こんにちは、Miyabiだ。

先日ドナテッロのダビデ像についてご紹介したが、今回はレオナルド・ダ・ヴィンチの直接の師匠であり、ルネサンス期にフィレンツェで工房を構えていたアンドレア・デル・ヴェロッキオについて見ていきたい。

ヴェロッキオはレオナルドの他にもボッティチェリの師匠でもあるよね。

漫画家・かわぐちかいじ先生の「COCORO」という漫画で若きレオナルドがヴェロッキオ工房に入門するシーンがあるが、当時の工房の雰囲気がどんな感じなのか体験できるのでおすすめだ。

で、そんなヴェロッキオだが、そのまた師匠(とされている)ドナテッロに負けず劣らず、美少年・ダビデ像を制作している1人でもある。

ヴェロッキオのダビデ像~初期の傑作~

まずはこちらを見ていただきたい。

ヴェロッキオ「ダビデ像」(1473~1475年)、フィレンツェ、バルジェロ美術館(Rufus46)

こちらはヴェロッキオが40代のときに制作したダビデ像だ。

ダビデは聖書に出てくる英雄で、ゴリアテを倒した人だね。

そう、一介の羊飼いだった美少年・ダビデが、敵の巨人・ゴリアテを石ころ1つで斃した物語だ。

これはゴリアテの首がダビデの足元にあるので、闘い終わり、首を討ち取った直後の勇ましさを感じる作品となっている。

↓ダビデについて、詳しくはこちらの記事に書いてあるので見ていただきたい。

ヴェロッキオはこのダビデ像を、フィレンツェの有力者であるメディチ家から注文を受けて制作した。

ドナテッロのダビデ像からの影響

あれ、メディチ家から注文されて創られたダビデ像って、もう1つ無かったっけ?

そう、美少年くんの言うように、ヴェロッキオの30年ほど前にもメディチ家はダビデ像をとある工房に注文していた。

ドナテッロだ。

「ダヴィデ像」、バルジェロ美術館 (Patrick A. Rodgers)

シーンは同じだけど、雰囲気が違うね。

ドナテッロはヴェロッキオの師とされる人だが、注文主が同じということもあり、ヴェロッキオのダビデ像がドナテッロのダビデ像を参考にしているのが伺える。

足元にゴリアテの首が転がっているところだったり、片足重心(コントラポストという)になっていて、棒立ちではなく、胴体に動きが出ているところなどだ。

だがドナテッロのとは違い、ヴェロッキオのダビデ像は衣服を身に着けている。

↓ドナテッロのダビデ像についてはこちらの記事を参考にしていただきたい。

メディチ家は、一見非力だが、巨人を単身で斃したダビデとフィレンツェを重ねていて、フィレンツェ市民にとっても重要な意味をダビデ像は持っていた。

またヴェロッキオのダビデ像は、弟子であるレオナルド・ダ・ヴィンチの姿をモデルにした説も残っている。

同輩の弟子・ミケランジェロのダビデ像へ

フィレンツェにはもう1つ有名なダビデ像がある。

ミケランジェロのダビデ像だ。

ミケランジェロ「ダビデ像」(1501~1504年)

ドナテッロ、ヴェロッキオの美少年とは違い、ミケランジェロのダビデ像は美青年だ。

しかも前の2人が闘い終わって誇らしげな様子を描写しているのに対して、こちらは目線の先に巨人・ゴリアテを見据えた戦闘前の緊張した雰囲気を醸し出している。

また、ミケランジェロのダビデ像は先行2作とは違って、巨大なものだ。

片足重心は健在だね。

ヴェロッキオの同年代に活躍した画家にギルランダイオがいる。

ミケランジェロはギルランダイオの工房出身だった。

ドナテッロのダビデ像(1440年代)→ヴェロッキオのダビデ像(1470年代)→ミケランジェロのダビデ像(1500年代)と、30年刻みで同じフィレンツェで創られている。

ので、これらのダビデ像を見ると、ルネサンス彫刻の移り変わり、フィレンツェの政治情勢の変遷をみることができる。

メディチ家は1490年代にロレンツィオの死とともにフィレンツェにおける力が急速に失われてしまったんだよね。

そう、ミケランジェロ当時のフィレンツェは市民がメディチ家を追放し、共和制を保とうとしている頃だ。

ダビデ像の「小さい少年だけど、知恵と技術で巨人・ゴリアテを斃した」部分が「フィレンツェ」という国家に重ねられていたので、イタリア乱世中に共和制になったフィレンツェにとってもダビデ像は重要だったと考えられる。

レオナルド・ダ・ヴィンチとヴェロッキオ

ヴェロッキオといえばこちらの絵画。

「キリストの洗礼」

これはヴェロッキオ1人ではなく、同輩や弟子で腕の利く画家たちの共作絵画となっている。

左下にいる横顔の天使が弟子・レオナルド・ダ・ヴィンチの作で、これを見たヴェロッキオが「もう絵描かない……」と筆を折った……

と、言われたりしているが、実際のヴェロッキオは晩年まで作品を精力的に制作している。

ヴェロッキオの肖像

当時の画家・彫刻家はギルド制の中で職人としてなりたっていたので、

「弟子のレオナルド、絵上手いじゃん!

俺、彫刻の方が専門だし専念したいし、絵画の注文が来たらレオナルドに担当してもらえば良くない?」

という感じだったように思われる。

社長が工場で全ての監督・制作をしていたのが、若き技術者が育ったことによって、自分は自分の仕事に専念するようになった……とイメージすると分かりやすい。

まとめ

今回はヴェロッキオとダビデ像についてお話してきた。

ヴェロッキオ「イルカと天使」

ダビデ像と同年代に創られたもう1つの傑作「イルカと天使」。

ヴェロッキオは彫刻専門だったこともあり、彼の代表作は彫刻作品が多い。

近代以降「画家」「彫刻家」など名称が分けられているのが、ルネサンス期のギルドでは「どっちも受注します!」と組織だって制作していた。

最近、現代アーティストも会社やグループを結成して、自分の企画した作品の下絵を塗り方指定や色指定して社員に実際の制作をしてもらったり、あるいは絵画も彫刻もインスタレーション(場所そのものを作品化する作品)も制作するアーティストがいたりする。

ルネサンス期のギルドが職人なら、現代ではギルドシステムは採用しつつもアートを創る、というのが多い気がする。

何故ならギルドシステムは大きい作品を効率よく創る小さい作品でも手を抜かずにたくさん受注するのに向いているからだ。

大きい作品と言えば、彼は聖堂の天頂部に設置する十字架と球を制作している。

そんな感じでヴェロッキオから現代が見えたりした。

またヴェロッキオは生涯独身だったので「同性愛者ではないか?」と言われているが、これについては真相は明らかではない。

だが弟子のレオナルドは男色の罪で裁判に掛けられたりしている。

当時は同性愛は罪だったので、もしこのときレオナルド・ダ・ヴィンチが有罪になっていたら、火あぶりの刑になっていた。

ので、この時代の人は表立って「同性の恋人・愛人がいます」と言えなかったこともあり、本当に同性のパートナーがいたとしても有力な資料というのは残りづらい。

とはいえ、20世紀にもなるとライエンデッカーのように同性のパートナーとともに美青年イラストを制作する人が出てくる。

他にも生涯独身で美少年画を描いたグイド・レーニなどもご紹介しているので、良かったらご覧いただきたい。