
こんにちは、Miyabiだ。
日々生活をしているときに「なんで性別にこだわるのだろう?」と思ったことはないだろうか?
僕はLGBTq+のT、トランスジェンダー男性なのだが、LGBTq+ではない人でもそう思ったことはあるのではないだろうか。
「メイクは女性のもの」「男性なのに裁縫が得意なんだね」「男は青、女は赤」「制服は女子はスカート、男子はズボン」などなど。
中性的なかっこうをすると「あなたは男?女?」と詮索されたりもあるだろう。
今回は「性別はいらなくない?」というお話をジェンダー、そしてセクシュアリティの面からそれぞれお話していこう。
目次
それに性別は必要か?
ジェンダーとセクシュアリティ

性別のお話をすると「ジェンダー問題」や「セクシュアルマイノリティ」がよく出てくる。
このジェンダーとセクシュアリティはどういう違いがあるのだろうか?
日本語で「性別」と言われるものには、実はいくつか種類がある。
- ジェンダー…男女の性の歴史的・社会的な役割。「男性は外で働き、女性は家事をする」のようなこと。現状日本では男女の2つの性別の観点しかなく、「男のくせに」「女だから」という固定観念の問題は、ジェンダー問題として扱われる
- セクシュアリティ…人の性の在り方、生き方のこと。性自認(自身の性別の認識)や性的指向(恋愛対象)、性表現(着る服、髪型、話し方など)などがここに入る。LGBTq+のことと思われがちだが、LGBTq+ではない人も「シスジェンダー(生まれた体と自認の性別が一致している)・ヘテロセクシャル(異性愛者)」というセクシュアリティになる。
- セックス…生物学的性別のこと。オス・メス。生まれた体の性別。
ここを押さえておけば大丈夫だ。
制服ってなんで選べないの?

僕が中学にあがる頃、とある公立中高一貫校で女子生徒の制服はスカートとスラックスを選べるという学校があった。
「制服はスラックスが良い!」と受検をした思い出がある(落ちたが…)。
地元の中学はやはり「男子はズボン、女子はスカート」しかなかった。トランスジェンダー男性とはいえ、スカートにそこまで抵抗のなかった僕は「スラックス、かっこよかったのにな…」と思いつつスカートを履いて登校した。
ここで一般的な話だが、男性はズボンしか履かず、女性はスカートとズボンを選べるというのが普通のファッションだ。
僕自身「スカートを履く=オシャレ」という認識だったが、周りからは「スカートを履く=女の子」という認識だ。
これがトランスジェンダー男性として耐えられないことだった。男性に生まれたが心は女性のトランスジェンダー女性も「制服のズボン=男子」という周りの認識から傷つくことがあるときく。

あと、一般的な女性の話として、僕は生理がとてつもなく重い方だった。夏場でも真冬くらいの厚着に毛布が無ければ倒れるくらいだったのに、制服はスカートだ。
生理の重い女性にとって制服のスカートは冷える。
このように制服を性別で固定することは「LGBTq+を含んだジェンダーの観点」「生物学的な観点」の両方で問題が出てくるのだ。
今では「性別」が制服規定から外される中学校・高校も多く出てきている。
トランスジェンダーにとって精神的負担が軽くなる。
それに、僕の女の子の友人で「スカート苦手。パンツスタイルが好き」という子もいたので、LGBTq+以外の負担も軽減できそうだ。
エントリーシートの「性別」

就職やアルバイトの履歴書、コンクールなどへの申込書などに性別欄がある。
最近は就職の性別欄に「男性・女性・その他」とあるという。
ただ、「その他」とは?というお話でもある。
僕は「男性」を自認しているがトランスジェンダーだから「男性」には〇を付けられないのか?その他なのか?
あるいはXジェンダーの方は「その他」と考えるだろうが、それでも「その他」はやっつけ仕事に感じる。「その他」に〇を付けたらどんな偏見やペナルティーがあるのだろうと、僕なら不安になる。
そもそも、仕事の能力さえあれば会社などの雇う側は万々歳なはずだ。
「男性・女性」の欄はいるのだろうか?
「男・女、どっち?」の2択

実際、生まれた体の性別と自認する性別が一致している人でも「自分は女ではない気がする」「男ではない気がする」と思う人が多い。
それは「女なのに」「男のくせに」というジェンダーの話もあれば、「女/男と言われると自分の中でモヤモヤする」というようなセクシュアリティ的な話もある。
また、「自分の性別が分からない」ということで悩む人もいる。セクシュアリティ的に「不明、クエスチョニング」と言われる状態だ。この状態を打開したいと思う人もいれば、「性別・クエスチョニング」で生きていくという人もいる。
Xジェンダーで「男女どちらでもない」「どちらでもある」「中間である」などなどの考え方もある。
僕はトランスジェンダーでホルモン治療をしているので外からも男性っぽく徐々になっているが、戸籍は変更できていなく、見た目と証明書で性別が違う状態だ。
また、トランスジェンダーではないが異性装をする人もいる。

性別と自己表現は自由なのだ。
その中で男女のどちらかでないといけないという社会の圧力がある。
アニメやゲームで、中性的で性別不詳のキャラクターが登場すると「〇〇(キャラクター名) 性別」「〇〇 男女 どっち」というネット検索が爆発的に増える。
作品上ではっきりと「中性」と言っていてもこの現象は起こる。それだけ「男」「女」とはっきり2択を選ばないと生きづらい世の中だと言えるだろう。
画家の知り合いで人物画を描いている人がいるのだが、その人も展示をしたとき「これは男?女?って毎回聞かれてうんざり。人間を描いているのに」ともらしていた。
必ず恋愛対象かどうかを確認する必要もないし、医者のように治療をするわけでもない。男女の2つに分けたところで全てが理解できるわけでもない。
目の前にいる「人間」を見て人柄や考えを判断できるようにしたい。
性別をなくすと?

性別を無くして考えるようになると、個人の能力が見えやすくなる。
以前、物作りのバイトをしていた。僕は入ったばかりでシステムや会社ができることが把握しきれていないのに商品説明しなくてはいけない接客が嫌いで、1人で製造作業をしているのが好きだった。
1人で商品を丁寧に作り上げて、確認のため先輩に見せにいった。自分でも満足のいくクオリティに仕上がったのだ。
そのとき先輩は
「オッケー!女の子だから手先が器用で良かった」
と言った。
褒めたつもりだ、というのは分かっているが…
LGBTq+とかのことよりも前に、成果を自分の頑張りや能力ではなく「生まれつき」で評価されたことに失望した。

ジェンダーと能力が、実際には根拠のないのに結びついている。育てる側は「保険」として持っておきたい理論なのだろう。
だが、これは本人にとって障壁でしかない。
男子は理系・女子は文系を例に出すと、数学を頑張っても「男の子だから」にされると「勉強頑張っても認めてくれない」ことでやる気をなくしたり、理系が得意な女子は性別で「能力はないのでは?」とハンデを食らってしまう。
性別で考えることを無くせば、本人にとっても、その人と仕事をする側にとっても有益になる。
本人の能力で見ると、お互い1番良い条件で仕事ができるようになるからだ。
僕もあのとき先輩に「オッケー!手先器用だね!製造の注文きたらまたよろしく!」と言ってもらえたら、やる気倍増だっただろうと感じる。
まとめ

最近の小学生のランドセル事情が変わってきている。
「男子は黒、女子は赤」だった僕の時代から、「君の好きな色を選ぼう!」の時代になっている。
これこそ、僕の理想とする社会だ。
「男子は黒、女子は赤」は差別的だから男子は黒以外、女子は赤以外!と極端になると本末転倒になる。そんなことはなく、好きな色を選べる。
周りの枠ではなく、自分の意思を主張して選択できる。
こうなればフィルターが外れ、「目の前のこの人」のことをより理解しようとできると感じる。