こんにちは、Miyabiだ。

ゴッホの有名な絵画の1つである「糸杉」。もう1つの有名な「ひまわり」と同じくらいゴッホが執着したモチーフであり、彼は何作品も糸杉を題材に絵を制作している。

一見すると何の変哲もないゴッホらしい風景画のようだ。

だが「糸杉」について調べていくと、とある神話の美少年の物語にたどり着く。

それがアポロンの愛した美少年・キュパリッソスだ。

今回はこの美少年・キュパリッソスの物語と神話のアート作品から、ゴッホに繋がる「糸杉」の意味についてお話していこう。

「糸杉」と美少年

糸杉を描いたゴッホの作品群

ゴッホ「自画像」(1887年)、シカゴ美術館

ゴッホは糸杉をモチーフに絵画をいくつか制作した。

ゴッホ「星月夜(糸杉と村)」(1889年)

有名な「ひまわり」のように、花をモチーフに絵を制作する画家は大勢いる。

デッサンなど画家の基礎訓練で、古今東西問わず花はアトリエに持ち込みやすく、気軽に題材にできるのも影響しているだろう。

一方で木は、風景画や、背景に外の風景を描いて奥行きを出したい人物画に描かれることが多い。

あなたも山の中や森林を描いた絵に描かれた木々に癒されたり、背景に広大な山や建造物が描きこまれている「モナリザ」に深みを感じた経験があるだろう。

ゴッホ「二本の糸杉」(1889年)

だが、ゴッホの描く糸杉はそのどちらとも言えない。

他の画家なら教会のような重要な建物や人物を描くだろうところに、堂々と糸杉を置いている。

明らかにゴッホは糸杉に何らかの意味を感じていて、他の建物や自然、人物よりもフォーカスして「重要なもの」として扱っている

ゴッホ「糸杉と星の見える道」(1890年)

弟に宛てた手紙でゴッホは「いつも糸杉に心惹かれている」、「その美しいラインはエジプトのオベリスクのように美しい」と書いている。

ゴッホが糸杉に着目し始めたのは1889年で、死の1年前のことだ。

かなり晩年のモチーフということになる。

有名な耳切事件を起こして入った精神病棟の1室から、糸杉が見えた。

これに魅せられたのだった。

糸杉の花言葉は?その起源は?

ゴッホ「糸杉のある小麦畑」(1889年)

糸杉は生命や豊穣のシンボルである。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の背景に糸杉が描きこまれているのは、この生命のイメージからだろう。

それと同時に、糸杉には木だが花言葉がある。

それは死・哀悼・絶望

生と死の両方の意味を持つ糸杉。これが晩年のゴッホの心に響いたモチーフだったのだ。

では、何故この相反した意味を同時に持っているのだろう?

普通の花言葉は近代以降に流行した創作や、花などの販売促進などで起源不明なものが多い。

だが糸杉については、古代ギリシャに起源を見ることができる。

ギリシャ神話に出てくるアポロンと、彼の愛した美少年・キュパリッソスの物語を紐解いてみよう。

アポロンとキュパリッソス

キュパリッソスの死

「死」が花言葉である以上、察しの良い読者様は「この美少年も儚く死んでしまう運命なのだな」と気づかれたかもしれない。

その通り、キュパリッソスはアポロンに看取られ亡くなってしまうのだった。

では何故、彼はアポロンに看取られながら死ななければならなかったのだろうか?

アレキサンドル・イワノフ「アポロンと歌と演奏に興じるヒュアキントスとキュパリッソス」(1831年)

キュパリッソスはアポロンに愛された美少年として神話に登場する。

彼はケオース島というところ出身で、その島には黄金に輝く角を持つ鹿が生息していた。

キュパリッソスは特にこの黄金の角の鹿を可愛がった。鹿もこの美少年に懐き、仲が良かったようだ。

ある日、キュパリッソスは槍投げをして遊んでいた。

槍投げは古代オリンピックの競技に含まれていて、運動能力と知性が最も貴ばれた古代ギリシャの美少年らしい遊びだ。

ところが彼が木立に投げた槍の1つが、彼の可愛がっていた黄金の角の鹿に当たり、命を奪ってしまう

彼はこれを深く悲しんだ。

ペットロスは動物といえど近しい人間の死に立ち会ったときと同じくらいの精神的打撃を受ける。現代ではペットの死に立ち会った人に向けたグリーフケアも重要視されている。

そのくらいの悲しみだと考えると分かりやすいだろう。

ヤコポ・ヴィニャーリ「キュパリッソス」(1625年頃)

アポロンがいくら慰めても悲しみは癒えず、ついには「永遠に嘆き悲しみたい」と神々に願った。

悲しみに打ちひしがれて血も枯れて、キュパリッソスはやがて糸杉の姿になっていった

この物語から、特に西洋では糸杉は死や哀悼を意味するものとして認識されている。

もう1人の美少年・ヒュアキントスの物語との関係

アポロンに愛された美少年でもう1人、ヒュアキントスがいる。

彼に付いてはこちらの記事で詳しく紹介しているので、参考にしていただい。

ヒュアキントスの物語とキュパリッソスの物語はかなり共通するものがある。

それは絵画作品でも見て取れる。

こちらはキュパリッソスの死を看取るアポロンの絵。

クロード=マリー・デュビュフ「アポロンとキュパリッソス」(1821年)

キュパリッソスの下に例の黄金の角の鹿がいるのが分かるだろう。

こちらはもう1人の美少年・ヒュアキントスの死の場面の絵。

アレクサンドル・キセリョフ「ヒュアキントスの死」(1884年)

ヒュアキントスなので鹿はいないが、代わりに彼のモチーフである円盤が転がっているのが確認できる。

ここでアートというものの性質についてお話をしよう。

アートというのは先行作品を研究して、それを取り入れたり否定したりして新たな作品を創る。

ちょうどゴッホが西洋アート史と当時新しい文化であるジャポニズムを同時に熱心に研究・模写をしていたように、印象派など「○○派」が登場して現行の画壇やアカデミズムを否定したりする感じだ。

僕も作品を制作する上で、自分の制作コンセプトと同じくらい先行作品の研究は大事にしている。

基礎やエッセンス、そして自分の主義主張から成り立っているのが「アート」なのだが、上に紹介したアポロンと美少年の絵がほとんど同じなことにも意味が感じられる。

ヒュアキントスもまた古代オリンピックの競技の1つである円盤投げをして、事故によって亡くなってしまい、ヒヤシンスの花に転生する。

ヒュアキントスの死を書いた記事で、彼は古代ギリシャの先住民族の神であり、新たに入って来たゼウスやアポロンなどのギリシャ神話の神々が新たな宗教として支配していく過程で、先住民族の神を神でなくする物語なのではないか、と紹介した。

糸杉に転生したキュパリッソスの物語も、同じ構図だと考えられる。

植物神としてのキュパリッソス

ゴッホの糸杉のところで、糸杉は生命や豊穣のシンボルでもあると言った。

花言葉である死や哀悼と正反対の意味だ。

これはどういうことだろう?

実は生命や豊穣のシンボルの方は植物神としてのキュパリッソスのことを指しているのだ。

糸杉は常緑樹で冬でも葉は枯れないように見え、その形から男根を想起させることから、生命と豊穣のシンボルとして大地母神に捧げられていた

植物神であるのだが、ギリシャ神話でキュパリッソスは神ではなくただの美少年として登場していることにも注目したい。

鹿というのもまた、角が生え変わることから永遠の命の象徴だった。

そのことから、鹿は植物神や男根神の代わりモチーフとして扱われた。

つまり黄金の角の鹿=植物神としてのキュパリッソスと言える。

その命を奪ってオリンピアの神によって糸杉に転生する、ということは、オリンピアの神々によって神の座から引きずりおろされる物語ともとれる。

まとめ

今回はゴッホの糸杉の作品群から、糸杉の意味とギリシャ神話の美少年の物語を見てきた。

糸杉はキュパリッソスの物語から死や哀悼、喪のイメージが強いらしい。墓地に植える木としても有名だ。

アート作品ではこの死の象徴とともに、生命の象徴として描かれることも多い。

ゴッホが精神病棟の窓から見た糸杉は、病院という立地ゴッホの最悪な精神状態から「死」を想起させただろう。

ゴッホの人生の最期の1年が糸杉のモチーフに捧げられたことからも、糸杉の形の美しさに気づいたきっかけは「死」なのではないかと思う。

だがそこに植物神・キュパリッソスの豊穣・生命の一面を同時に考えると、「死」の裏返しである「生」への希望も垣間見える。

ゴッホの晩年は精神が不安定だったとは言っても、創作意欲が沸いて生きる希望に満ちた様子の期間もあったようだ。

「死」という花言葉がフォーカスされがちな糸杉だが、生命や豊穣のシンボルでもあることを併せて考えると、ゴッホの晩年が映し出されているように感じる。