
こんにちは、Miyabiだ。
LGBTq+、女性、外国人、地元ではないところから来た人、身分の低い人、何か障がいを持っている人、未婚の人、などなど、マイノリティとされる人は昔も今も、何らかの形で存在している。
現代の日本では身分制はないから「身分の低い人」は存在しないよね。
でも昔はマイノリティとして存在してたんだよね。
美少年くんの言うように、制度の変化によって消滅するマイノリティもあるが、同時に「役職が低い人」「目下の人」のように、軸となるものが変化しただけで同じような価値観がこびりついている場合もある。
では、マイノリティとなった人はどうすれば良いのだろう?
「マイノリティv.s.マジョリティ」という構図は、本当に正しいのだろうか?
そもそも「マイノリティ」「マジョリティ」とは何だろう?
今回は、それらを見ていこう。
目次
マイノリティ「とされる人」?
アジア人は「マイノリティ」扱い?

そういえば、日本人も含まれる「アジア人」は「欧米人」「黒人」に比べて「マイノリティ」とされる。
現代アートでは「マイノリティにも目を向けよう」という趣旨で、アジア圏の人や色んな土地の先住民族の人にアートディレクターを任せるフェスが開催されることが増えた。
このことから「日本人もマイノリティなのかー」と少し悲しく感じたり、頑張ろうと思ったりするのだ。
ここで言葉の意味を確かめると、「マイノリティ」とは「少数派」のことで、「マジョリティ」は「多数派」のことを指す。
だがここで疑問が浮かばないだろうか?
「世界の国の人口ランキングトップ2である中国やインドという国がアジア圏にはあるのに、アジア人は「マイノリティ」というのは一体どういうことだろう?」

日本の人口ランキングはーーーーーあっ、11位なんだ?
けっこう順位高いね。
ドイツやスペインなどのヨーロッパ諸国は、面積が狭い+人口密度が低いということで、日本よりもだいぶ人口が少ない。
だが世界ではドイツやスペインが「マジョリティ」、日本や中国は「マイノリティ」として扱われている事実がある。
少数派・多数派っていう言葉の本来の意味で考えると「今回は人口3位のアメリカと比べるから日本はマイノリティ」「今回はドイツと比べるから日本はマジョリティ」のように変化するはず。
でも実際は「日本は世界的にマイノリティ」って絶対評価なんだね。
「マイノリティ」「マジョリティ」の不思議現象はこれだけではない。
もう1つ見てみよう。
マイノリティでもあるしマジョリティでもある人?

僕は帰国子女でLGBTq+で大学ではマイナーな楽器を専攻していた、という「マイノリティの玉手箱や」状態の人だ。
ここで不思議なのは、「日本に住んでる日本人」というマジョリティ状態も僕は同時に持っている、ということである。
結局Miyabiはマイノリティなの?マジョリティなの?
分かりやすいように「帰国子女」という特徴だけを振り返ってみよう。

外国に住んでいたときは「日本人=外国人」だったので、当然のように外国人の子どもが通う学校に行っていた。
学校では「マイノリティ(=外国人)なのは当たり前」状態でむしろ「外国人=マジョリティ」だったのだが、帰宅して親といっしょに地元の市場なんかに行くと「おっ、外国人だ」「地元のやつじゃないぞ」「伝統的な工芸品を紹介したら喜ぶかも!」「ぼったくれるかも!」などなど、「外国人はこういう人なはず」という視線をびっしり感じる体験だった。
日本に帰国すると「日本人=マジョリティ」ということになったのだが、「お前帰国子女なの!?」「英語しゃべって」「目線合わせすぎ、怖い」「日本語の発音おかしいー!」というように「帰国子女」というマイノリティが生まれた。

これだけ見るともうお分かりなように、あなたがいつ・どんな環境にいるかによって「マイノリティ」と「マジョリティ」は入れ替わるし、「日本人として見るとマジョリティ」と「帰国子女として見るとマイノリティ」のように観点が変わるとマイノリティ・マジョリティもあなたの中で同時に存在することになる可能性があるのだ。
外国人も、国的に見るとマイノリティで、外国人学校的に見るとマジョリティだもんね。
マイノリティ・マジョリティの本当の意味

不思議現象を2つ見たところで、マイノリティ・マジョリティの本当の意味を考えていこう。
単に人数の多い・少ないではない。
マイノリティの人はマイノリティだけを、マジョリティの人はマジョリティだけを受け持っているわけではない。
とすると、答えは
その社会が「常識」「勝ち組」としていること・したいことを「マジョリティ」、それ以外を「マイノリティ」と言う。
こういうことになる。

えっ
それじゃあ国とかが印象操作してるかも、って話にならない?
かつてナチス・ドイツが純血のドイツ人を「マジョリティ」として誇りを持たせ、ユダヤ人・障がい者・ヒトラーが好きじゃないタイプの作品をつくるアーティスト・同性愛者などは「マイノリティ」として強制収容所→ガス室に送った歴史がある。
ので、国家による印象操作にも使えてしまう怖い点もある。
だがしかし、そんな壮大な規模でなくても、個人の単位でも「常識・勝ち組をマジョリティ」「常識の範囲外・負け組をマイノリティ」と言ってしまうことがある。
「帰国子女は目を合わせてくるから怖い」、など。
悪気が全くなくても、だ。
「マイノリティ」とされる人と「マジョリティ」とされる人が思いを共有できる世界

マイノリティとされる側については、思いっきり偏見が含まれる場合が多い。
- 「日本だから侍・忍者・アニメ!」というだけの映画が「コイツちゃんと調べてない」「日本のこと知らないだろ」観あふれる
- 障がいを持つ人を「かわいそう!」という視点だけを紹介するから「感動ポルノってなんか嫌」
- LGBTq+やセクシュアル・マイノリティを「「性に奔放」「いやらしい」という印象だけで語っていない?」
などなど。
日本の歴史や文化をちゃんとリサーチした映画なら、たとえ脚色やファンタジー化されていても「馬鹿にされてない」と僕らには分かるものだ。

マイノリティの元の意味が「少数派」であるので、「少ないってことはテンプレでも問題ないよね」と思い込みだけで来られることがある。
だが、働きアリの法則のように、どんなに小さい集団にも「ちゃんとしてる人」「ちゃんとしてない人」「良い人」「悪い人」「天才」などの特徴は出る。
しかも「同じ人がマイノリティの面もマジョリティの面も持つ」ということが分かっているので、「マイノリティ」として紹介されたとしても、どこかにマジョリティ的な面、あるいは「自分と同じ!」と感じる面がある可能性が高い。

だから「マイノリティ」「マジョリティ」はほんの一部の特徴として、大げさに受け止め過ぎず他の面にも着目しようとすれば、結果的にマイノリティとマジョリティは思いを共有できるはずだ。
ここを目指して僕はアート作品を制作したり、ブログでLGBTq+の情報を書いたりしている。
マイノリティとマジョリティは1人の人の中に混在するし、環境によって入れ替わると分かっていれば、壁を作ることにこだわるよりも、壁を取り払って自己紹介をすることができるのだ。