
こんにちは、Miyabiだ。
僕はトランスジェンダー男性で、いわば「自分の性別を受け入れられない」と思った1人だ。
「自分の性別を受け入れられない」っていう気持ちって、周りに相談すると「もしかして、性同一性障害(性別違和)?」という結論にいきがちだよね。
性別違和が受け入れられない原因の場合もあるが、実は他に原因がある可能性がある。
今回は、自分の性別を受け入れられないという気持ちはどんなことが原因で起こるのか、本当に性別違和なのか、そうではないのかについてお話していこう。
目次
「自分の性別を受け入れられない」という気持ち
0,「知ること」の重要性

僕のブログで一番読まれている記事が、こちらの「性別違和は思い込みだった」というタイトルのものだ。
「「性別違和」や「性同一性障害」という言葉は知っているが、自分の思い込みだったらどうしよう?」
人生やアイデンティティを左右することなので、慎重になるし、それだけみんな真面目に考えているということだろう。

ところで僕はアートを制作するのだが、「知らないことは、できない」「だから色んな事を勉強しろ」とこの業界はよく言われる。
日本では「アートは感性」「0からの創造」と言われがちだが、ルネサンス期の天才レオナルド・ダ・ヴィンチがあれだけ人体を正確に描けたのは、1500年前の古代ギリシャの彫刻が当時発掘されて再発見されたからだ。
古代ギリシャで精巧な彫刻を作れたのは、
「ムキムキな男性、スタイルの良い女性=神様とそっくりの姿」
という考えがあったから。
オリンピック発祥の地の古代ギリシャには、そういう外見を持つ人が近くにいたんだろうね。
つまり、「知っていた」「学んでいた」から彼らには「できた」し「作れた」。
同じように「何故性別を受け入れられないのか?」も、「性別」や「性別違和」「性同一性障害」に関して知るところから、まずは入ってみよう。
1,そもそも性別違和とは?

性同一性障害ともいうが、最近ではもっぱら「性別違和」と呼ばれるのでこの記事でもそう言いたい。
性別違和とは、生まれた体の性別と心の性別が一致していない人や状態のことを言う。
よく勘違いされがちなのは、
「性別違和かもしれないけど性別適合手術はしたくないから、生まれた体の性別と心の性別が一致していないわけではないのかな」
「同性が好きってわけじゃないから違う」
ということだ。

まず性別適合手術についてだが、当事者には手術を希望する人としない人がいる。
「性同一性障害」「性別違和」という言葉は医療用語・診断名であり、よって「ホルモン治療や手術をこの患者さんは希望してますよ~」と第三者に説明するためのものだ。
「治療や手術希望」の人を「性同一性障害」や「性別違和」と呼ぶよ。
では「生まれた体の性別と心の性別が一致していない」人で「治療や手術を希望していない人」はどう呼ぶのだろう?
実は呼び名は特にない。
だが治療や手術を「希望する人」「希望しない人」をみんなひっくるめてLGBTq+のT、トランスジェンダーと呼ぶことができる。
もしあなたが「生まれた体と心の性別が一致していない」状態なら、医者の診断や証明などがなくても「トランスジェンダー」と言うことができるよ。
僕Miyabiは治療も手術も希望しているが、「医療用語は堅苦しい」と感じるので広義を示せる「トランスジェンダー」という名称を使っている。
また、トランスジェンダーも性同一性障害・性別違和も本人の性別の自認の話なので、同性が好き・異性が好き・どっちも好きという恋愛対象についてはまた別次元のことだ。
あなたの性別を考えるとき、恋愛対象のことは一端脇に置いといて大丈夫だ。
他にも「自覚した年齢が遅いから…」「自分が男か女か、なんか揺れるから…」と悩む人もいるので、こちらの記事も併せて見ていただきたい。
2,「受け入れられない」原因はどこにある?
藝大時代、友人で
「女に見られるのが嫌」
と言う人がいた。

僕も体と違って性自認(心の性別)は男性だったので、「自分と同じこと思ってるな~」と感じて詳しく話を聞いてみることにした。
「電車で痴漢に遭うし、結局この世界(クラシック音楽業界)って男の先生も女の先生も男子学生に力入れて教えるじゃん?
コンサートに来るお客さんは異性に付くこと多いけど、女子の演奏者は圧倒的に演奏よりも接待を求めてくる男客が来るしさ。
毎日練習してるのに女ってだけで男子と同等に見てもらえないって何で?」
音楽学部ではこんな話がたまに持ち上がった。
もちろん実力主義の世界ではあるのだが、男子学生の方が先生に親密に扱われて議論が盛り上がったり、その結果仕事に結びついたりはよくあるなぁと感じることは多かった。
それに「女性はドレス」「男性は燕尾服」のように女性の舞台衣装が圧倒的に露出が多く、その恰好のままコンサート終了後にお客さんへの挨拶に行くことも多い。
もちろん純粋に応援してくれる方もたくさんいるのだが、中には「来てやったんだから」とボディタッチをしてきたりSNSで無理やり繋がろうとしてきたりする男性客がいたり、果てはストーカー被害に悩まされる女性演奏家もいた。

ここで分かるのは、その友人の感じている「嫌ポイント」は、「女性であるがゆえにこうむる被害」ということだ。
僕も在学中は「女子学生」だったので、その友人の気持ちはよく分かる。
だが感じている「嫌ポイント」が「自分は男性なのに女性の体で生まれてる」ことだ。
Miyabiの友人は、「自分が女性であること」自体は違和感ではなかったってことだね。
「自分の性別を受け入れられない」と感じる人は、まず「嫌ポイント」を洗い出してみよう。
男性の場合でも「男らしくしろ!」と強制されるのが嫌、ということがある。
そして、その「嫌ポイント」はどうすれば根本解決するのか?についても考えてみよう。

僕の場合は「性同一性障害」の診断を受けて、男性として生きることが解決だった。
だが僕の友人はそんなことをしても「今度は自分の体の性別そのものが違う…」となり、根本は解決はしないだろう。
それよりも同じ悩みを持った女性や、「女性だからこうむる被害があるなんておかしい」と平等の目線に立とうと心から思っている男性を味方につけて、
- 女性演奏家も露出の少ない舞台衣装にする
- ストーカー被害などがあれば、被害女性とともにマジョリティ側である男性が味方として証拠を警察に提出しにいき、泣き寝入りや二次被害を防いで世の中に知らしめる
- もし男性が被害に遭えば女性が味方をする
などの改革をしていく方が堅実的だ。
あなたの「性別を受け入れられない」理由は何だろう?
あなたと世の中、根本解決をはかるなら、どっちをまず変えたい?
性別違和・性同一性障害って病気?

ネットの質問サイトを見ると、
「自分は男ですが、心は女です。これって何の病気ですか?」
のような書き込みが見られる。
トランスジェンダー、性別違和ないし性同一性障害は「病気」なのだろうか?
これは当事者の僕からすると、半々、というところだろうか。

性別違和や性同一性障害は医療用語と説明したが、これには訳がある。
昔は「体の性別に納得するように「治療」してください」と家族や親戚に無理やり精神病院に連れていかれた時代があったのはご存知だろうか。
だが、ロボトミー手術(脳みその一部を破壊して、感情を無くす手術)が残酷であることが現代では周知の事実であるように、心を無理やり改変することは倫理・人権に違反する。
なので、「心の性別に添うように、体を治療する」やり方になっていった。

ホルモン治療の注射や薬の処方・性別適合手術の執刀はお医者さんに頼るしかない。
お医者さんは「病名」がないと「治療」ができない。
なので、性別違和や性同一性障害は「病名」扱いになるのだ。
だけどトランスジェンダーの中には治療を希望しない人もいる。
「生まれた体の性別と心の性別が一致していない」というのは状態であって、「病名」となるのは次の段階の「治療や手術を希望する」場合のみ、便宜上そうなるだけってこと。
※戸籍変更のときも病名が必要
「自分は男だけど、心は女」というのは、その人の生き方・在り方を言っているのであり、いわば「自己紹介」をしているにすぎない。
「画家です」「北海道出身です」「帰国子女です」と同じなのだ。
そしてこれらの自己紹介が「病気」と判断されないのと同じように、性別に違和感があること自体は病気ではない。

ただ、会社を休むときに「だるくて~」「ふらっとして~」「夢見が悪くて~」と状態を言うよりも
「インフルエンザって診断されました!」
と言った方が「分かった、休め!」と許可される率が100%に上がるように、性別の違和感をお医者さんや役所に伝えるときに便利なように「病名」があるだけなのだ。
「自己紹介」に正しい・正しくないも、病気・病気じゃないもない。
安心してほしい。
あなたは間違った存在なんかではない。
まとめ

今回は「自分の性別を受け入れられない」と悩んだときに、考えるポイントについてお話してきた。
「性別に違和感がある・受け入れられない」→
「トランスジェンダーや性同一性障害ってあるんだ」→
「自分は本当にトランスジェンダー?性同一性障害?」→解決
この工程は、シャーロック・ホームズや明智小五郎のように探偵になった気分で、自分の状況を探ったり、関係ありそうな情報を調べたりすると「正しい情報を選ばなくては…!」という意識が働く、と僕は思う。
性別は男女以外にたくさん種類がある、性別と言う概念がない=ノンバイナリー?、と言った周辺知識や、性同一性障害やトランスジェンダーの正しい知識というのは、あなたを根本解決に導く重要な手がかりだ。
知らないことはできない。
でも、知っていることは広げられる。