
こんにちは、Miyabiだ。
皆さん、異性装を知っているだろうか?
異性装とは、伝統的・文化的に自分の性別と逆の性別のファッションをすることだ。最近では「クロスドレッサー」などの名称が使われることが多くなった。
有名どころだと、マツコ・デラックスさんが「女装家」という肩書で活動されてるね。
だが「異性装だから同性愛なんでしょ?」「心の性別が生まれた性別と一致してないんでしょ?」などといった勘違いがまだ多いのも事実だ。
今回は異性装(クロスドレッサー)の勘違いされやすいポイント、異性装の歴史、ファッションやアートとの影響というポイントから、異性装の可能性の広さについてお話していこう。
目次
異性装(クロスドレッサー)とは?
異性装とは何だろう?

「女装」や「男装」という言葉が解説として使われやすいが、改めて考えたい。
「異性装」とは何だろう?
クロスドレッサーの解説に入る前に、重要で勘違いが起こりやすい「セクシュアリティ」について解説を入れたいな。
美少年くんの言う通り、ここはひとまず「セクシュアリティ」について見てみよう。
セクシュアリティとは
- 身体性…生まれた体の性別。男性・女性・インターセックス。
- 性自認…いわゆる、心の性別。男性・女性・Xジェンダー・ノンバイナリーなど。
- 性的指向…いわゆる、恋愛対象。男性・女性・男女とも・あらゆる性別とも・どの性別も対象ではない、など。
- 性表現…ファッションや言葉遣い、仕草などを、どの性別を意識しているかといった、見た目や言動で表す性のこと。
この4つで成り立っている。
異性装(クロスドレッサー)は4つ目の項目・性表現に関わるアイデンティティだ。
異性装の定義が「伝統的・文化的に、自分の性別と逆の性別のファッションをすること」なので、1の身体性に反した4の性表現をしている人が、クロスドレッサーということになる。
「じゃあ2の性自認や3の性的指向は関係ないの?」
これについても見てみよう。
異性装者の心の性別は?恋愛対象は?

結論から言おう。
異性装をするのに、心の性別も恋愛対象も関係ないのだ。
分かりやすく見てみよう。
まず恋愛対象だが、歴史的に「同性愛者は異性装をする」という立場を取らされてきた。

とはいえ、先ほど見たセクシュアリティの4項目で「性自認」と「性的指向」は別の項目であったように、ゲイやレズビアンなど同性が恋愛対象な人と、トランスジェンダーのように体と心の性別が一致しない人は切り離して考える。
男性が男性を好きなのをゲイと言って、女性が女性を好きなのをレズビアンという。
そこに「心の性別」や「異性装」は関係のない話なのだ。
これについては後半で挙げる「ファッション・アートと呼応する、異性装と影響」で詳しく分かるよ。
また心の性別の話だが、「体と心の性別が一致しなく(=トランスジェンダー)て、心の性別に合わせたファッションをしている」というのと「異性装」は全く違うことなのだ。

僕はトランスジェンダー男性で性表現も男性だが、これは「自分の性別が男性だから、男性のかっこうをしている」という考えだ。
そこに「異性のかっこうをしている」という考えがない。
むしろ、生まれた体の性別(僕の場合、女性)に合わせた格好をしていた方が、僕にとって「異性装」状態ということになる。
なので、異性装をしているクロスドレッサーというのは、性自認や性的指向とは別の次元の発想で性表現を意識的に変えているのだ。
もちろん中には性自認や性的指向でマイノリティの人もいるかもしれないが、そこは「異性装」とは関係のない次元の話となる。
「日本人」「オランダ人」といった「国籍」と、「画家」「学者」のような「職業」は別次元の話で「日本人だから学者なんだね!」ということには基本ならない。
それと似た感じだよ。
何故クロスドレッサーになったの?

性表現は人類誰しもが持つアイデンティティで、服を買うときも、美容院や床屋で髪型を決めるときも、友人に「おはよう」の挨拶の仕方1つにも関わってくることだ。
片手をパーにして顔の横で振って、首をちょっとかしげて「おはよう~」…これは女の子っぽすぎるな…
片手チョップの形で「おっす!」は男の子っぽいけど、オラオラしてて僕っぽくないな……もっと中性的な「おはよう」ってないかな
みたいな選択を、無意識のうちにやってるよね。
クロスドレッサーはそこを、「男だから男性の性表現」「女だから女性の性表現」という無言の縛りから「逸脱」したような性表現をしている。
何故だろう?
「男だから」「女らしく」のように、社会的・文化的な性別の役割のことを「ジェンダー」という。
クロスドレッサーはこの「ジェンダー」の縛りに抵抗している属性といえる。

「体と心の性別は別に一致している」
「恋愛対象も異性で、マイノリティで迫害されることもない」
「けど、男/女だから・らしく・のクセにを強要されるのが嫌だ。」
「逆の性別だったら、こういうことが簡単にできるのに」
このような考え方で異性装をする方が多いように思う。
男性などが「女性性(ドレス・ハイヒール・厚化粧などの「女」要素)」を強めた表現をしてパフォーマンスをするドラァグクイーンの人には、「普段は内気な男なんだけど、ドラァグクイーンをするとすごく別の自分になれる!はっちゃけられる!」とインタヴューで答えている人がたくさんいる。
どこからを「異性装」というかで動機は異なってくるが、その多くは「自分を自由にする」というところにあると感じる。
異性装の歴史とその影響
異性装の歴史

歴史的に異性装は色んなところで見られる。
- 歌舞伎の女形や宝塚の男役、ドラァグクイーンなど、パフォーマンス中の異性装。
- 王様などの有名人が逃亡をするとき、あるいは敵に油断をさせて寝首を搔くために女性のかっこうをするといった必要に追われての異性装。
- 女性が戦闘に参加するために鎧や甲冑を着るといった、ジェンダー的に偏った仕事をするための正装としての異性装。
- 子どもが生まれた際、(昔は幼児の死亡率が高かったことから)鬼や死神などに連れていかれないように、幼少期は逆の性別のかっこうをさせる習慣としての異性装。
- 同性愛が社会的な認知のなかった時代に、異性愛を模倣して、異性装をして売りやパフォーマンスをしていた場合がある。
- 宗教に関連した行事などで、女性のかっこうをして仕える仕事が色んなところで見られる。
などがある。
ファッションやアートと呼応する、異性装と影響

ところで、どの程度のことから「異性装」とあなたは考えるだろうか?
ファッション史的にいうと、ココ・シャネルは初めて女性用の正装としてのズボンを作ったが、これが「異性装(=転じて、レズビアンという勘違い)」として語られていたのはご存知だろうか?
詳しくはこちらの「イヴ・サンローラン」についての記事に書いたので参考にしていただきたい。
今では女性がパンツスタイルで街を歩いていても「普通」だが、その「普通」はたった50年前にようやく認識されたものだった。
また男性が長い髪であることや中性的な衣装でいることも、1970年代のグラムロックで市民権を得た。
とはいえ、「男性は短い髪じゃなきゃおかしい」ということは1800年代の産業革命以降主流になったのであって、それまでは日本だと髷を結えるようにしなければいけなかったし、ヨーロッパでも後ろでリボンで結んだりしていた。
あるいは「男性はカツラをかぶらなきゃおかしい」とされていた時代もある。

「男性だから」「女性だから」「こうでなきゃおかしい」というのは世界の絶対的ルールとしてあるように見えるが、こういう歴史をみると全然そうではなく、一時的な常識であり、すぐに打ち崩されるものであることが分かる。
歴史を知る強みだね。
また、クロスドレッサーは必ずしも24時間365日異性装をしているわけではない。
人によってどれくらい異性装を取り入れるかは変わってくる。
仕事として異性装をしている人は仕事の時間のみかもしれないし、気分転換として異性装をしている人は週末だけかもしれない。
「どれくらいの時間異性装していなきゃクロスドレッサーじゃない!」なんてことはない。
「こういうファッションをしてみたい」というの思いと実践は、あなたの自由なのだ。
まとめ

今回は異性装・クロスドレッサーについてお話してきた。
僕はドラァグクイーンが好きで写真集を買ったりパフォーマンスの映像を観たりするのだが、彼女たちの「性別なんて良くない?だって自分美しいし!」といったスピリットが本当にすがすがしい。
コンセプトなどから現代アートになっているクイーンもいれば、あくまでもお客さんと楽しむことが第一の生粋のパフォーマータイプもいるし、女性性を取り入れる「女装」タイプもいれば、性別を超えた・性別なんていらないと感じさせられる「超存在装」タイプもいる。
確かに「男らしく」「女らしく」を強要されて「自分は明るくない…」「自分は美しくない…」と殻の中に閉じこもってしまうより、異性装で自分と違う性別のかっこうだからこそ大胆に「変身」できてしまったほうが人生が良い方向に一転する可能性がある。
僕の場合は「こういうのが清楚。当たり前」のファッションで窮屈な思いをしていたのが、原宿系ファッションに出会って「何でもアリだ」ということを知って解放された思い出がある。
なので「着る服」は仕草や言葉使いにも影響するし、ファッションは精神に大きく作用するのが実感として分かる。
皆、やりたいファッションをしよう。