こんにちは、Miyabiだ。

明治以前、西洋文化の入ってくる前の日本は男色が普通のことだったとよく言われる。

そこで登場するのが、「若衆」という言葉だ。

西洋ではこの若衆は「第三の性」と呼ばれる存在でもある。

今回は江戸時代の若衆についてお話していこう。

若衆と男色と第三の性

若衆とは?

まず「若衆」とは何だろう?

当時の史料を見てみると色んな文脈で使われる言葉だ。

若衆とは、簡単に言うと現代の「若者」と似た言葉だ。若い男性のことを指す。

だがただ若いのではなく、元服(成人)前の男性のことを若衆というのだ。

元服後の男性を「野郎」という。

江戸時代の元服は15歳あたりで行われたので、成人前といっても大抵は中学高校くらいの男子を想定すると分かりやすいだろう。

もう一つ、男色の文脈で出てくる若衆がいる。

こちらは「色若衆」とも言われるように、美少年や、成人男性から見て男色の対象になる少年のことを言った。

日本では江戸時代までは、地域差はあれど、成人男性と少年の間での同性愛関係が存在した。

陰間など男色を売る男性が江戸(湯島や本郷が有名)や京などにいて、地域によっては幕末まで男子教育の一環として見なされていた。

井原西鶴などの文学でも色若衆との恋物語が出てくる。

男色を「衆道」とも言うが、これは「若衆道」から来ている。

とはいえ、少年側にも拒否権があったようで、「男色をしつこく迫られたので相手を斬り、自身も切腹」といった速報がたびたび帯刀の許されている武士階級で見られる。

また、当時は家族制度が強いので、男色は愛人関係であり、いい年になったら女性と結婚をして跡継ぎを作る必要があった。

若衆の見た目の特徴

江戸時代までの成人男性といえばちょん髷に月代(額から頭頂部までの剃り)だ。

若衆も江戸時代までの男性ではあるが、成人男性とはかなり違った装いをしている。

まず髪型だ。

元服のことを「前髪を剃る」とも言うように、若衆には前髪があった

次に服装。

嫁入り前の女性と同じで、振袖を着る

浮世絵でも前髪があり振袖を着ている人は、少女か若衆だ。

少女と若衆の見分け方は、結い上げ部分の髪型だったり、振袖の柄だったり、一番簡単なところでは刀を差しているかを確かめたりするやり方がある。

第三の性?

現代で第三の性というと、Xジェンダーなど「男性でも女性でもない(またはある)性」のことを指す。

一方で「若衆」は元服前の「男性」のことを指すとお話してきた。

江戸時代までの若衆が「第三の性」と呼ばれるのは、どういうことだろう?

現代で「第三の性」は性自認、つまり自分の性別を「自分が」どう認識するかといった本人の観点が存在している。

対して江戸時代までの「若衆」は本人の性自認は関係なく、身体的性別が男性だけどまだ未熟である存在として成人男性である野郎と区別された、他人の観点から見たものだ。

ちなみに24、5歳まで前髪や振袖など若衆の姿をした男性のことを「大若衆」と呼んだ。

これは男色の文脈であることが多いのだが、同性同士の恋愛を「野郎と野郎」はあまり語られなく「野郎と若衆」ばかりであることも見ると、野郎と若衆とは一種の異性愛的な関係というエクスキューズとも考えられるかもしれない。

また当時の絵や文学を見ると「男性は美男子で凛々しく、またはたくましく」「女性は美人でたおやかに」のように「若衆は美少年でたおやか」と、一種の理想像としてのテンプレに男性・女性の他に「若衆」も存在していたように感じる。

絶対にラガーマンのようにたくましい少年もいたはずだろうに、このような若衆は文学や浮世絵などで出てこない。

杉浦日向子「百日紅」葛飾北斎と娘・お栄の日常漫画。ラガーマンタイプの弟が登場するシーン。

ということは、ラガーマンのような少年はいち早く元服して「野郎」になったほうがお似合い、「若衆」っぽくない、という価値観も存在していたのでは?ということになる。

つまり、当時のジェンダー意識に「若衆」が入っていたのだ。

年齢(元服してるかどうか)によって見方や扱い方をはっきり変えるのは、ある意味、途中で性別を変えたように周りから見える。

なので「若衆は第三の性」という言い方は、本人の性自認(セクシュアリティ)というよりも、周りから見たときの「女性とも違って、野郎とも違う、若衆っぽさ」という認識(ジェンダー)に基づいていると僕は考える。

まとめ

今回は江戸時代までの若衆についてお話してきた。

江戸時代中期の浮世絵師・鈴木春信の描く若衆は「少女と見分けがつかない」で有名だ。

誰が見ても「少女が2人」だと思われるこの絵が実は「陰間が2人」だと、彼らの帯の房や杉戸の絵柄が男色的なことから判明したりしている。

ラガーマンタイプの少年は「若衆っぽくない」と周りに言われるのに「若衆」のかっこうをさせられる矛盾が疑問だろうなぁとか、「若衆っぽさ」がかなり合ってる性質の男性が「もう大人なんだから」という理由で「野郎」にならなければ白い目をされる環境もつらそうだなぁと、トランスジェンダーの僕は感じてしまう。

とはいえ、浮世絵や文学などに登場する美少年としての若衆は魅力的だ。

時代によって、若衆の髪型や服装が変化しているのを見るのも面白い。

「若衆」というジェンダーは現実空間では無くなったが、創作作品においては現代までの美少年ものに引き継がれている感じがある。