こんにちは、Miyabiだ。

ゲイアートがゲイアートとして注目され出したのは20世紀になってからだ。

ゲイアートの先駆者トム・オブ・フィンランドの映画や個展が2019、2020年に開催されたことから、日本でもこのジャンルにスポットが当たり始めたといえる。

他にもLGBTq+の人権保障が求められ始めた20世紀を生きたアーティストで、自身のセクシュアリティに言及した作品を制作した人は多い。

そんな現代アーティストに繰り返しオマージュされる19世紀前半のフランス画家の作品がある。

それがフランドランの絵画だ。

フランドラン「海辺に座る若い男のヌード」

フランドラン「海辺に座る若い男のヌード」(1836年)

この作品がそれだ。

「海辺に座る若い男のヌード」。ルーブル美術館に所蔵されている。

画集で初めて観たとき「綺麗な男性のヌード作品でこんなにも静かで内的な絵があるのか」と驚いた。

男性の肉体美を示すとすると多くは筋肉自慢のように力強いものや、逆になよっとした曲線的な美しさをたおやかに描いたセクシーなものなだけに、この1人思考するような青年の絵は印象的だった。僕の大好きな絵の1つだ。

フランドラン
アングル「グランド・オダリスク」(1814年)

イポリット・フランドランは絵画「グランド・オダリスク」で有名な画家・アングルの弟子だ。アングルといえば絵の構図・構成が緻密に計算されていて、「端正な形式美」と言われている。

弟子であるフランドランの「海辺に座る若い男のヌード」も、男性の肉体が円という完璧な図形の形態に収められたところから、師匠の影響を見て取れる。

また、当時は宗教画・歴史画以外のヌード作品は受け入れられづらくスキャンダルに発展することもしばしばあった。

その中で純粋な男性ヌードを主題としたこのフランドランの作品は、歴史的に重要な転換点でもある。

フランドランと男性ヌード

フランドランと新古典主義

師匠・アングルの師匠・ダヴィッド「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト(ナポレオン)」(1801年)

フランドランは1809年生まれの1864年没だ。

これは印象派の登場する直前の時代で、アート史的には新古典主義が中心を占めている。同時代にはロマン主義も登場していて、新古典主義と対立をしている。

アングルから受け継いだ新古典主義は、18世紀までの軽くて華やかなロココや、光や影などの演出で劇的な印象を与えるバロックに反抗する主義だった。

新古典主義はもっと理性的に、普遍性を重視したのだ。具体的な技法や練習法をいうと、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロなどのルネサンス期の巨匠を模写したり、デッサンや形を重視したり、などだ。

15世紀に興ったルネサンス期は、キリスト教以前の古代ギリシャやローマ時代の文化・芸術を再発見した。

なので、フランドランたち19世紀の新古典主義の教育を受けた画家は、自然と古代ギリシャやローマの思想に触れることになる。

古代ギリシャはオリンピック発祥の地であり、男性だけが裸で競技をしたことからも、むきむきに鍛えられた肉体こそ男性の美であると考えられたのが理解できる。少年愛の文化もあった。

今回テーマにしているフランドランの「海辺に座る若い男のヌード」の男性の体が筋肉質でしっかりとしたボリュームがあるのは、この古代ギリシャ的な価値観ともいえる。

フランドランの他の男性絵画

「海辺に座る若い男のヌード」を描く数年前、フランドランは男性ヌードを主題にする試みをしている。

それが「ポリテス、トロイヤへ向かうギリシャ軍の動きを見張るプリアモスの息子」だ。

フランドラン「ポリテス、トロイヤへ向かうギリシャ軍の動きを見張るプリアモスの息子」(1833~1834年)

この「プリアモスの息子」はタイトルから分かる通り歴史画だ。

だがそれまでの歴史画と違うのは、「戦っている最中」「歴史文学に書いてある一場面」ではないというところだ。

先ほども言ったように、宗教画・歴史画ではないヌード絵画は「けしからん」かった。

「だから」フランドランは「~プリアモスの息子」という長いタイトルを付けているのだろう。

とはいえ、「プリアモスの息子」はそのサンダルや座っている陵墓から「歴史画」と分かるが、基本的に純粋な男性ヌード絵画の構成となっている。

そして数年後、この「プリアモスの息子」の経験を元に、歴史画という口実さえもそぎ落とした「海辺に座る若い男のヌード」で、純粋な男性ヌードも美しい絵画の主題たりえると証明したのだ。

ゲイアートに続いていく系譜

古代の彫刻「アンティノウス像」

フランドランは新古典主義の教育から古代ギリシャ的な美意識で男性ヌードをとらえていた。

彼自身がゲイであったかは分からない。

だが、19世紀に彼が証明した「男性の肉体の美しさ」は20世紀のゲイアーティストに大きな影響を与えたのだった。

写真家に受け継がれるフランドラン

フランドランと同じ時代に生まれた写真技術は、20世紀になるとカメラとしてアーティストの画材となった。

また、20世紀はLGBTq+が声を上げ始めた時代でもある。

「現実」を見ようとし始めたのが、この頃のLGBTq+、女性、黒人を主題にしたアート作品が多く出てきたことから見える。

フレッド・ホランド・デイ「黒檀と象牙」(1897年頃)、「名画絶世の美男・同性愛」(平松洋・著、新人物往来社)より

その中でフランドランの「海辺に座る若い男性のヌード」は写真家フレッド・ホランド・デイに転用され、ダリにも模倣された。

ヴィルヘルム・フォン・グレーデン「カイン」(1902年頃)

そして、ゲイアート写真の巨匠であるヴィルヘルム・フォン・グレーデンやロバート・メープルソープも模倣することで、フランドランの「海辺に座る若い男のヌード」は絶対的なものとなった。

グレーデンの写真作品には「海辺~」の他に歴史画「プリアモスの息子」を踏襲しているとみられるものもある。

まとめ

男性の肉体美を表現することはアートシーンにおいて同性愛的だとされる。

それだけ男性中心社会だったということでもある。

なのでフランドランがゲイアートに繋がったのはとても自然なことだ。

とはいえ、男性の肉体が美しいことを証明するアートは、ゲイも異性愛者も色んな人を含めて、男性の勇気になることだと思う。

僕はトランスジェンダー男性だが、おなじトランスジェンダー男性のモデルを見て「こんなに美しい存在がいる」と勇気づけられた。

実は僕もフランドランを元に1枚油絵を描いている。

美少年になりたいと子どもの頃から思っている僕にとってもフランドランは大事な画家だ。