
こんにちは、Miyabiだ。
セクシュアル・マイノリティ(LGBTq+など)の人たちが自己肯定感を持って生きられるにはどうすれば良いのだろう?
僕はトランスジェンダー男性だが、セクシュアル・マイノリティの人が二次的にうつになったり、自殺をしようとしたりしているのは事実だし体験もしている。
とはいえ、セクシュアル・マイノリティではない人たちにとっては分かりにくい領域の話に感じてしまうのも分かる。
今回はセクシュアル・マイノリティの自己肯定には環境が大事だという話をしていこう。
目次
セクシュアル・マイノリティと自己肯定
マイノリティもアイデンティティの1つ

セクシュアル・マイノリティというと、一般的には
「自分の近くにはいない人」
「ファンタジーやフィクションの世界」
というふうに捉えられやすい。
実際の割合は左利きの人と同じくらいと言われているが、現在の日本でのカミングアウトのしづらさを踏まえるともっといると予測される。

僕が小学生の頃は「左利きなんて!右利きに矯正しなさい」と先生から無理強いされたものだが、同時に「左利きは天才が多い」というプラスの伝説もまことしやかに語られてきたので「左利きだからいじめようぜ」みたいなことは起こらなかった。
「俺左利きなの」って言われても「あ、そうなんだ!」で会話が終了するように、皆さんにとっても「数は少ないけど当たり前の存在」だろう。
そんなふうにLGBTq+も扱われる世界にしたい。
ところでもう1つ、セクシュアル・アイデンティティという言葉もある。
これは「生まれた体の性別は?心の性別は?恋愛、または性的対象は?どんな性別を意識したファッションや言葉遣いをするか?」という4項目のことだ。

お気づきのように、LGBTq+の人も、そうではないマジョリティの人も皆使うことのできる4つの質問であり、「アイデンティティ=個性」というように、4つの項目に答えるだけで性に関する自己紹介が完成するものだ。
まずは「セクシュアル・アイデンティティ」という言葉で、世界中の人たちに同じ土俵に立ってもらおう。
国に例えると分かりやすいLGBTq+

左利きと同じ割合。
「LGBTq+って本当に存在するの?」という認識。
この割合と認識の離れ具合は、「よく分からない国について話す日本人」を考えると分かりやすいかもしれない。

僕ら日本人は「日本人」については実感をもって認識することができる。
日本のメディアに出てくる国についてもある程度認識ができる。
だが行ったことのない国やそこ出身の人に会ったことのない場合、メディアの情報が全てになる。
「フランス人は~」とタイトルの付くものは、たいていオシャレをそつなくこなせる系だ。
また、大事件やテロでしか国名の出ない国の場合、どんなに隠れた良い面があっても「なんて野蛮な国なんだ」という認識にしかならない。

「セクシュアル・マイノリティも「フランス人は~」系の取り上げられ方なら、まだ自己肯定感高かっただろうなぁ」と思ったりするが、たいていは「なんて野蛮な」な方になってしまっている。
「ホモ」「オカマ」「レズ」といって笑いにしようとするのがその流れだ。
「BL」「百合」などの良い作品も存在するが、一般的に「ムー大陸」くらいのファンタジー観だと思う。
僕はセクシュアル・マイノリティを「身近な実在する国」認識にしたい。
「LGBTq+ではない人」がLGBTq+を体験するには?

出身の国、生まれた国籍は自分では選べない。
セクシュアルに関してもマジョリティもマイノリティもなろうと思ってなったわけではないという点から、出身や生まれた国籍と似ていると思う。
ではLGBTq+ではない人がLGBTq+を体験するにはどうしたら良いだろうか?
もちろん「「男女」ではなく、「好きな人」として考える」「自分と違う性別の体で生きることを考える」なども1つの手だろうが、こればかりは価値観の違いなどもあるので「=LGBTq+の気持ち」ではない。

ここで僕は、「日本人の少ない国に住むことになってしまった日本人のあなた」を想像することをおすすめしたい。
もちろん人によっては「ニホン!?どこそれすごいね、ご飯食べて行きな!」と言ってくれることもある。
だがマイナスに捉えてしまう人もいることが事実だ。

「LGBTq+は子どもの教育に良くない」「LGBTq+はまともじゃない」「LGBTq+は国家を転覆させようとしている」というのはよくLGBTq+を支援しようとする政府や団体に届く。
ここで、外国で
「日本人は子どもの教育に良くない」
「日本人はまともじゃない」
「日本人は国家を転覆させようとしている」
「だから日本人を追い出せ」「日本人を抹殺しろ」となっていく様子を想像してほしい。(というか、実際人種差別もこういう感じにあるので気をつけよう)
「普通に生きているだけなのに…」「あなたの国の人と変わらない人間なのに…」と、悲しい気持ちになってくる。

人種のマイノリティも、セクシュアル・アイデンティティのマイノリティも、場所や環境によって少数派になっている人間であって、所変われば多数派になりうる。
少数派=よろしくないもの、というわけではないのは、外国に行けばマイノリティになってしまう日本人の皆さんならば分かってくれることだと思う。
もちろん働きアリの法則のように、国や集団にはよろしくない人も一定数出てきてしまうことはある。
原宿系のロリィタファッションをたしなむ方は
「ロリィタファッションは目立つ上にマイノリティだから、ちょっとした間違いをしただけですぐ「これだからロリィタ着るやつは…」と言われてしまう。
だからロリィタ着るときは何倍も上品になるように気を付けている」
と言う人が多い。

マイノリティは公表すると目立つ存在だ。
なのでこのロリィタファッションを着る方を見習って、良い人間であることを心がけたい。
と同時に、マジョリティ・マイノリティに壁を作らず生きていける世界を目指したい。
自己肯定に繋げる

セクシュアル・マイノリティやLGBTq+であることに自己嫌悪したり、それがきっかけで周りに差別されたりで自己肯定が低くなってしまうことはよくある。
ここで先ほど言った、外国にいる日本人の例を思い出していただきたい。
多数派の地元民には、少数派ということで激しい迫害をする人もいれば、一切かかわりがないのに「少数民族を迫害するなんて!」と言う人もいれば、民族や人種関係なしにとても仲良くしてくれる人もいる。
それに外国でだけ生きていたら気づかないが、日本に帰国すれば周りは日本人だらけであなたもマジョリティになる。
外国で迫害されるだけでは、それはもう自己肯定もできたものではない。
だが、人種が違っても味方がいたり、同じ日本人がいたりすると「自分が生きていても良い」と思えてくるだろう。

完全にマジョリティになる必要もなくって、マイノリティでもロリィタファッションの方のように「この部分はマイノリティだけど、人間的に申し分のない人、気品のある人」を意識すれば、少なくとも身近な多数派からの見方も変わってくるのではないだろうか。
そして何より、人間的に申し分のないように、上品に、と頑張ると「正しく頑張っている自分」が少なくとも存在することになる。
この「正しく頑張っている自分」の存在は、あなたの支えになる。
まとめ

今回はマジョリティ・マイノリティの目から、LGBTq+の自己肯定について考えてきた。
僕は作品で人物画をよく描くが、その中でも「顔をしっかり描かない」作品群がある。
「朝は9時に起きて、絵を描くのが好きで、今日は映画「ムーンライト」を観ようと思う」と言った「個人」が見えるものは人間臭くて「実在感」が出る。
同じように「個性」部分を排除することで普遍的な「人間」を表現することもできるのではないか。

それが僕の中で同時進行している感じだ。
今日も発表に向けて作品を創っていきたい。