
こんにちは、Miyabiだ。
最近「ノンバイナリー」という言葉が人気を集めている。
日本でも芸能人のカミングアウトがあったね。
と同時に増えたのが、
「ノンバイナリーって意味が分からない」「理解できない」「考え方とか分かりやすく」
という検索だ。(LGBTq+やトランスジェンダーの検索よりも、検索者の「分からない…」度が高い傾向にある)
なので今回はノンバイナリーについて、基本的な考え方、理解を可能にするにはどうすれば良いか、などについて丁寧にお話していこう。
目次
ノンバイナリーって?考え方は?

僕自身はトランスジェンダーだが、ノンバイナリーではないので「ノンバイナリーって何だ??」と難しく思う気持ちはとても分かる。
実際どんなことも、当事者じゃないとカンペキに把握なんてできないもんね。
だが当事者でないからこそ「意味わかんないからパス!」とすると、すごくムズがゆい。
もしかすると親友になれた人かもしれない…とか考えてしまう。
とにもかくにも、よく分からない原因は「英語だから」というのもあるだろう。
まずはそこから見てみよう。
ノンバイナリーの意味とは?

ノンバイナリーというのは英語をカタカナにしたもので、「ノン」+「バイナリー」と組み合わされた単語だ。
ノンはnon-、「~じゃないよ」ってことだね。
……バイナリー…?
オシャレな歌の歌詞に出てきそうだけどよく分からない英語トップ10に入りそうな「バイナリー」。
これは「binary」という単語で、「2つの要素で構成されているもの」という意味を持つ。
つまり、
「2つの要素で構成されているもの」「じゃないよ」
という意味なのだ。
2つの要素で構成?←性別二元制の話

ノンバイナリーは広義の「性別」に対しての言葉なので、ここで言われる「2つの要素」というのは「男」と「女」ということになる。
「性別は男か女のどっちか」で社会の多くが構成されていて、
- 生まれたときに親や医者によって戸籍を「男」「女」に決められる。
- 外のトイレは「男性用」「女性用」のどっちか。
- 「女の子っぽい遊び」「男の子っぽい遊び」「女らしく」「男らしく」という強要。
- 恋愛対象は「異性」「同性」という「男か女」を基準にした考え。
などなどが例としてあげられる。
これを性別二元制という。
だが実際には
- 生まれ持って男性器も女性器も両方ある、あるいは両方ない場合でも、無理やり「男」「女」の2択で戸籍に登録しなければならない(そして赤ちゃんや子どものうちから戸籍の性別に合わせて手術を受けさせられる)
- トイレで「男性で生理のある人」や「見た目が性別曖昧な人」が無視されている、勝手に「性犯罪を犯すのではないか」とレッテルを貼られてトイレで排泄をさせてもらえない、など
- その人の才能や努力を、「男」か「女」かに惑わされたばかりに、潰してしまったり見過ごしてお互いの利益にならなかったりする
- 「異性なら誰でもいい」「同性なら誰でもいい」わけではないのに、「この人だから自分は好きになった」という意見が抹殺されてしまう
などなど、「男か女かの2択にすれば、万事解決!」に簡単になり得ないのも世の中だ。
ノンバイナリーは、この「男か女かの2択」の外側に生きている人だ、と考えると分かりやすい。
「性別」からの解放

日本語の「性別」という言葉はとても広い範囲を示していて、
- 生まれたときの体の性別
- 性自認
- 性的指向
- 性表現
の4つがある。
(↓4つの詳しい解説はこちらを参考にしていただきたい。)
生まれたときの体の性別というのは「事実」なので男性・女性・インターセックスのどれかであることは自分では決められない。
だが残りの3つ、性自認・性的指向・性表現については別だ。

性自認と性的指向は、物心ついたとき、あるいは恋愛をしたとき・しなかったとき、第二次性徴で体の性別に添った成長をしたときに、「自分ってこうなんだ」と自覚するもの。
性表現については、自分の考え方やファッションなどの趣味、パフォーマンス業ならコンセプトに合わせて、自分で選択することができる。
性別には「自分で決められない領域」「自分の中に発見する(自覚する)領域」「自分で決められる領域」があるんだね。
ノンバイナリーはこの性自認・性表現の2つ領域で、性別から解放された自覚や考えを持っているのだ。

「男は理系・女は文系」という迷信があるが、あまりに世の中で本当かのように言われすぎたせいで、特に理系の女性は壁を感じることが多いだろう。
だがノンバイナリーはこういう迷信にも強い。
「男」「女」という枠に自分からはまりに行かないからだ。
あるいは「女なんだからこうしなさい」「男だからこうであるべき」という性別に縛った考え方(これをジェンダーという)に対しても強い。
僕はトランスジェンダー男性なので「男性に見られるように」という考えも含めて髪を短くしている。
ノンバイナリーからすると「髪の長さは(性別で決めるんじゃなくて)自分に似合うかじゃない?」と思われるだろう。
「日本人だから着物じゃなきゃダメ!」「正しい着物の着方はこう!あなたのは間違ってる!」とびくびくするよりも「和服でも洋服でも良いじゃん」「新しい着物の着方があってもオシャレじゃん」と伝統や民族に縛られず、自由にファッションを楽しむ人の感覚に近いかもしれない。
ニュートラルなんだね。
ノンバイナリーの人の恋愛や服は?

ノンバイナリーは性自認・性表現に対して「男女の性別」の枠の外側にいる人のことを言った。
「性的指向が入ってない?あれ、ノンバイナリーの人の恋愛は?」
と思われた人もいるかもしれない。
結果を先に言うと、ノンバイナリーの人の恋愛は人それぞれだ。

ノンバイナリーでない人でも、シスジェンダーの異性愛者でも、結局誰と恋愛するかは恋愛するまで分からない。
「面白い人がタイプ!」と言っても、面白い人なら誰でもいいわけではないし、実際に好きになった人を見てみると「言ってたタイプと全然違うな~」もあり得る。
あるいは自分を異性愛者だと思っていても、次の瞬間、とても素敵な同性の人を好きになる可能性は否定できない。
なのでノンバイナリーの人にも「女性が恋愛対象(ウーマセクシュアル)」「男性が恋愛対象(マセクシュアル)」「男性も女性も恋愛対象(バイセクシュアル)」「性別どうあれ、好きになった人が恋愛対象(パンセクシュアル)」「恋愛感情はわくけど性的な感情はわかない(ノンセクシュアル)」「恋愛感情も性的な感情もわかない(アセクシュアル)」などなどがいる。
(↓こちらはXジェンダーの恋愛についての記事だが、共通する部分の多い内容なので参考にしていただきたい。)
着る服についても同じだ。

性別の外側にいるからと言って、中性的なファッションをする必要はない。
「スーツがカッコイイ」ならスーツ着ればいいし、「スカートがかわいい」ならスカートを履けばいい。
「人それぞれだ」スタンスでいると安定して相手とお話ができるので、「この人はどんな人だろう?」と新鮮な気持ちでいれば、「意味が分からない!」と自分の常識との差で取り乱すことがなくなる。
おすすめだ。
まとめ

今回は「ノンバイナリーってどんな考え方すればいいの?」に丁寧解説するつもりでお話してきた。
僕自身は「男性」という性自認や性表現で生きているが、ノンバイナリーの人の「性別2択にとらわれない・その外側にいる」生き方にもとても賛成する。
自分は男性だけど、他の人に「男性」「女性」を強要したくないし、自分に対しても「男なんだからムキムキにマッチョにしなきゃ」「角刈りにしなきゃ」というジェンダーの強迫観念は無視しても良いものだ、と考えている。
世界にあらゆる可能性があり、その芽を潰したくない、という意味で、僕は「ノンバイナリー的な考え」を意識する「男性」だ。

あなたがノンバイナリーでなかったとしても、ノンバイナリー的な考えは思考を柔軟にしてくれる。
無神論者であっても、食べ物に感謝して「いただきます」を言うのと同じだと思う。
良いとこは取り入れていこう。