
こんにちは、Miyabiだ。
水面に写った自分の姿に恋をして、そのまま死んでしまったナルキッソス(ナルシス)の神話は有名だろう。
この神話を元に「ナルシスト」という言葉ができ、水面の自分に見惚れるシーンは昔から現代まで絵画や彫刻、漫画などで再現されている。
ナルキッソスやそのストーリーにはギリシャ神話に詳しい人だけでなく、そうでない人も惹きつける魅力があるのだろう。
今回はナルキッソスという美少年をアート作品とともに見ていこう。
目次
ナルキッソス~ギリシャ神話の冷淡な美少年
生まれたときにされた予言

ナルキッソスはケフィソス川の河神とニンフのリリオペの間に生まれた。
生まれたときに盲目の予言者・テイレシアスに占いをしてもらったところ
「己を知らないままでいれば、長生きできるだろう」
と予言された。
僕たちは水面に写った自分に恋をするオチを知っているので「当たってる…」感を否めない。
モテるが無関心な美少年

若くて美しいナルキッソスは、男女問わずひたすらモテた。
だがその対応は冷淡だったらしい。
求婚をした1人でアメイニアスという若い男性も、拒絶をされてナルキッソスを手に入れられないと悟ると、彼の玄関先で自殺をしたという。
ニンフでもナルキッソスに惚れて言い寄る乙女がいたが、それもナルキッソスははねつけた。

エコー(反響のエコーと同じ)は女神・ヘラの怒りを買い、相手が発した言葉を繰り返す以外しゃべることができなくされたニンフだった。
彼女もあるときナルキッソスを見つけて恋をした。
だがナルキッソスの話す言葉をオウム返しするしか話す手段しかない。
終いには「お前なぞに連れ添うそりも、死んだ方がましだ」と彼に見捨てられ、悲しみの余り肉体を失い、エコーは声だけの存在になった(こだま)。
「振るにしてももっとやり方があっただろう…」ということで、ナルキッソスは冷淡な男と認識されている。
ナルキッソスの死

そんな冷淡な対応をされたニンフの1人が、
「ナルキッソスにも恋をしてほしい、それも絶対に叶わない恋に苦しんでほしい」
と祈願をした。
この祈願を受け入れてか、エコーに対する冷酷さに対してか、義憤(復讐)の女神・ネメシスはナルキッソスを他人ではなく自分しか愛せない呪いをかけた。

ある日、無性に喉が渇いたナルキッソスは泉の水を飲もうと水面に顔を近づけた。
するとなんということだろう。
バッカスかアポロンかのような美しい巻き毛。
ふっくらとした頬。
象牙の頸。
開いた唇。
溢れんばかりの健康さと運動の輝き。
究極の理想の美しい人が泉の水面にいたのだ。

触れようとすればかき消され、しばらくするとまた姿を見せる憧れの人。
「皆が私の顔を美しいという。お前に嫌われるはずがない。ほほ笑みかけるとほほ笑み返してくれるし、手を伸ばせば手を差し伸べてくれるじゃないか。なのに何故お前は逃げるのだ!?」
ナルキッソスは寝食を忘れてずっと泉の水面を見つめ続けた。
だんだんとやつれ、終いにはやせ衰えて死んでしまう。
そのとき泉に落ちてしまった。

この様子をずっとエコーはそばで見ていた。
ナルキッソスの死をニンフたちは悲しみ、泉から遺体を救って弔おうとしたが、彼の体はどこにもない。
ただそこには黄色いスイセンの花が咲いていただけだったのだ。
ナルキッソスを呪ったのは、彼に恋をした男性・アメイニアス?

実はナルキッソスのストーリーはいくつか説があり、その1つにニンフではなく、アメイニアスの呪い説がある。
ナルキッソスに求婚するも振られて絶望の中自殺をしたアメイニアスは、義憤の女神・ネメシスに
「同じ痛みを与えてほしい」
と願った。
それが聞き入れられて、水面の自分に恋をして死んでしまうストーリーに繋がっていく。
ナルキッソスとLGBTq+
ナルキッソスと同性愛
ナルキッソスが同性愛者というよりかは、美をテーマにしたストーリーで「究極の美少年」を表現する挑戦から、同性愛的な絵画や彫刻作品がナルキッソスをモチーフにした作品には多く見られる。(昔の作家は男性が多かったので)
カラヴァッジョはニンフや森の背景を排除して、ナルキッソスと泉の水面のみを配置し、物語のクライマックスを物悲しさを交えて描いている。

チェッリーニは同性愛の罪で禁固・謹慎になった経緯があるが、彼の創ったナルキッソスはルネサンス的な肉体美を表現し、水面に見惚れているであろう色っぽいポーズで彫られている。

ナルキッソスはアセクシュアルか?
他者に恋愛感情を抱かない人を無性愛者やアセクシュアルというが、ナルキッソスの冷淡な性格の描写から「アセクシュアルは冷淡だ」という誤解ができているのは解いておきたいところではある。
冷淡さは本人の性格になるが、恋愛をせず恋人を作らず、言い寄ってきた人を振っていた事実からはアセクシュアルっぽさを感じ取れる。
とはいえ、ギリシャ神話は恋愛に神の力が使われまくる世界だ。

ギリシャ神話をLGBTq+と結びつけることはよくあるが、神々の異次元の力の存在する世界と現実の性のアイデンティティとの間には、けっこうSF的な飛躍がある。
なので完全にアセクシュアルとは言い切れないし、アメニアスとの関係や男性である自身に恋をしたことからゲイであるとも言い切れないし、「絶世の美少年である自分には恋をしたけれど他は振った」ことから理想の高すぎるヘテロ、またはバイセクシュアルとも言い切れない。
いずれにしても、人の思いを無下にすると恐ろしいというのは理解できた。
僕からすると「自己愛」よりもこっちの方が教訓っぽく感じる…
まとめ

今回はギリシャ神話の美少年・ナルキッソスについてお話してきた。
最初の「己を知らないままでいれば、長生きできる」という予言は「水面に写る自分を見なければ」と解釈するとその通りだが、「とりあえず自分は冷淡だと「分かっていれば」呪われずに済んだのでは?」とも思ってしまうのだ。
といっても「好きな人がいないなら、恋人がいないなら良いじゃない、結婚しよう」という論理で来られるとアセクシュアルの人は困ってしまうだろうな、とも考えさせられる。
ナルキッソスが自他ともに認める美少年であることから、彼を描いた絵や彫刻は美しいものばかりだ。
ただ美しいだけではなく「美しいだろ…!?」という芸術家の執念が感じられて好きなのだ。
ナルキッソスが性格を直してくれて、LGBTq+を含んだ性のアイデンティティについてを正面からちゃんと考えることのできる世界にしたら、この物語も違う方向にいくのだろうか?
どのセクシュアル・アイデンティティも人間として生きられる世界を目指して作品を制作する僕からすると、以外と考えることの多いストーリーだった。