こんにちは、Miyabiだ。

カメラが登場する前の絵画といえば、肖像画や宗教画、歴史画がメインで、宮廷が主な客層だった。

その中で、歴史に埋もれた「普通」の美少年を垣間見れる絵画を残したのが、18世紀フランスの画家・シャルダンだ。

今回はシャルダンの描いた美少年画を見つつ、ささいな日常生活を見ごたえのある絵画に構成してしまう腕についてお話していこう。

歴史の影に隠れた美少年の生活

シャルダンとは?

まずは簡単に画家・シャルダンについてお話しよう。

シャルダン「自画像」

シャルダンは1699年にフランス・パリの家具職人の家に生まれ、1700年代に活躍をし、1779年に死去した。

有名なフランス革命が起こるのが1789年なので、シャルダンは王様や宮廷がまだ権力を多大に有している時期の画家ということになる。

当時の宮廷はロココが流行していた。

フラゴナール「ブランコ」ロココといえばこれ。

ロココは華やかで甘美、享楽的な作風だ。これが同じく華やかな宮廷でウケたのだ。

その中でシャルダンは穏やかで落ち着いた画風で、中産階級の慎ましい家庭的なワンシーンを描いた。

シャルダン「シャボン玉遊び」

「歴史画家が一流、風俗画家は二流」とされていた当時の絵画界で国王やアカデミーに評価される、風俗を描いた画家として異例の待遇を受けたのだった。

どこが魅力ポイント?

シャルダン「ブリオッシュ」(1763年)「今日のおやつはブリオッシュだよ」感あふれる日常性

17世紀オランダで出てきた写実主義(リアルな生活、「神」「天使」のように目に見えないものではなく、目に見える一般人を描く主義のこと)から影響を受けているのが顕著で、シャルダンの絵を見ると

「18世紀のフランスの中産階級ってこんな生活をしていたのか…」

と、タイムスリップして取材をしている感覚になる。

「ベルばら」のような華やかでどこかファンタジーのようなフランス王宮の陰に隠れつつも、産業革命以降の「労働に最適」ファッションになる前の、ちょっと優雅なファッションの庶民。

そんな美少年を楽しめるのがシャルダンの美少年画の魅力だ。

美少年画と日常生活

遊ぶ美少年

美少年も人間なので、遊びに没頭する。

シャルダン「シャボン玉遊び」(1730~1735年頃)

天気のいい日は窓辺でシャボン玉を吹いて、幼い子どもに見せている。

今コンビニやスーパーで売っているようなシャボン玉キットではなく、お手製のシャボン液と吹き棒だ。

左側から陽が射していて、美少年の額に一番強く光が当たっている。

そこから美少年の目線と後ろの少年の目線の先にあるシャボン玉に視線が誘導される仕組みだ。

服装や髪形から中世ヨーロッパ感が溢れるが、きらびやかな装飾が無いこと、とはいえスッとした綺麗さがある。

シャルダン「カードのお城」(1736~1737年)

こちらの美少年はコートに帽子を身に着け、トランプで遊んでいる。

シャボン玉と違い屋内であるこの絵は、柔らかな光に包み込まれている。

このモデルの少年はシャルダンの親友の息子とのことで、画家もまたこの少年を可愛がっていただろう雰囲気が伝わる。

シャルダン「さいころコマをする子ども」(1738年)

こちらは宝石商の息子がモデルになっている。

斜めに入る太陽の光の中に美少年の顔が照らされ、彼の視線の先にはコマが回っている。

本やペンの乗っている机の上で、ちょっとした暇つぶしや手遊びをしているようだ。

いずれの絵画も、美少年の目線はいつも遊びの対象に注がれている

肖像画といえば「こっちを向いて、はいチーズ」としたくなるのは、現代のスマホカメラでも同じだろう。

だがシャルダンの美少年の肖像は、インスタグラムでワンランク上の写真を投稿するモデルのように、視線が外されているのだ。

「日常的」「現実的」な彼らを描くには、こっちを向いてかしこまるよりも遊びに熱中しているほうが「彼ららしい」ということだろう。

仕事をする美少年

もうちょっと大人な美少年は、それぞれの職業に一生懸命になる。

シャルダン「素描する画学生」(1735~1738年)

「素描」とはデッサン(絵の練習や作品の下絵)のことだ。

画家のバストアップの肖像画や、アトリエでモデルと対峙している画家の姿の絵は他にもあるが、修業時代のリアルな姿を描いたものは珍しいのではないだろうか。

壁に見本のデッサンが貼ってあり、カルトン(画板)を抱えて地べたに座って一生懸命に模写している姿は、なんだか親近感が沸いてくる。

「絵を描く」という一番汚れる作業は、現代ならツナギやジャージなどの作業着を着て描くことが多いのだが、18世紀当時の作業着は「ピッシリしていて動きにくそうだな…」と感じるくらい作業着感がないと分かる。

「作業着」といった労働階級の効率重視のものが現れるのは19世紀の産業革命からだと思われ、まだ18世紀のフランスの宮廷の時代っぽさがうかがわれる。

シャルダン「素描の練習」

こちらもまた素描をしている姿を描いている。

だが先ほどの美術学生の土っぽい雰囲気と打って変わって、かなり優雅な趣がある。

これは机に向かってまだ仕上がっていない途中の素描を前に、ホルダーに挟んでいるクレヨンの先をナイフでとがらせている作業を描いたものだ。

現代の鉛筆デッサンでも、デッサンをする前に「鉛筆を削る」という非常に地味な作業がある。

地味だが、先がとがっていないと思ったように絵が描けない

そんな裏作業を題材にしている点において、「リアル思考」な絵といえる。

また、遊びの美少年の作品群と構図が似ていて、屋内でよく当たる陽の中に美少年がいて、その目線を辿ると彼が何をしているのかが分かる

家庭教師と美少年

もう1つ、リアルな日常の中の美少年を描いた絵画がある。

シャルダン「家庭教師」(1739年)

幼い少年が家庭教師に説教をされているシーンだ。

画面左下にラケットやらトランプやらが散乱している様子から、それらについて小言を言われているのでは、と推測してしまう。

美少年と家庭教師というと、イギリスを舞台にしたヘンリー・ジェイムズの小説「ねじの回転」を思い出す。

絵の中の彼も少し良いとこのお坊ちゃまなのだろう。

まだ幼いお坊ちゃまがピッとしつつも「またか…」といった表情から、「服装や価値観は変われど、いつの時代も同じことがあるのだなぁ」と昔を思い出して共通点を見出したりする。

これもシャルダンの絵画の魅力だ。

まとめ

今回はシャルダンの美少年画をテーマに取り上げてみた。

シャルダンはただ写実的に描くだけではなく、リアルな生活感をも描く写実主義の影響が多大にある。

なので「昔=ファンタジー」といった他の人物画と違って、非常に共感しやすい

「美少年も「人間」であって、生きていたんだなぁ…」と感じられる作品だ。

写実主義と美少年を組み合わせた最初の画家としてカラヴァッジョがいる。

シャルダンより100年前の画家で教会やキリスト教の影響の強い時代だが、光の射し方や静物の配置などの共通点も見られるのでおすすめだ。

カメラの登場によって「生きた」「リアルな」人物表現は写真アートに取られ、絵画はまた別の表現を模索していく歴史がある。

その直前の時代としてのシャルダンだ。

今は「絵画は写真にはできない表現を!」と躍起になる時代を終えて、「何故この画材・方法で表現したのか?」が重要になる時代の途中にある。

僕はシャルダンの、置物ではない「生きた」美少年表現がすごいと思う。

ここから新しい制作に何か取り入れられたらいいな…と考えているので企画を頑張りたい。

今日はこの辺で。