こんにちは、Miyabiだ。

「LGBTq+を理解する」「LGBTq+が理解できない」などなどよく耳にするが、そもそも「LGBTq+を理解する」とはどういう事なのだろう?

「LGBTq+」って一言で言っても、色んな種類のアイデンティティがあるよね。

美少年くんの言うように、LGBTq+にはゲイやレズビアンのような「恋愛」のことと、トランスジェンダーのような「性自認」のことがあるので、LGBTq+の一言でくくっていても

「全然違うのよな…」「それなら「人類」でくくった方が良いくらいある」

となる。

ではLGBTq+を理解するということはできないのだろうか?

今回は「LGBTq+を理解する」というテーマを軸に、「そもそも自分と違う人間が存在すると知れば良いのでは?」という理解方法についてお話していこう。

LGBTq+を理解するとは?

「理解できない」ということ

人間という生き物は、「自分と同じ考え・価値観の人しか理解できない」生き物らしい。

確かに僕が「ピーマンの肉詰めが美味しい」と言って、

「美味しいよね!分かる!」と返事が返って来たら「そうだよね」と次の話題にいったり、トランス状態でピーマンの肉詰めの良さを語り合ったりできる。が、

「ええ?ピーマンまずいじゃん」と返ってきたら

「何で?どうして?こんなに美味しいのに!1回食べてみなよ!人生損してるって!」

と、怒涛の押し付けが始まりかねない。

ピーマン好きにとってはピーマン食べることは「人生得してる」し、ピーマン嫌いにとってはピーマン食べることそのものが「人生損してる」状態…って、冷静になれば分かる…

また逆に、見た目も話す言葉も全く分からない知らない国出身の人が、カタコトでも「コンニチハ」と言ってくれたら、僕らは一気に親近感がわく

これが人間の基本的な「理解」の仕組みということだ。

「LGBTq+」とは?

LGBTq+には冒頭でも言った通り、ゲイやレズビアン、バイセクシュアルなどの性的指向(恋愛対象)のアイデンティティについて言っているものと、トランスジェンダーのように性自認(心の性別)のアイデンティティについて言っているものとある。

広義で言えば他にもアセクシュアルのように恋愛対象はいないアイデンティティもあるし、はたまたクロスドレッサーのように性表現(ファッションや言動などの性別の表現)のアイデンティティについて言っているものもある。

「性に関するアイデンティティで、マイノリティとされるもの」という大まかな特徴でのみ、かろうじて関連性があるのがLGBTq+だ。

つまりLGBTq+というのは多民族国家のようなものなのだ。

「同じアジアだから」と言って日本人とトルコ人を一括りにされても、「極東と西アジアって全然文化圏が違うよ!」とあなたも感じるだろう。

LGBTq+も似たような感じだ。

つまり「LGBTq+を理解する」というのは、これくらい広範囲の国をひとまとめにしているようなことなのだ。

じゃあ「LGBTq+を理解して!」「LGBTq+を理解しよう!」って、いったい何を理解すればいいんだろう?

そう、こうなると「では「何」を理解すればいいんだ?」という話になる。

僕が思うに、「自分と考えや価値観が違う人間が、世の中には当たり前にいる」という現象について理解する、というのが「LGBTq+を理解する」と同義になっていると考える。

自分と考えや価値観の違う人間が存在する

「「赤色」ってなんだろう?」という視点

「赤」はどんな匂いでどんな形なのか?

小学生のときからずっと「色」について考えていることがある。

それは

「僕の見ているこの「赤色」って色は、他の人から見ても僕の認識している「赤色」なんだろうか?

「他の人と「リンゴは赤い」を共有できているけど、他の人の見た「赤色」は僕の世界でいう「青色」かもしれない。

それをその人の世界では「赤色」っていうのかも

といったことだ。

文化的な面でいえば、日本人は太陽を赤いクレヨンで描くけど、他の文化圏では黄色いクレヨンでグリグリ太陽を描くところもある。

日本には「緋色」「茜色」「紅」「猩々」など、赤色を細分化した言葉がある。

似たところで、ギリシャでは「ワイン色のエーゲ海」と表現するらしい。

文化面では、その土地の気候や風土によって色の捉え方が変わったり、色のイメージが違ったりするのは当たり前だ。

が、ここで言っているのは、実際の色の話だ。

本当にあなたの見ている「赤色」と僕の見ている「赤色」は同じなのだろうか?

お互い「血の色が赤」って納得しても、そもそも僕の認識している「赤色」全般があなたの認識する世界での「青色」だったら、共通理解ができているように見えて、実はすれ違いコントだった…

ってこともあり得るってことだね。

厄介なのは、「同じ赤色で認識してるよ!」という証明ができないところだ。

LGBTq+もそうでない人も

僕自身は帰国子女ということもあって、日本に帰国した際のカルチャーショックから

「それを知らないと理解はできないし、そもそも普通に生活ができていたら「知らない」ってこと自体を知れないんだなぁ…」

と、爺さんのような子どもだったわけだが、この考えがLGBTq+にも関係してくるのではないかと最近思うのだ。

「LGBTq+を理解する」にも2種類あって、

  • 目の前の1人を理解すること…会社や学校でLGBTq+であることをカミングアウトして、「ここをこうしてくれると助かる」というヒアリングと解決に向けた実践をする。
  • LGBTq+というマイノリティを持つ人たちも、マジョリティの人たち同様の人権を持って生活できるようにすること…政策や運動、また学校や会社などの組織改革など。

だ。

1つ目の話で言うと、有名な孫正義さんがアメリカで大学入学のための検定試験を渡米して早々に受けたとき、

「自分はアメリカ人のようにはじめから英語に慣れ親しんでいるわけではない、なのに問題は英語で書かれている」

ということから試験管に辞書の使用と試験時間の延長を頼み込んだ話を思い出した。

熱意もさることながら、「日本人だから…」と試験管の人たちは思ったかもしれないが、これは「目の前の人間がこういう事情でこうして欲しいといっているのだから…」に変換すると理解ができる。

いずれにしても「目の前の人のいっている「赤色」は僕の見ている「赤色」と違うかもしれない」という前提で目の前にいる人の話を聞くと、「知らないことがあるかもしれない」という、自分の考えや価値観の範囲外のことに対する受け入れ態勢ができる。

「分からんから知らん!」「そんなの前例にないし考えた事もないよ…だから無かったことで…」とカッコ悪いこと言わずに済む。

またLGBTq+側も「分かってくれない」と思わずに、「こうしたら相手は分かってくれるかな?」「こういう例えを使うと良いかも」と、会話の仕方を工夫することもできてくる。

結局、理解はできない、でも話し合うことはできる

君の言う「上」は僕の世界で言う何に相当するんだろう?

どんなに話し合ったって、「目の前の人と同じ赤色を認識しているか?」を確かめることはできない。

これと同じで、他の人を完全に理解することはできない

できたとしても、ごく一部分だけで、同じピーマン好きでも「苦味が好き」と「シャキシャキ感が好き」ではかなりの違いだ。

完全に理解するためには全く同じ人物になって、全く同じ人生経験を経験するしかないと思う。

「LGBTq+が理解できない」というマジョリティも、結局はマジョリティ同士で「Aさんが理解できない」「Bさんはあり得ない」と理解し合えていないことが分かる。

人間、理解し合えるという方が幻想ってこと?
じゃあどうすれば良いの?

できることは2つ、話し合うこと、納得する(ひとまず受け入れる)ことだ。

とことん分からないところを質問したり聞いたりするのだ。

「何でピーマン苦手なの?」「苦いもん」「そっか確かに苦い…じゃあゴーヤとかも苦手?」「いや、ゴーヤは平気なんだよね」

そして納得するのだ。

「ゴーヤは平気なんかい!訳わからん、じゃあ今度ピーマンの肉詰めじゃなくてゴーヤチャンプルー作るね!」「やったー楽しみ!」

この流れをLGBTq+にも応用するのだ。

「トランスジェンダーかぁ……何で女の子に生まれたのに男だって思うの?」「だって物心ついたときから男だって認識してるんだもん」「そっか…じゃあ何でおジャ魔女どれみのアニメ好きなの?」「面白いからに決まってるじゃん」

「女児アニメなのに!?あ、でも、大人でも好きって人たくさんいるし、面白いアニメには老若男女問わずファンが付くもんなぁ。……じゃあとりあえずこれからは男として見ることにするよ、今までちゃん付けだったけど、名前にくん付けで呼ぶで良い?」「うん!」

この話し合う→納得するの流れは、LGBTq+や好き嫌いの話だけじゃなくて、人種とか外国の人とか、他の会社の人とか、異文化の人とコミュニケーションをとる方法でもあるね。

ピーマンの好き嫌いが合わないだけで、性のアイデンティティが違うだけで友情や信頼関係まで破綻する必要はない

「ひとまず受け入れる」フェーズがくる前提があれば、相手を否定的にではなく、「できるだけ理解しよう」という姿勢で話し合うことができる。

「違う部分はあるし、完全に理解できない。けど、この人は信頼できる」となれば、自分の知らない世界があることを思い出させてくれたり、はたまた信頼できるならば大事な友人が1人できたことにもなる。

儲けモンだ。

「LGBTq+」はマイノリティというだけで集められた多くの種類のアイデンティティを内包している。

が、それでも「LGBTq+を理解する」というならば、「異文化の人間を理解する」と同じやり方になるだろう。

そして一番嬉しいやり方だったりする。

まとめ

今回はLGBTq+を理解するとは?ということについてお話してきた。

「本当に同じ色が見えているのかな?」という子ども時代からの疑問を例に挙げたが、他にも

この紙はザラザラしているし、隣にいる友人も「ザラザラ~」と言っている。

でも本当に僕の感じている「ザラザラ感」全く同じ「ザラザラ感」を友人は感じているのかな?」

という疑問もあった。

そもそも「ザラザラ」というオノマトペ自体、日本人にしか通用しない感覚的言語だ。

日本語では「しとしと」「ザーザー」「ぽつぽつ」「ぱらぱら」と、雨に関するオノマトペが多い

日本が雨の多い国だということもあって、その部分の感じ分けが日本語という言語からできているのだ。

だが他の国だと「雨降ってますね」で全てが完結するところもある。

ここで「ザーザー」「ぽつぽつ」といっても「???」ということになる。

感覚というのは「刺激臭」「蛍光色」のように強烈なものであると同時に、完全に「同じ感覚」というのを証明できないものでもある。

「だってそうなんだもん」としか言えないことだってある。

これってLGBTq+も同じなんじゃないか?(少なくとも僕はそう)というのが今回の記事を書こうと思ったきっかけだ。

今回と似た内容で、「LGBTq+理解」に「アート的思考」は使えるのではないか?という記事もある。実際に現代アーティストが思考して実践する工程も紹介しているので是非。