてお話していこう。

性別を言いたくない思いについて

僕は小さい頃から自分の性別を言いたくない子だった。

トランスジェンダーだったので、それを周りにカミングアウトできていなかったときは「身体の性別を口に出したくないな……」という思いがあったのだ。

トランスジェンダー」とは、生まれた身体の性別(身体的性)と、心の性別(性自認)が一致していない状態・人のことを言う。

LGBTq+のTだ。

「LGBTq+」というと大人をイメージしがちだが、子どもにも当事者はいる。

が、よく調べてみると、赤ちゃんを妊娠している最中の親御さん、特にお母さん側も「お腹の子の性別を言いたくない・聞かれるのが嫌」という思いを抱いていることに気が付いた。

LGBTq+本人である僕と、お母さんたちの思いは別ものだけど、「性別を言いたくない」という共通認識があったので、「性別を言って何に役立つのか?」と「お腹の子がLGBTq+だったとき」の2つの視点から見ていこうと思う。

性別を言って何に役立つの?

現在は心の性別の方で大抵は生きていけている僕だが、たまに「何故ここで性別を明記しなきゃいけないんだ?」と思う時がある。

性別適合手術までしないと戸籍の性別をあなたの生きたいようにはさせません~というのが現在の法律だ。

まだなので役所関連の書類や身分証明書は生まれた身体の性別、僕でいうと女性で書かなければならない。

ホルモン治療で声も低くなっているし、ヒゲも生えているのだから、当然「女性……?」と役所の人も二度見したりする。

まさに「何でそっちの性別を言わなくちゃいけないの?」状態だね。

お腹に赤ちゃんがいる人も「男の子?女の子?」と聞かれて、「いいね!」と言われるならまだしも「男/女じゃなくて良かったね!」や「あー…」と反応されるなど「何だ?」と感じる場面があるだろう。

それに対して「母子ともに健康に出産まで気が抜けないのに、焦ってしまう」と思う人もいる。

男の子だからこう、女の子だからこう、と二極化できないし、人間の個性は性別で決定しない

一方で病院でお医者さんに診てもらうときは、僕も「トランスジェンダーでホルモン治療をしています」と言ったりする。

生まれた身体の性別特有の病気があったりするからだ。

逆にそれ以外の場面で身体の性別をしつこく聞かれるのは、意味がないと感じる。

インターセックス?

生まれた身体の性別が、男性とも女性とも言えない人のことをインターセックスと言う。

この場合、日本の戸籍制度・学校規則に当てはめて、子どもの意思ではなしに性別を男・女どちらかに決定されてしまう場合が多い

男性・女性の二極化をしても仕方がないと思う理由の1つだ。

また認知も低いので親御さん本人に「男でも女でもないなんて可哀そう」「頑張って産んだのに、何で…」とネガティブな方に捉えられがちでもある。

だが、インターセックスも人間だ

身体の性別が男性とも女性とも言えない状態で生まれるというのは、生まれる身体の性別を選べない・顔の美醜を選べない・親を選べないなどなどと同じく、完全に神のみぞ知る、というものだ。

そして彼らが自分をどう認識するか(性自認・心の性別)は、本人が成長して本人が感じるものとして、身体とは別にある

人間誰しも身体の性別は決められないが、心の性別は本人の意思であり、社会的性別はその「本人の意思」を周りが認めるかどうか、なのだ。

Xジェンダー?

Xジェンダーとは心の性別の話で、自分の性自認が男性とも女性とも言えない人のことを言う。

トランスジェンダーの中の一種だね。

これは身体の性別が男・女性・インターセックスのどれであっても、「自分の性はXジェンダーだ」と認識する確率はある。

トランスジェンダーが自身の性別に違和感を抱くようになるのは、早くて幼稚園くらいの物心ついたときから、多いのは思春期からであり、さらにそれを親御さんや友人にカミングアウトするのはもっと後のこととなるのが多い。

なので当人がXジェンダーかどうかはある程度成長しないと分からないことだ。

LGBTq+で「性別を言いたくない」とは?

人間のセクシュアル・アイデンティティには大きく分けて「身体の性別」「心の性別」「表現する性別」「恋愛対象の性別」がある。

トランスジェンダーはこの内の「身体の性別」と「心の性別」の関係が一致していない=マイノリティとなるわけだ。

ゲイやレズビアンなどの場合は「恋愛対象の性別」=マイノリティという話になる。

ヘテロセクシュアル(異性愛者)やシスジェンダー(身体と心の性別が一致している人)はそれぞれ「恋愛対象の性別」や「身体の性別」「心の性別」がマジョリティ、ということだ。

「表現する性別」とはファッションや言葉遣い・しぐさをどのジェンダーを意識するか、のことを言う。

もちろん「トランスジェンダーでゲイ・レズビアン・バイセクシュアル」というように、マイノリティの掛け合わせも存在するよ。

この内で「性別を言いたくない」と感じるのは、心の性別や身体の性別が関係したアイデンティティを持つ人だろう。

今まで説明してきたトランスジェンダーがそうだ。

特にXジェンダーは男性とも女性とも言えないので、男女2択の性別欄があったり、男性か女性かを口で言わなくてはいけないときに「言いたくないな…」と思う。

またはノンバイナリーといって、そもそも「性別」という枠が必要ないという考えで自分を形成する人もいる。

Xジェンダーの中にはジェンダーフルイドと言って、時によって性別が変わるというアイデンティティもある。

たくさんあって、さらに増えたり減ったり変わったり、性別というのは職業と似ていると考えると分かりやすい。

職業選択の自由があるように、性別も本人の自由があるのだ。

周りは性別に対してどうすれば良いの?

例えば生まれたばかりの子どものいる大人から「お腹の子の性別は?」と聞かれるなら、もしかすると「うちの子と友達になれるかもしれない」というワクワクが含まれるのだろう。

とはいえ、「同性なら友だち」「異性なら残念」というのはちょっと違う。

異性でも友人になれる人もいるし、同性でも一切ウマが合わなかったりする人もいるものだ。

あるいは「あの人の生まれてくる赤ちゃんの性別に合わせてプレゼントしたい!」という思いもあるだろう。

男の子なら水色、女の子ならピンク色のブランケット、などだ。

これも大人が大人の事情で色に性別を勝手に結び付けているだけなので、「そんなに水色とピンクに固執する必要もないのにな」と僕は思ってしまう。(黄色とか可愛いし両方の性別とも似合うから良いのではないだろうか…という僕案)

それに水色とピンクの両方が一緒にあっても、良い色の組み合わせだと思う

赤ちゃんは言葉が話せないので、「何が好みですか?」「あなたの心の性別は?」と質問できないから、だからなおさら「男ならこう」「女ならこう」と判断してしまいがちだ。

身体の性別が男だろうと女だろうとインターセックスだろうと、幸せに生きる権利がある

さらに人間の出産は他の動物よりも大変な構造だとよく聞く。

性別の話よりも健康の話が先ではないだろうか。

まとめ

今回は「性別を言いたくない」という思いが共通しているということから、「お腹の赤ちゃんの性別を言う必要性とは?」「LGBTq+の内、トランスジェンダーとインターセックス」についてをお話してきた。

最近は学校の制服が戸籍の性別によらずスカートとスラックスを自由に選べるところが増えてきたと聞く。

制服については、僕は心の性別が男性だったので「毎日女装だ」という思いで(他のトランスジェンダー男性に比べてかなり楽しんで)過ごしていたが、女子の中には「スカートが苦手」という子や、「生理が重いから暖かい格好したいのに、スカート履かなきゃいけないのツライ」という子もいた。

つまり、「男だから」「女だから」の制限がなくなるとトランスジェンダーのみならず、LGBTq+ではない人たちにも選択の自由ができるのだ。

なので僕は「男ならこう」「女ならこう」というジェンダーにはしつこくこだわらないようにしている。

性別で悩むのはLGBTq+だけではない。

人類共通の悩みを、人類が自ら性別の制限を課している状態だ。

それをLGBTq+の情報を通して、少しでも自由に生きられるきっかけを作りたい。