
こんにちは、Miyabiだ。
日本でSDGsやダイバーシティが言われるようになり、LGBTq+の人権の取り扱いにも変化が出始めた。
やっと人間になれるんだね。
さて、そんな中でやはりというか何というか、
「LGBTq+を理解できない」
と言ってLGBTq+の存在を認めようとしなかったり、あるいはステレオタイプでしかマイノリティを認識しようとしない意見もある。
それを受けて、LGBTq+のT、トランスジェンダーである僕が、LGBTq+ではない親や周囲の人と話すときに心がけていることがある。
今回は人それぞれである感覚や価値観を、「共通する感覚」に翻訳して伝えること、またそうすることでLGBTq+のみならず様々な境遇にいる人の助けになれると考える心がけについてお話していこうと思う。
目次
LGBTq+を説明するときに感じるズレとは?
専門用語を使って一般人と話す専門家は、聞き流される

まずはじめに、LGBTq+ではない角度から見てみよう。
僕は現在アート制作をしている作家で、作家になる前は音楽大学で少しマイナーな弦楽器・ヴィオラを専攻していた。
楽器を持って上野を歩くと、土地柄アートに興味のある人が多く、「それ何の楽器?ヴァイオリン?」と声をかけられることが少なくなかったのだ。
「ヴィオラです」と答えるだけじゃ、クラシック音楽やっている人以外はピンとこないんじゃない?
まさにそう。
クラシック音楽をやっていれば当然ヴィオラを知っていないと「プロなのに…?」と思われてしまう。
が、実際には認知は低い。

なので僕は「ヴァイオリンよりも少し大きくて、少し低い音域を担う弦楽器ですよ。オーケストラなんかによくいます」と説明を加えた。
すると少しイメージしやすくならないだろうか?
専門家が「ヴィオラも知らないのですか?西洋音楽の中低音域のヴァイオリン属の楽器ですよ?」と言ってしまうと「何だ偉そうに。知らねーよ!」と反発を煽ってしまう。
専門用語ばかり並べる解説は、プロだけが対象の論文や学会なら時短になるが、ニュース解説など一般人向けには好まれない。
これを踏まえて、LGBTq+について見てみよう。
LGBTq+も専門用語が多い

このサイトではLGBTq+の基本情報から、自分のセクシュアリティを見つめ直すための情報を発信している。
そこでよく感じるのは
「専門用語多いな……解説加えなきゃ」
例えばトランスジェンダーは身体的性(生まれた身体の性)と性自認(心の性とも言われる、自分の性を自分はどう認識しているかのこと)が一致していない状態・人のことを言う。
これを書いているMiyabiは生まれた身体が女性だけど性自認は男性の、トランスジェンダー男性だよ。

僕自身の経験から、「性別に違和感がある気がする…」という「言語化できず人に相談しづらい」状態かつLGBTq+の知識がまだない人に、「こうかな?こうかな?」と情報を伝え、それをヒントとして活用していってほしいので、専門用語を提示しつつも、それの解説を入れながら書いていくスタイルを通している。
感情に名前を付けるように、「心では男なのに、身体が女で違和感がすごい」「もしかしたらトランスジェンダーかもね。トランスジェンダーはこうこうこういう人のことを指す言葉だよ。もしそれにも違和感があるならジェンダー意識の問題かもよ」とする事で、自分自身に納得することができるからだ。
一方でトランスジェンダーではない人にとっては「生まれた身体の性別と性自認が何で違うのさ?」という疑問がまず発生するだろう。(実際、僕も親に質問された)
「トランスジェンダー」「LGBTq+」「性自認」などの単語の他に、こういう感覚の部分も、ある意味専門用語の状態なのだ。
LGBTq+の僕が、周りと対話するときに心がけていること
「価値観」自体ではなく、「そういう価値観がある」ことに納得してもらう

「LGBTq+を理解する」というと、同じ価値観を持たないといけないのではないか、と思われる人もいる。
が、実際には「価値観」そのものに「分かる~」というよりも、「こういう価値観があるよ」「あなたの価値観でいえば、○○といったことに当てはまるかも」という所に「分かる~」を求めているのだ。
納豆が理解できない外国人に対して「日本では納豆は珍味でもなんでもなくて、普通に、パンにピーナッツバター付けるみたいな感覚」って説明すると、「納豆は臭くて無理だけど、日本人がどんな感覚で食べているかは理解できた」って言ってもらえる。
……って感じかな?
僕は帰国子女でもあるので、「日本はなんで平仮名・カタカナ・漢字って文字がたくさんあんねん」「日本はなんで旧字体があんねん」「日本はなんで海苔食べんねん」などなど、「そういえば……」という疑問も帰国当初は本当に目に付きやすく、日本文化や歴史に興味を持ってずっと調べていたりした。
諸外国と日本では文化が違ったり、あるいは影響を受け合った末、その国独自の進化を遂げたりする。

ここで文化摩擦が起こって「あの国はおかしい」と言い出す人もいる。(上の画像でいうと箸がクロスしてしまってる…などの文化の行き違い)
だが「あの国がこうするのは、こういう慣習があるからだ・ないからだ」「日本で言うと、○○が当てはまる」などが分かると、自分ではやらなくても「なるほどな」と理解はできるようになるのだ。
LGBTq+も同じだと思う。

「同性を好きになる気持ちが分からない」であっても、「誰かを好きになる気持ちは分かる」「大切な存在がいる、という思いは理解できる」と翻訳できる。
「身体と心の性別が一致しないのが分からない」であっても、「思っていることと実際にやったことが、何か違う」「思ったように身体が動かない」という身体と心が一致しない感覚は誰にもあるだろうし、「自分は本当はこうなのに、周りは見た目でしか自分を見てくれない」「名前を何度も呼び間違えられたら「は?」と思う」という自己認識と他人の認識との食い違いが歯がゆい気持ちも分かるだろう。
気持ちや価値観をそのまま伝えるのと同時に、「相手の価値観に翻訳するとしたら?」を伝えると、意思疎通も前よりも上手くいくと感じる。

また、これを拡大していくと、例えば電車で、子どもが苦手な自分の近くに子どもを連れた親が乗ってきたとき、
「自分は子ども苦手だけど、この親御さんにとってこの子どもはとても大事な存在だろうな」「子育ては大変ってよく聞くから、ここで「何で乗ってきた……」という空気を出すと親御さんにとってストレスになるだろうから、「何でもないですよ」って空気出そう」「この前読んだ漫画で主人公は子どもを大事にしていたな。自分も大事なものや存在はあるから、他人の大事な存在も大切にしなきゃな」
とできる。
LGBTq+以外でも、全人類が実践できるうえ、敵対ではなく対話の第一歩になる。
礼儀正しく、を心がける

礼儀正しく、というのも僕が心がけていることの1つだ。
LGBTq+だったりアート作家だったりというのは、人口が少なかったり、業界が狭かったり、あるいは目立ったりする。
ある時期では事件の容疑者にオタク趣味があったりすると、そこだけをセンセーショナルにニュースで取り上げられたりした。(読書・散歩・スポーツなどの趣味は報道されない)

逆に言えば、「ありがとうございます」「よろしくお願いいたします」とあいさつを大事にしたり、笑顔やお辞儀などのボディランゲージを大事にしたりすると、「マイノリティだから初めはどうかと思ったけど、けっこう良い人だ」という印象を与えたり、場合によっては味方になってくれたりする可能性が高くなるということだ。
何より飲食店や病院、乗り物などで自分に必要なことをしてくれた相手にお礼を言うと、相手の人にも喜んでもらえるのではないだろうか。
そうなると僕も嬉しくなる。
マイノリティも社会の一部であるので、共に良い循環を作りたい・敵対ではなく対話がしたいという思いにも添う。
まとめ

今回はLGBTq+を始めとしたマイノリティを理解するとは?実際にマイノリティの僕が心がけていることとは?についてお話してきた。
世の中にはリンゴが好きな人もいるし、嫌いな人もいる。普通の人もいる。
あるいはアレルギーでリンゴを食べられない人もいる。
だからといって「リンゴ農家はいらない!潰せ!」と主張できるわけではない(リンゴ農家は食べる人にとって必要)し、かといって「アレルギーか嫌いか知らないけど、リンゴを食え!!」と強要できるわけでもない。
それと同じだ。

リンゴは食べられないけどミカンは好きな人なら「僕がミカンを必要なように、あの人はリンゴが必要なんだな」と考えれば、それは「理解」だ。
または「自分はアレルギーはないけど、アブに刺されたら腫れあがって痛くなるみたいに、自分の気持ちに関係なくツラい症状が出てしまうみたいだから、食事会を開くときは事前に参加者にアレルギーあるか聞いておこう」と、具体的な対策をとれて、事故が起こるのを防いだり、「あ、○○料理食べるんならアレルギーなんで不参加で……」というガッカリも防ぐことができる。
選択肢をしぼったり、あるいは2択しかない世の中は生きづらい。
選択できる権利のある世の中が良い。