
こんにちは、Miyabiだ。
昨今ビジネスで「アート的な思考法で限界突破をする!」という実用書が巷に溢れている。
僕はアート作品を制作していて、常に「アート思考」というものに接している生活をしている。
だがアート的な思考とは具体的にどういうことだろうか?
具体的に、自分の仕事やビジネスに適応させるには、どうすれば良いのか?
そもそも、アーティストはどういう思考で作品を創っているのだろう?
今回は、「アート的な思考とは何か?」「そもそもアートとは何か?」から解説し、「アート的な思考をできるようになると、どういうことができるようになるか?」についてお話していこう。
目次
アート的な思考とは?
1,そもそも、アートとは?デザインの違いとは?

ではまず初めに、アートとは何かについて見てみよう。
日本語で「アート」というと、「美術」「芸術」「よく分からないけど評価されてるもの」という意味で使われることが多い。
僕の出身大学の藝大も、英語名だとTokyo University of the Artsと、「アート」が芸術と呼応して訳されている。
またよくアートはデザインと同一視されがちだ。
もちろんアートとデザインには共通点もある。
が、決定的な違いは
- デザイン…顧客・クライアントが求めるものを、専門家として作る。
- アート(主に現代アート)…哲学的、社会的な思考を現代の実情と絡ませて、作品という言語に置き換え訴える。
というところだ。
昔は「上手なこと」が絵画や彫刻において重要だったけど、カメラが発明されてからは「本物そっくりに作れるだけでは、カメラがある」「じゃあ絵の存在意義とは?」となっていった流れも見逃せない。
2,アートは感性?

よく「アートは感性!」「Don’t think! Feel!(考えるな、感じろ!)」と言われがちだ。
これは、「アート」というものが明治時代に日本に入ってきたことに起因するのだと思う。
明治時代、西洋で流行ったのが印象派だ。

彼らは「本物そっくりじゃなきゃダメ」「宗教画・歴史画以外は低俗」と言われていた19世紀ヨーロッパで
「風景でもいいじゃん」
「外で風景見ながら描いてると、太陽の光が眩しい。しかも時間によって光が変化する。それを描いちゃえ」
という、当時の新しい価値観を創出した。
そして日本は明治にこの価値観を「西洋アート」として輸入し、情報更新をしなかったので「アートは感性」が今現在まで常識化されてしまった。
印象派は、浮世絵が影響を及ぼしたことも有名だね。
だが彼らは本当に「感性」で描いたのだろうか?
この時代、同時期に発明されて実用開始されたのが写真機、カメラである。
カメラの登場により画家は、「写真によって絵画が淘汰されてしまう」「絵画しかできないやり方はないか」と、今まで以上に模索した。
その1つとして、「主観を用いる」やり方が論理としてでてきた。
つまり、「感性を用いて、絵画の新しい表現を追求する」というやり方を、理性的に考えて制作されているのだ。(他にも従来のアカデミズムへの批判などもあった)
だんだんビジネスにも使えそうな「アート的な思考」が見えてきたね。

その後のアートの変遷も、今ある派閥に対向して新しい派閥が声明を作ってできては、次の世代に淘汰され、今では西洋以外の国に範囲を広げて作品が制作されている。
そう、アートは1,前の時代(従来の価値観や常識)への対抗心・2,新しい技術の受け入れ・3,歴史や科学などの他分野とのミックス(リサーチ)・4,現実社会の流れとその中にいる自分、あるいは人間、などをベースに、理性的に「何故、今、自分が、作品を創らなければいけないのか?」を考えて生み出されるものなのだ。
「常識や固定概念にとらわれずに、新しい商品やサービスを企画したい」というビジネスに、何故アート的な思考が関係するかが分かったね。
3,アート思考は「具体的」ではない

アート思考をしたい!と思ってアート思考の本を手にしたものの「…で、結局どうすればいいの?」と感じた方も多いだろう。
「アドバイス」というものは2種類あって、
- まずは○○をして、次に××をする、で△△をすれば必ず成功します!という具体的なもの。
- そうだね、まずはどうしたいか考えたらどう?という抽象的なもの
だと考える。
僕らは「何かで成功したい!」と思ったら1のような具体的なアドバイスが欲しくなる。

だがこういうのは詐欺か、あるいは命令だ。
1のようなアドバイスは「計画」「工程」であり、バイトの接客マニュアルのようなものだ。
とりあえず言われた通りにやって、例外が起こったら店長や上司にバトンタッチ、自分はマニュアルにあることしかできない。
つまるところ、応用が利かない。
一方で2は具体的な行動計画ではないけど、自分の抱える問題に応用して考えることができる「指針」だ。
車の運転をするときにナビの画面だけ凝視してるのが1なら、2は歩行者や他の車を見ながら運転している感じだね。
アート思考は、まさしく2なのだ。

アートは哲学的・社会的な「問い」を立てて、それに対して色んな角度から観察し、歴史や先人たちの残したものを研究し、その上で「自分ならどういう答えを導き出して、その回答をどういう表現で作品化するか?」ということを繰り返して制作している。
アート的な思考とは、簡単に答えを出さずに、その問題・課題に対して「考え続ける」筋力と、最後には期限までに作品(ビジネスなら企画書など)の「形にして提示する」ことの2つが大事になってくる。
具体的な1が何故アート思考ではないかというと、
・言われたことをやるだけで「思考」がない
・考えたとしても、すぐに思い浮かぶ「当たり前」「常識」「既成概念」で満足してしまう
からなんだ。
最初は「当たり前」や「既成概念」が思いついても「それって本当?」と疑うところから「思考」は始まるよ。
4,アート思考とアート作品の実践トレーニングと具体例

具体的はできないけど、具体例なら出せる。
「ここまで考え続けると良いのか」という指針にもなるのでご紹介しよう。
ここから実践トレーニングだよ。
アート思考の実践トレーニング:「完ぺき(理想)な恋人」というテーマで、あなたはどんな作品を提出するだろう?
なお、「アート」といっても絵じゃなくても良い。テーマが表現できれば何でも大丈夫だ。
ということでしばらく考えてみてほしい。

考えるときのヒント…表現者はあなたで、あなたの人生経験は唯一無二のものなので、アイデアの源泉として最適だ。また他にも映画や漫画、旅行、ニュース、歴史などなど色んなものを見渡して探っていこう。
どうだろう?
では回答例として、ここで20世紀末に作られた1つの現代アート作品をみてほしい。
実は「完ぺきな恋人」というテーマは「無題(Perfect Lovers(完璧な、理想の恋人))」という作品名からとったものだった。
それがこちらの作品。

一見すると無機質な時計が並んでいるだけで「これが恋人?」と首をかしげる人もいるだろう。
先ほど「アートは理性的に練られている」と言ったので、まずはこれを作ったアーティストの情報と解釈をお伝えしたい。
作家はフェリックス・ゴンザレス=トレス(1957~1996年)。
彼はゲイで男性の恋人がいた。
ある日、恋人の男性がエイズであることが発覚、今では対抗治療があるものの当時は不治の病で余命宣告されたも同然だった。
このときにトレスは
「時間を恐れてはいけない。~(略)僕らはある時間・ある場所で出会ったことで、運命に打ち勝ったんだ。~(略)僕らはシンクロしている。これからも永遠に。」
と恋人に書き、恋人が亡くなってしまった後にこの時計が並んだ作品を創った。

創った、といっても彼がやったのは時計制作ではなく、企画だ。
署名と日付が書かれた、全く同じ商業製品の壁時計を並べる。
このときに時計は同じ時間にセットされている必要があり、どちらかが先に止まってしまったら、そのときはリセットして再度時間を動かす。
これがこの作品の主旨であり、「パーフェクト・ラヴァーズ」であるゆえんだ。
- 同性の恋人がエイズで亡くなってしまった悲しい体験
- 時計という現在(1990年代)では商業的に大量に生産されている、という技術と経済社会
- 「同じ時間を過ごしてきて、これからも永遠に同じ時間を過ごすためには、どうすれば良いか?」という、答えのない願望に回答「したい」という動機
ここが人を「なるほど」と思わせる思考の過程と言えるだろう。

トレスはゲイの恋人を思って作ったので「LGBTq+アート」「ゲイアート」に数えられる作品だが、これは「愛する人・動物」がいる人なら「一度は考えるけど「ありえない」と言って諦めてしまう」テーマではないだろうか。
ゲイである個人的なアイデンティティが、誰もが納得する普遍的な真理と昇華された作品なのだ。
さて、あなたはどういう作品を考えただろうか?
「自分は浅かった…」と思った人も問題ない、正解がないのでいくらでも考えを突き詰めることができるのが、アート思考の良いところだ。
思考→作品創り→思考→作品創り…と繰り返すことで、アート的な思考はできるようになっていくよ。
スポーツでトレーニングと試合を繰り返すことで上達するのと似てるね。
5、アート的な思考のメリット

「完ぺき(理想)の恋人」というテーマで、まさか時計が並ぶとは…と驚いただろう。(僕も初めて観たときはビックリした)
けどそれ以上に、「なるほど…」と納得もできただろう。
アートは突飛に見えることもあるが、「理由ある突飛」でないといけない。
スーツ出社の会社ではんてんを着て仕事する人は突飛だし「何奇抜ぶってるんだ…」と思われてしまう。
が、「実はこれは実業家のじいちゃんの着ていたはんてんで、これを着るとより仕事に集中できるんです」という理由があったら「実業家のじいちゃんなら…仕方ないな」と思ってしまうかもしれない。

アート思考は1つの物事を色んな視点・関連付け・自分だけの作品への昇華ということをする。
普段からアート的な思考で動いていると、「あの人のやることは、全てにちゃんとした意味がある」と見なされるだろう。
また「女性」「障がい者」「LGBTq+」「人種」などのマイノリティに関しても、「めんどくさいから考えない・排除」としてしまうところを、「こういう見方ならどうか?(視点の転換)」「当事者たちはどう思っているのだろう?(リサーチ)」など「思考」「行動」に移すことができ、結果マイノリティからもそうではない人からも「信頼できる」と認知されやすくなる。
あなたの考える「当たり前」や「常識」は、一歩外に出ると「非常識」になるかもしれない。
その可能性に気づき、柔軟に対応する筋肉をつけるのが、アート的な思考のメリットなのだ。
まとめ

今回はアート的な思考についてお話してきた。
このブログではLGBTq+についての記事を多く書いてきたが、リサーチ段階で「学校や職場などの組織が、目の前にいるLGBTq+本人を顧みずに「想像上のLGBTq+」という固定概念に対して「No」と言って、対応を全く考えない」現状がたくさんあると気づき
「考えるやり方」がアートにある
とも思ったからだ。
アーティストは常に「この時代に、何故自分がこの作品をこの素材で創らなければいけないのか?」を考えて作品を制作している。
「考える」の中に「1、問題提起」「2,現在という時代とのつながり」「3、過去、または同時代をリサーチ」「4、自分の人生経験・人生観とのつながり」「5、作品への昇華の仕方」が具体的に含まれている。
アート的な思考をビジネスに使いたい人が多いと思うので、「作品」という言葉は適宜、最終的に提出するもの・商品・サービスと置き換えるといいだろう。
これでLGBTq+を固定概念だけで見るのではなく、その本人を多角的に見て考えられる人が増えたら良いな…と思う次第だ。