こんにちは、Miyabiだ。

ここ10年くらいで異世界転生ものがラノベからアニメや漫画で覇権をとっている。これは現実世界を生きる主人公がひょんなことからRPGのゲームのような世界に転生するというのが主なストーリーだ。

ところで「転生」は人類が作る物語において神話のような超古典から重要なテーマとして語られている。極楽浄土や天国のような話も転生の話と言って良い。

ギリシャ神話では、アポロンの愛した美少年・ヒュアキントスもまた花のヒアシンスに転生している。ギリシャ神話にはこのような「変身」による転生が多い。

このヒュアキントスの転生物語は絵画や彫刻などのアート作品のテーマにもよく取り上げられ、同性愛が罪になる時代でも「美少年・神話画」の形をとって作品が発表されている。

今回はこのアポロンと美少年・ヒュアキントスの物語の概要と、アート作品についてお話していこう。

ヒュアキントスの死

物語の概要

ジャン・ブロック「ヒュアキントスの死」(1801年)

転生、というからには前の生の終わりがある。

ある日、アポロンとヒュアキントスは円盤投げをして遊んでいた。円盤投げは古代オリンピックからの主要な競技の1つだ。

ふとした拍子に、ヒュアキントスは円盤を頭で受けてしまい、その傷が原因で事故死してしまう。

アポロンは医神でもあったので必死に手当をするが、ダメだった。

そのときヒュアキントスの頭から流れた血から咲いたのがヒアシンスの花となっている。

美少年は儚い。それを強調するかのような物語だ。

西風の神・ゼピュロスのせい説

神話には色んな説があり、一説には西風の神・ゼピュロスがこの事故を引き起こしたという説もある。

ゼピュロスもまた美少年・ヒュアキントスのことが好きだったのだ。

だがヒュアキントスはこれを拒絶し、アポロンと仲睦まじくしている。

そのうえ仲良く円盤投げもしているので、ゼピュロスは嫉妬した。西風の神はわざと風を操り、アポロンの投げた円盤がヒュアキントスの頭部に当たるように仕向けたのだ。

ギリシャ的な美少年の賞味期限

ギリシャ神話や古代史に登場する美少年を語る上で、古代ギリシャ的な少年・美少年の価値観を踏まえておくのが重要だ。

古代ギリシャにおいて、12~20歳くらいの少年は年長者に武術や倫理を始めとした教育を受けるシステムになっている。

この関係で恋愛に発展するケースも少なくなかったが、これは男性同士の恋愛を指す「ゲイ」というよりも「成人男性と少年の間の恋愛・性愛」と限定して言った方が正しい。

少年愛こそがギリシャ的愛なのだ。

その対象年齢は12歳くらいからと現代から考えると若すぎるのだが、18歳を超えると「人間の成人男性の相手ではなく全知全能の神・ゼウスのもの」と考えられるらしく、要するに「美少年の賞味期限」ともいえてしまう。

アレキサンドル・イワノフ「アポロンと歌と演奏に興じるヒュアキントスとキュパリッソス」(1831年) キュパリッソスもまたアポロンの愛した美少年。両手に華の中央の美男子がアポロン。アポロンは音楽の神でもある。

「美少年のは儚い」というストーリーにはこの「ギリシャ的・美少年の賞味期限」の考え方が根っこにある。

ヒュアキントスの死という悲劇にも、この価値観が透けて見える。

アート作品にみるヒュアキントス

歳の差があまりないアポロンとヒュアキントス

ベンジャミン・ウェスト「ヒュアキントスの死」(1771年) 医神でもあるアポロンがヒュアキントスの頭に薬草を当てている

ギリシャ的愛は年長者と年少者の間で起こる「少年愛」であり、ギリシャ神話を始めとした同性愛物語を元にした絵画ではおじさんと少年が描かれることが多い。

だがヒュアキントスの物語の場合、年長者であるアポロンがそもそも若々しい美男子として描かれるのが定石だ。

なのでヒュアキントスの死を描いたものは、2人の年齢差をあまり感じないのが特徴といえる。

転がる円盤

フランソワ=ジョゼフ=ボジオ「ヒュアキントス」(1817年) 手元に円盤がある

その絵画・彫刻がヒュアキントスなのかどうかは、地面を見れば分かる。

たいてい地面に2人が遊んでいて凶器となった円盤が転がっている。

ティエポロ「ヒュアキントスの死」(1753年頃)

また、変則としてテニスラケットが転がるヒュアキントスの絵画も存在する。

16世紀くらいからテニスはラケットを使われるようになったのだが、そのボールは革制でかなり硬かったらしい。じゅうぶん凶器になり得るのだ。

ヒアシンスの花

カラヴァッジョ派「ヒュアキントスの死」(17世紀) 足元にヒアシンスの花がある。これもテニスラケットが転がるタイプの絵だ。

ヒュアキントスの血が滴った地面からヒアシンスの花が咲く。

円盤(またはテニスラケット)とヒアシンスの花が地面にあれば、それはヒュアキントスを表していると考えて良い。

神話や聖書に出てくる神々や聖人にはそれぞれの「持ち物」がある。浅葱色とネギがあればボーカロイドの初音ミクを表しているような感じだ。

この「持ち物」のことを「アトリビュート」という。

ところでこのヒアシンス、今日でいうところのアイリスパンジーのこととも言われている。

血肉から花が咲くのは、古代中国の女性・虞美人の墓所にヒゲナシ(虞美人草)の花が咲いたのを思い出す。故人の美しさはもちろん、純潔さや貞操を感じさせる効果が花にはあるのだろう。

ほとんど裸の2人

メリー=ジョゼフ・ブロンデル「ヒュアキントスの死」(1830年頃)

古代オリンピックは、男性選手が裸にオイルを塗って競技を行った。古代ギリシャの絵を見ると、全裸でスポーツをしているのがよく見られる。

アポロンとヒュアキントスはオリンピックではないけれど円盤投げというスポーツをしていたので、正装として全裸にオイルを塗った姿で描かれる。全裸だと絵画を飾りにくいことから腰に布が巻かさっているものが多い。

スポーツ選手のような肉体美が当時の美少年・美男子の肉体美として見られていた。なので設定として美男子・美少年であるアポロンとヒュアキントスは、円盤投げをしていたということも相まって、かなり男性の肉体美を見せつけるように描かれている

画家の腕の見せ所だったのだろう。

また、古代ギリシャの少年愛の情交は立って行われていたらしく、2人とも立っている構図の絵は、この色気を強調していると言える。

ヒアシンスはアポロンの力か

アレクサンドル・キセリョフ「ヒュアキントスの死」(1884年)

アポロンの愛した美少年や美女が花や木に変身・転生する物語がギリシャ神話には多くある。

これはアポロンが植物神であることも関係している。

だが実は、ヒュアキントスもまたギリシャの先住民族の植物神だったと言われている。

ヒュアキントスがヒアシンスの花に転生するのは、ただ単に美少年の儚さや美しさ、無垢さを表現しているだけではなく、この先住民族の信仰とギリシャ神話の信仰のぶつかり・吸収の物語でもあると言えるのだ。

こう考えると、ちょっとドロッと見えてくる。

もう1人のアポロンの美少年の物語を併せて見ると、さらにその説が強く感じる。

まとめ

今回はアポロンとヒュアキントスの物語とアートを見てきた。

ヒュアキントスが幼い頃はアポロンが音楽神である一面から、音楽を一緒に楽しむ様子が見られ、事故死のときは医神・植物神の面からアポロンに治療を受け、それも虚しくヒアシンスの花に転生する。

最後に先住民族の信仰とギリシャ神話の信仰の話が出てドロッとしたが、アポロンはヒュアキントスを愛していて、その死をかなり嘆いたことは物語に記されている。

美少年であり、かつ同性愛の物語はドラマ性を上げるために悲劇になることが多い。

ストーリー自体は悲劇だが、アート作品においては古代ギリシャで発展した人体表現と、その人体表現がルネサンス期に復活してからの解剖学的な肉体の描かれ方が、男性の美しさを最大に引き出している。

この記事で取り上げた絵画の多くは19世紀と同性愛が罪だった時代だが、神話が元になっていることにかこつけてでも「男性の美しさ」が隠れた主題になっていて、トランスジェンダー男性の僕としては「あって良かった」と思える作品だ。