こんにちは、Miyabiだ。

男性の同性愛の歴史を見ると、古代ギリシャにあった少年教育システムから生まれた少年愛の価値観というのは避けては通れないだろう。

少年を愛でることは古代当時のアート作品に見られ、また後の時代に古代ギリシャをモチーフにした絵画でも確認することができる。

ソクラテスと美少年・アルキビアデスや、古代ローマにはなれど美少年・アンティノウスなど個々の話は別の記事に詳しく書いてあるのでそちらを参考にしていただきたい。

今回はそんな個々の美少年像を包括する、古代ギリシャにあった少年愛ことギリシャ的愛の概念についてお話していこう。

古代ギリシャと少年の価値観

キリスト教が支配する前のヨーロッパ

カラヴァッジョ「聖フランチェスコの法悦」(1596年)

キリスト教の聖人を見ると殉教の場面を描かれている絵画をよく目にする。

聖人たちは古代ローマ帝国あたりに生きた人物だが、この時代はキリスト教はまだマイナーで迫害されていた。

中世以降のヨーロッパ史ではキリスト教が国教となり日常生活にもキリスト教の世界観が入りこんでいく。それが今日の西欧文化・道徳の礎になっている。

しかし古代ローマにはキリスト教の世界観はなかった

ということは、キリスト教で「ソドムの罪」とされる「同性愛=罪」という価値観は古代ローマにはないということだ。

では古代ローマは何が信仰されていたのだろうか?何が世界観として古代ローマを作っていたのだろうか?

それは古代ギリシャだ。

古代ギリシャは古代ローマよりも前に栄えた文化圏で、その文化や信仰などで古代ローマに多大な影響を与えている。アート作品を観ても、古代ギリシャで発見・確立されたものが古代ローマ時代に発展しているという流れがある。

信仰に関してはギリシャ神話でみる全知全能の神・ゼウスを中心にした多くの神々を祀っていた。

古代ギリシャで・アテナイでは1年の3分の1が宗教行事に当てられ、日常生活にも宗教は大きく影響していた。

これらの神やアート作品の価値はキリスト教がローマ帝国の国教となって以降「邪教」として廃れ、忘れ去られる。だが15世紀のルネサンス期に再び発見され、アート作品として受け継がれる。

こういう流れがあった。

この流れは少年愛にも大きく影響がある。

神話に見る少年愛

アレキサンドル・イワノフ「アポロンと歌と演奏に興じるヒュアキントスとキュパリッソス」(1831年)

一神教であるキリスト教が強力になってから「邪教」とされた古代ギリシャでの多神教は、ギリシャ神話で見られるように色恋沙汰が複雑に絡み合っている。

ゼウスやアポロンは多くの愛人を作っているし、中には振られた話もある。

その愛人は女神・女性だけではなく、美少年もいた。

この色恋話からして中世以降のキリスト教の世界観と大きく異なっていることが分かるだろう。

神話で美少年を愛でる神々の話が出てくるように、人間世界でも少年を愛でた。

美少年の賞味期限

アンゼルム・フォイエルバッハ「プラトンの饗宴」(1869年)

他の記事でも「美少年の賞味期限」という言葉を書いた。

これはいかにも少年愛、古代ギリシャっぽい価値観だが、つまりは成人男性から見て、愛せる男性は少年だけという考えだ。

当時の男性の成人年齢は18歳。

十二歳の少年の美花に、私は愉悦するが、だがそれとても、欲情をそそることにかけて、十三歳の子には、遥か及ばない。

十四歳の子の花の蜜は、それよりもさらに甘く、十五歳になったばかりの子から得られる悦楽は、なおいっそう大きい。

だが十六歳は、神々のための年齢であり、十七歳になれば、それを求めるのは、ゼウスの為したまうことで、私のすることではない。

「少年愛詩集」四番、ストラトン(二世紀)・編、吉田敦彦・訳

古代ギリシャでは、十二歳~二十歳前あたりの少年を「年少者」、成人男性が「年長者」として兵士としての訓練、倫理や道徳などの教育を施すとともに、性愛関係を結んでも世間的に許された。

上の詩でも分かるように、「少年」とは十二歳~二十歳前の男性のことだった。

十六歳くらいから「神々のための」などと言いつつも興味が薄れているのが伝わってくるように、美少年には賞味期限があった。

僕は「美少年」というと若い少年っぽい美しさを持つ人なら、年齢も性別も関係なく「美少年」と考える。

「天使のような可愛さがなけりゃ美少年じゃない」「美少年は中性的であってほしい」「瑞々しい美しさがありつつも武術の達人で頭も良い少年が美少年」など、時代や人が変われば「美少年」の定義が変わる

その中で古代ギリシャは十二歳~二十歳前という年齢と、男性であるといった性別の制限があり、その上で美しさを見出して年長者は年少者に求愛する。

少年愛以外の同性愛はタブーだった

「アンティノウス像」ルーブル美術館

同性愛の歴史、とは言ったものの、古代ギリシャでは少年愛以外の同性愛はタブーだった。

十二歳~二十歳前と上で何度も言っているが、二十歳を超えた男性に成人男性が求愛するのは「侮蔑」と捉えられたのだ。

というのも、年長者から求愛を受け入れる年少者は「受動的」とみなされていたからだ。

将来立派な名誉ある市民となる男性がいつまでも「年少者」として「受動的」であるのは好ましくない、ということらしい。これが古代ギリシャのジェンダー観だった。

同時に、年少者にも立派な市民である父親がいることも考えるべきことだった。この父親に恥をかかせてはいけないことから、年長者は教育者としてふさわしい品格と人格をもって年少者を導いた。

で、年少者が十八歳以上になると年長者・年少者の関係は解除される。

現代でも一昔前は、ゲイやレズビアンなどの同性カップルで「どちらが男性役・女性役か」と聞かれたらしい。

自身の性自認(心の性別)に従うとゲイは男性と男性、レズビアンは女性と女性なのに、何故か「疑似・男女のカップル」と考える。同性愛が公にできなかった時代が長かったことから、当人たちも男女カップルを模倣しなきゃと思ったこともその要因として存在する。

「カップルは男女であるべき、同性なら男女カップルを模倣すべき」という認識と、「男性は能動的、女性は受動的」という思い込みが、古代ギリシャの少年愛の価値観にもあった。

同じような理由で、奴隷階級の男性が能動的に市民階級の男性を愛することも禁じられていた。

年長者が年少者に求愛する

男女の結婚と同等の求愛

ルーベンス「ガニュメデスの誘拐」(1611~1612年)

古代ギリシャの少年愛は年少者が「少年」である内だけの期間限定のものだが、年長者が年少者を教育して立派な市民に育てるという意味合いがあることから、年少者の家族をも巻き込んだ「申し込み」を経る必要があった。

昔のホームドラマにあったような、男性が結婚したい女性の父親に「〇〇さんを僕にください!」的なアレである。

まず、「良いな」と思う年少者を見つけたら、年長者は年少者に贈り物する。

闘鶏が当時の少年間で人気な遊びだったことから雄鶏がよくプレゼントされたらしい。

「受動的」とされる年少者にも年長者を選ぶ権利はある。かつ、その父親が「自分の息子を預けられる」と思わなければならなかった。

年長者が「良い指導者」と見込まれた場合、年長者と年少者の交際はスタートする。

アントン・ラファエル・メングス「ガニュメデスにキスするゼウス」(1758年)

年少者は今は少年でも、将来は立派な名誉ある市民になる男性だ。少年の名誉も守る必要があったのだ。

なので法典で「少年に対するレイプ」は重罪とされた。

このことから、年長者と年少者の関係は公認であっただけでなく、お互いの合意があるものということが分かる。

まとめ

今回は同性愛の歴史として、古代ギリシャの少年愛について見てきた。

現代のLGBTq+の観点から「古代では同性愛が公に認められていた」と聞けば「古代ではLGBTq+が認められていた」と思われがちだ。

だが詳しく見てみるとLGBTq+やそうでない人たちが求める「自由恋愛」とは程遠いものだったことが分かる。

とはいえ、少年愛に限定してはいるものの法律に同性愛を許容しつつも同性からの性被害から守るものが存在していることは大事なことだろう。

「アンティノウス像」ルーブル美術館

また、人間の肉体を解剖学的に美しくアート作品に昇華していく捉え方は、15世紀のルネサンス芸術に影響を与えている。

↓古代ギリシアやそこに影響を受けているアート作品について書いた記事は、こちらのリンク集にまとめてあるので、ぜひ。

運動神経が良く、知性があることが古代ギリシャにおいて男性の魅力とされていた。

オリンピックと哲学が発展したのがよく分かる価値観だ。そこから知性を感じる顔立ちと筋肉美がアートにおいても大事だったのだろう。

ギリシャ的愛はゲイというよりかはゲイのほんの一部だ。

それでも同性愛の歴史を辿ると出てくるのが古代ギリシャだ。

同性愛が異端ではないことを歴史的に確認しつつ、今現在生きている同性のカップルを取材すれば、異性愛者カップルと同じように生きていける法律をつくっていけそうだ、と感じた。