こんにちは、Miyabiだ。

バロック期の美少年画家、グイド・レーニはご存知だろうか?

三島由紀夫が「仮面の告白」で好きって言ってた絵を描いた人だね。

そう、活躍したのが1600年あたりのイタリアなので、絵のテーマはキリスト教や神話なのだが、禁欲的な道徳観の中に優雅なたたずまいの美少年を登場させるのが得意な画家だ。

今回はこのグイド・レーニについてお話していこう。

美少年画家、グイド・レーニ

グイド・レーニの美少年ルーツ

三島由紀夫の「仮面の告白」に登場するのはこの絵。

「聖セバスティアヌス」(1615年)

聖セバスティアヌスはキリスト教の聖人だ。

当時キリスト教では同性愛が異端とされていたが、「美しい男性裸体画を合法で描けるチャンス」とばかりに美少年・美男子を得意とする画家がこぞって描いているテーマでもある。

グイド・レーニは1575年生まれ、1642年没のバロック期のイタリアの画家だ。

故郷のボローニャをはじめ、ローマやナポリで活躍し、宗教画、神話画、寓意画を描いた。

同時期に活躍していたカラヴァッジョのように光と影を演出的に使って劇的な画面にするやり方と、少し前の世代の巨匠・ラファエロの優美な調和的画面の両方が合わさったような画風となっている。

「大天使ミカエル」(1636年)

カラヴァッジョは美少年をモデルに風俗画や宗教画などを制作しているし、ラファエロは自身が美男子である。

また、古代ギリシャの彫刻からも影響を受けているので、「均整のとれた人物美」にもこだわりがあるようだ。

これがグイド・レーニが優雅で劇的な美少年を描くルーツとなる。

グイド・レーニとアカデミー

「天上の愛の勝利」(1622年頃)、右はクピドで「地上の愛」の象徴、左は美少年天使でクピドの弓矢を燃やして「天上の愛(信仰のこと)」を示している。

グイド・レーニは考え抜かれた構図と理想的なバランスの人物で人気だ。

ボローニャの画家で古典的な絵を描くカラッチに学び、その門下生たちの中でもすぐに頭角を現した。

グイド・レーニが「ラファエロの再来だ」と当時もてはやされたのも、ラファエロなどの古典を重要視する師匠・カラッチの影響もあると考えられる。

「サムソンの勝利」(1618年)、サムソンとデリラという旧約聖書に登場する物語をテーマにしたもの。

1600年あたりから画家としての仕事を始め、フレスコ画(壁画の画法)や油絵を、教皇や枢機卿といった重要人物から依頼され、多数制作している。

当時の画家は、音楽家や詩人のような「芸術家」ではなく、石工や鍛冶屋のような「職人」という扱いだったんだよね?

そう、美少年くんの言うように、中世ヨーロッパでは画家や彫刻家は活動を開始するのにあたって「ギルド」に登録する必要があった。

正式に「親方」と認められて初めて、自分の工房を持てる。

だがレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠を生み出したルネサンス期を経て、「画家や彫刻家も芸術家なのでは?」という認識が出てきた。

「バッカスとアリアドネ」(1619年)

そこでギルドという徒弟制度で回していた職人的な組織から脱皮しようと、美術アカデミーが生まれる。

グイド・レーニの師匠・カラッチもその先駆けの1人で、カラッチ一族はアカデミア・デリ・インカミナーティを創り、グイド・レーニはそこに入学したのだ。

それまでギルドで

「花を描くときはこの図案の通りに」

「聖人の顔を描くときはこんな感じに」

と、ギルドごとにあった図案集を模写できること、親方のために絵の具を調合しておくことがメインだったものから、

「画家や彫刻家も芸術活動に携わる者だ」

という意識の元、デッサンや解剖学などの基礎的な訓練や、過去の巨匠の作品を模写して技術や「巨匠は何を意識して描いたか?」という思考を自分のものにする練習などを、自分の作品に還元することができるようになった。

「ヨセフとポテファルの妻」(1630年)

19世紀以降のアート史を見るとアカデミー批判もあるが、登場したばかりのアカデミーは美術に新しい風を吹き込む、創造的な実践の場だった。

こういう新たな気風が、グイド・レーニの柔軟な画風を作り上げたと言える。

1つの美少年テーマを複数枚描いた

先ほどご紹介した「聖セバスティアヌス」。

実はグイド・レーニの聖セバスティアヌスは他の構図の物もある。

それがこれだ。

「聖セバスティアヌス」(1625年頃)

腕を下げ、さっきよりも少し苦悶の表情が強まった作品だ。

また、こちらもある。

「聖セバスティアヌス」(1640年頃)

全身が描かれたこの聖セバスティアヌスは晩年の方に描かれていて、先の2枚と画風が異なっている。

そしてやはり両手を挙げたこちらの聖セバスティアヌスは人気だったようで、全く同じ構図の物が何枚か遺っている

気に入ったテーマ・人物を構図を変えたりして何度も描いているのは、現代の愛のあふれた二次創作のようだね。

グイド・レーニは他にも、聖書に登場する有名な美少年・ダヴィデを全く違う構図で複数枚描いている。

「ゴリアテの首とダヴィデ」(1606年)、これと似た構図で、ゴリアテの首の角度だけが変わった絵もある。

こちらのダヴィデは、討ち取ったゴリアテの首を台に乗せ、優雅にポーズを決めている。

戦闘による激しさは無く、静けささえ感じるこの作品は、同時にダヴィデの優美な肉体を見せつけているようでもある。

もう1つがこちら。

「ダヴィデとゴリアテ」(1607年)

こちらは戦闘中で決着がつく瞬間を描いたものだ。

先ほどの静かな戦後のダヴィデと打って変わって、真っ赤な服を身につけた派手派手しいダヴィデが、銀色に輝く鎧をまとったゴリアテの上に乗っかった、バキッとした色合いが特徴だ。

ダヴィデが美少年として描かれているのもそうだが、ゴリアテもまた美しく表現されている。

ダヴィデの絵も、聖セバスティアヌスと同じく、グイド・レーニは多く描いている。

グイド・レーニの美「老人」

グイド・レーニの描く人物は美少年以外もいる。

美老人だ。

いずれも古代ギリシャの均整のとれた彫刻から学んだように、理想的なバランスで描かれているので、美少年画と比較できるようにご紹介していこう。

「聖ヨセフと幼きキリスト」(1638~1640年頃)

斜め上からの陽の光に照らされた、演出的な作品だ。

聖ヨセフの顔に刻まれたシワが、つるつるのキリストと対比されて、彫刻的な印象がある。

似た構図で別人物を描いたのがこちら。

「聖マタイと天使」(1635~1640年頃)

こちらも老人と子どもの対比だが、もっと光は限定的になって、マタイが福音書にキリストのことを刻み込もうと一生懸命になっている。

天使はいつものように美少年だ。

「天使」といっても空から舞い降りてる構図を使わず、現実的な距離感となっているので、息遣いが聞こえそうな、より緊迫した印象となる。

「若さ」と「老い」という古典的な対比テーマを使いつつも、老人側を「=醜い」とせずに、若さと一緒に描いているのがすごいね。

まとめ

今回は美少年画家、グイド・レーニについてお話してきた。

このブログでも作品だけはたびたび出てきたので、一度まとめてみたかった人物だ。

グイド・レーニは自分のスタジオを持った後も精力的に活動し、画家や画家志望の間では「グイド・レーニの弟子」という肩書がほしい人が続出するほど人気だったという。

優雅な画風と反対に本人は気性が荒かったようで、ギャンブルが趣味という危なっかしい一面もあった。

そして生涯独身を通した人物でもある。

「荒野の洗礼者ヨハネ」(1636年頃)、美男子として描くのが伝統的な洗礼者ヨハネ。

風俗画はもちろん、肖像画すら数点しか描かなかったグイド・レーニは、「宗教的すぎる」という理由で20世紀のアート革命期においては冷遇されてきたが、最近また再評価された画家でもある。

見たところ彼のセクシュアリティについて言及した評価は、美男子を描いた画家として珍しく見当たらない。

なのでどのような観点で美を見出したかについては、今のところ完全に古代ギリシャや巨匠たちの美的価値観から学んでいるということになるだろう。

美少年を描いた画家として、グイド・レーニをまとめようと思う。