
こんにちは、Miyabiだ。
皆さんは「アライ」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
新井さん?
…いや、誰かの苗字ではない。
アライというのは「LGBTq+を理解する人、支援する人」のことを言う言葉だ。
「LGBTq+」は現在では普通に聞く言葉にはなったけれど、「アライ」はまだまだ世間での認知度が低いのが現状だ。
今回は、アライとは何か?どうしたらアライになれるか?についてお話していこう。
目次
「アライ」とは?

「アライ」というのは英語の「ally」から来ている。
allyとは「同盟」や「支持者・協力者」という意味であり、転じてLGBTq+の当事者の味方になったり、LGBTq+に対する差別を撤廃しようと考える人のことを指すようになった。
始まりは80年代のアメリカの高校で、ヘテロセクシュアル(異性愛者)の人が同性愛者に対する不当な差別や嫌悪を無くそうとして作られたサークルに起源があると言われている。
つまり、ヘテロセクシャルのシスジェンダー(生まれたときの体の性別と性自認が一致している人)の人で、LGBTq+を理解しようとしてくれる人のことなんだね。
そう、美少年くんの言う通り、LGBTq+やセクシュアル・マイノリティに属さない人たちで「LGBTq+に対する扱いが不当だよな」「同じ人間なんだから、対等に接したい」「ちゃんと理解したい」と思っている人を「アライ」と総称する。
LGBTq+やセクシュアル・マイノリティ当事者でも「アライ」?

最近では、LGBTq+やセクシュアル・マイノリティの当事者でも「アライ」と言うことがある。
「え、当事者なのに「理解したい」ってどういうこと?」
そう思われるかもしれない。
だがLGBTq+やセクシュアル・マイノリティをよく見てみると、ヘテロセクシャル、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、アセクシュアルなどなど、色んな性的指向がある。
性自認に関しても男性、女性、Xジェンダーなどなど。
クエスチョニングやノンバイナリーの人もいる。

つまり「LGBTq+やセクシュアル・マイノリティ」と一括りにされてはいるものの、自分とは全く違うアイデンティティの人もいるのが現実だ。
同じ「音楽好き」でも、クラシック畑もいればパンクロック畑、テクノ畑、民族音楽畑などなどがいるっていうのと似ているね。
トランスジェンダー男性である僕からすると、トランスジェンダー女性、Xジェンダー、ノンバイナリーの人、レズビアンの人のことを理解するのは困難となる。(当事者ではないからだ。)
でも「その当事者ではないけど理解したい」という思いがあるので、僕はLGBTq+に当てはまるけど「アライ」だと考えるし、「アライ」でありたいと思う。
アライになるには、どうすればいいの?

ここまで見てきて「自分もアライになれたらいいな」とお考えの方も多いだろう。
ではどうすればアライになれるのだろう?
何か特別なことをしなくてはいけないのだろうか?
社長になったり政治家になったり…?
ではここで、目の前に今まさに知り合いが「自分、LGBTq+なんですよ」とカミングアウトしてきたと想定しよう。

「この人は名前とか愛称とか、どういう呼び方をすればいいのだろう?」
「「こういうとき困るから、助けてね」ってシチュエーションがあったりするのかな?」
など、LGBTq+に関係しそうな質問がわくかもしれない。
あるいはそもそもLGBTq+とか抜きにして「好きな映画とかあるのかな」という質問が浮かぶかもしれない。
きいてみよう。
そしてもしも誰かに不当な扱いや差別をされているときには、味方になろう。
あれ?
友人として、家族として、同僚として、普通のことじゃない?

そう、アライは何も特別なことではない。
友人として、家族として、同僚として、人間として普通のことなのだ。
「LGBTq+」「セクシュアル・マイノリティ」というだけではく奪されている「普通」を、「同じ人間だから」と普通にしてくれる。
分からなかったら、「あなたはどうなの?」と質問をして、知ろうとする。
LGBTq+だから、LGBTq+ではないから、などと関係なしに、あらゆる人の価値観と向き合おうという姿勢を示すのが、アライだ。
そしてこの姿勢は、外国の人と接するとき、障がいを持った人と接するときでも同じことだと感じる。
目の前にいる人がLGBTq+か分からないけど、アライって伝えるには?

先ほどは、「自分はLGBTq+なんです」とカミングアウトされたときを想定して考えた。
では目の前にいる人がLGBTq+かどうか分からないときは、アライはどうすれば良いのだろう?
「LGBTq+ですか?」っていう質問はセクハラだしねぇ…
かといって「LGBTq+です」と言われてからアライぶると、とても微妙な空気が流れてしまう…
ここで重要なのは、アライは「あらゆる人の価値観と向き合う人」だということだ。
目の前にいるのがLGBTq+だろうとなかろうと、基本姿勢はぶれない。
話すときには
- 「彼氏・彼女」という言葉を使わず、「恋人」「パートナー」と言う。
- 「お嬢さん・息子さん」と言わず、「お子さん」と言う。
- 「レズ」「ホモ」「オカマ」「オナベ」ではなく、「レズビアン」「ゲイ」「トランスジェンダー」「クロスドレッサー」などの言葉を使う。
- 「男らしい」「女らしい」「男なんだから」「女なんだから」とせず、「あなたらしい」とする。
と言うだけでも、近くにいるかもしれないLGBTq+やアライの人に、良い印象や安心感、信頼感を与えることができる。
昔は「父兄」って言っていたのが、今では「保護者」って当たり前に言われるようになったのと似ているね。
子どもを育てるのは実の親、育ての親、親戚、育ての先生などなど、たくさんいるのが認知されたからだね。

その人がどういう言葉を使っているかが気になるし、「アライだな、信頼できるな」と思う重要な指標になる。
言葉って大事だ。
伝統的にきれい、国語の教科書的にきれい、というよりかは「相手や周りに対してきれい」な言葉を使おう。
他にもレインボーステッカーを貼ったりする方法もある。
まとめ

今回はアライについてお話してきた。
パンデミックによって「オリンピック?今年はなんか興味ないや…」という印象だが、ことLGBTq+は「オリンピックで国外に対して日本を見せる機会だから、LGBTq+や女性、外国人に対する人権問題も何か進展があるかもしれない」と注目している人も多いことだろう。
かつて女性が家庭の呪縛から解かれ、ドレスからパンツスタイルに移行できたのも、理解のある女性のみならず、理解のある男性の協力もあったからだ。
第二次世界大戦では日本の外交官・杉浦千畝が、日本の同盟国だったナチス・ドイツに迫害されて逃げてきたユダヤ人難民に対して、政府に違反してまでビザを発行した。
「マジョリティ」「当事者ではない」とされている人の協力や助けがあって、初めて救われる。
何故なら、「マジョリティ」「マイノリティ」の枠を超えて、「同じ人間だから」という意識が重要なカギになっているからだ。

というと、アライになるにも特別大変なことをしなくてはいけない気がするが、そうではない。
僕の母も「アライになろう!」としたというよりかは、「自分の子どもについて知ろう」として、いつの間にか「アライ」と言われる人になった。
ビザ発行した杉浦千畝は当時の男性には珍しく、女性である夫人の話をきちんと聞いて受け答えをするような人だったという。
身近な家族や友人からでも救われる人はいる。