こんにちは、Miyabiだ。

突然だがあなたは「性表現」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

性表現……性的表現とは違うんだよね?

そう、美少年くんの言うように、漫画や映画などで規制対象とされる性的な表現……ではなく、自分を相手の人・社会に向けて出すときに、ファッションや言葉遣いなどをどのジェンダーを意識したもので表現をするか、ということを意味する。

LGBTq+に関係する言葉でもある。

といっても、この説明だけでは難しくて納得・理解がしづらい(LGBTq+の当事者の僕も「なるほど」となるまで時間がかかった)。

なので今回は「性表現」について、例えなどを出しつつ、分かりやすく解説していこうと思う。

「性表現」って何?

あなたは普段、どんな服を着るだろう?

スーツ?Tシャツ?ワンピース?パンツスタイル?スウェット?ジャージ?

オシャレな人も「ファッションとか興味ない」という人も、自分が着る服に関して何かしらのボーダーラインを引いているのではないだろうか?

「ダンディなのが好き」という人であれば、外用のダンディ服も家用のまったり服もあるだろう。

が、そこには「スカート」「ハイヒール」というアイテムは除外しているのではないだろうか?

だってダンディだもんね。
スカートやハイヒールがあったら「レディ」だよ。

では使う言葉や仕草はどうだろう?

ダンディは「あたしは」とは言わなそうだし、内股よりも外股で構えそう……

つまり「ダンディ」というモノを表現するために、「女性の着るもの・女性の言葉遣い・女性っぽい仕草」を除外している、ということだ。

ファッション、言葉遣い、仕草などの表現には、その社会の決めた「男はこう」「女はこう」といったジェンダー観が反映されているのである。

確かに僕もスカートははかないかも。
…ねぇ、「その社会の決めた」って何?

「ジェンダー」という言葉は「その社会が歴史的・文化的に「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」とされている性別ごとの役割」のことを意味する。

なので美少年くんが「美少年っぽく、スカートははかないよ」と言ったとしても、「伝統的な衣装で、男性はスカートを履きます」というスコットランドではまた違った価値観になる、ということだ。

性自認とは関係あるの?

「ダンディ」「美少年」などと言った理由

ここまで見てきて、こう思った方はいないだろうか。

「「ダンディ」とか「美少年」とかの外見のジャンルで説明してるけど、何で「男性」「女性」って性別で言わないの?」

そう、ここはわざとそうしている。

「男性」「女性」と一言で言えてしまう言葉だが、実はこの言葉は意味が曖昧になってしまうのだ。

人には誰しも「身体的性(生まれた身体の性)」「性自認(自分のことをどの性として認識しているか)」の2つのアイデンティティを持っている。

なので、男女観がはっきりしている枠組みである「ジェンダー」と違い、自分らしさを説明するたくさんの単語の1つとして「男性」「女性」が存在しているのだ。

僕自身を例に出すと、身体的性は女性、性自認は男性、性表現は男性、ということになる。

「「男性」「女性」だからこの服装」とか言うと、身体的性として言っているのか、性自認として言っているのかごっちゃになる、ってことだね。

もっと言うと、「ダンディなのが好き」と言っている人が「身体的性は女性、性自認も女性、性表現は男性」という場合も想定できるのだ。

「ダンディ=男性的な性表現」である以上「性表現は男性」はほぼ固定だが、他のセクシュアリティに関しては無限の組み合わせが可能となる。

性自認との関係

Miyabiが性表現・男性なのは性自認が男性だからだよね?

そう、僕はトランスジェンダー男性なので、それに合わせて性表現も男性にしている。

では「性自認」と「性表現」の性別はイコールになるのだろうか?

先ほど「ダンディ好きなシスジェンダー女性(シスジェンダー=身体的性と性自認が一致している人)」の例を見ると分かるように、必ずしもイコールである必要はない。

宝塚で男性役をする宝ジェンヌが、皆が皆「性自認が男性」というわけではないし、歌舞伎の女形が必ず「性自認は女性」というわけでもない。

宝塚も歌舞伎も、性表現の問題だ。

現実世界でも、マツコ・デラックスさんが「あたしはゲイだから」という発言からみるに、

  • 「ゲイ」とは「性自認が男性の人が、男性を好きになる性的指向(恋愛対象などの意味)」を指す単語。
  • 「ゲイ」と自己紹介をしている以上、マツコさんは「性自認=男性」となる。
  • 一人称が「あたし」だったり、女性らしいドレスを身に着けたりしているところを見ると、「性表現=女性」となる。

以上の特徴を読み取れる。

マツコさんはドラァグクイーン的なタレント、ということだ。

ドラァグクイーンとは、「女性性を極端に表現することを題材にパフォーマンスをする人のこと」を言うよ。
ゲイ文化の中で生まれたけど、ドラァグクイーン自体は「性表現」について表現しているパフォーマーなんだ。

僕はトランスジェンダー(身体的性と性自認が一致していない人)なので、世間に「男性」として扱われるために「性表現=男性」として生きている。

が、自分としては「自分が男性である」前提さえあれば「性表現=女性」でも差し支えないので、女装も良いよな、と感じている。

「トランスジェンダー」とカミングアウトできる前は、身体的性に合わせて性表現を女性にして自分を殺していた過去がある。

と言うように、性表現は「性自認」や「身体的性」に合わせる人が大半だが、状況や表現ツール、あるいは好みや気分などによって「性自認」「身体的性」を無視しても良いものなのだ。

ノンバイナリーの性表現は?

ノンバイナリーとは、「性自認や性表現」について「男女の性別で考えるのはおかしくない?」ということで、性別観を抜きに「自分らしさ」を基準に選択する人のことを言う。

なのでノンバイナリーの性表現は「男性」「女性」というようにはならない。

ではどうなるのかと言うと、最初の方で言ったように「ダンディ」「モダン」などの見た目ジャンルで好みのものを選ぶのだ。

人によっては中性的な感じだったり、ジェンダー的に「男性っぽい」とされるもの「女性っぽい」とされるもの両方とも取り入れる人もいる。

人によるね。
「ダンディ」って言っても「男性ぽいから」というよりかは、「ダンディと言われるファッションアイテムが自分の好みだ!」って価値観かな。

ここで出した性表現の種類はほんの一部であるが、ノンバイナリーは「性表現=ノンバイナリー」ということだ。

僕が「これは男性だけど、スカートを取り入れるとロックパンクとなるか、女性っぽいってなるか微妙なライン……」と性別ボーダーラインで悩んでいるところ、ノンバイナリーの人は「これは自分らしいか、らしくないか……」と性別に関係ない全く別のボーダーラインで判断している。

性表現は自由

会社員はスーツにネクタイ、オフィスライクな服装、という規定が社会的にある。

看護師も白い看護用の制服がある。

これらを着ると、「会社員らしい人格」「看護師らしい人格」スイッチが入って、普段着だったら絶対使わない言葉遣いや気遣いもできてしまう。

また周りの人も、「会社員かな」「看護師さんかな」と信用したり、「看護師さんなら具合が悪いのなんとかしてくれそう」と専門を判断したりできる。

そういった現象は、性表現と似ていると思う。

性自認も身体的性も男性のシスジェンダーが、性表現を女性にすることで「普段のままだと内気だけど、女装をすると外向的になれる」のような現象がある。

また僕のように、「性表現を男性」にすると「この人は男性として扱って良いんだな」と周りの人に認知してもらうことができるのだ。

TPO的に「会社では下着が見えないように」「ドラァグクイーンでパフォーマンスするときは誰よりも目立つように」などの規定がある。

だが、その根本の「性表現」でどの性別、あるいはノンバイナリーを意識するかは自由だと考える。

まとめ

今回は性表現についてお話してきた。

人間誰しもが持つ「セクシュアリティ」または「セクシュアル・アイデンティティ」には

  • 身体的性…生まれた身体の性(男性、女性、インターセックスなど)
  • 性自認…自分をどの性として認識しているか。「心の性別」とも言われる(男性、女性、Xジェンダー、ノンバイナリーなど)
  • 性的指向…自分がどの性に対して恋愛感情・性愛感情を抱くか、あるいは抱かないか
  • 性表現

の4つがある。

この4つ目の「性表現」は少し難しいな、とLGBTq+について学び始めた頃に実際に感じたことだったので、今回取り上げてみた。

テレビタレントの中では「女装(性表現が女性)」と言うだけで「ゲイだ」と決めつけられる人がいたり、性表現と性自認、または性表現と性的指向がごちゃ混ぜになっている印象がある。

その影響か、自分自身のアイデンティティについて考えるときに「あれ?恋愛対象は男で自分のことは女だと思うけど、でも男っぽい感じの服とか言葉遣いとかしたい自分は何??」と混乱している人も少なくない。

なので1つずつ丁寧に説明するのも大事だな、と感じたのだ。

僕は人物画を描くのだが、「絵」として真っ先に目に付くのは、視覚情報である「性表現」だ。

なので、「身体的性」「性自認」も大事にはしているけれど、「性表現」についてもかなり考えて作品を制作している。