こんにちは、Miyabiだ。

美少年という言葉は色んな年齢・タイプの男性が含まれる。ほんの子どもから思春期の少年、18歳を過ぎた青年・大人まで年齢の幅はあるし、元気・病弱・聖人・性的とタイプもなんでもござれ。性別も超える。「美少年」とは概念だ

そんな中、

「天使のように可愛い美少年はいないものか…」と思っている人もいるだろう。

そんな無垢で可愛い子どもの美少年を眺めたいあなたにはブグローをおすすめしたい。

今回はフランスの画家・ブグローと、彼の描いた美少年絵画についてお話していこう。

柔らかで劇的な美少年画

ブグローとは?

「警戒するクピド」(1890年)

ウィリアム・アドルフ・ブグローは19世紀フランスで活躍した画家だ。

アカデミックで写実的な画風で神話や天使、少女を描いた。最近、人気が爆発している画家の1人でもある。

彼の絵柄の特徴は、暗い陰影や闇を描きつつも、柔らかな光がメインになるところだろうか。人物画をみると白い肌が闇から浮き上がりながら、リアルな人肌の感触を感じられる。

それもあいまって、神話や文学など硬派なテーマであってもとても甘美で可憐、アンニュイな印象を観る側に与える。

カラヴァッジョとの違いは?

カラヴァッジョ「果物籠を抱える少年」(1594年)
「クピド」(1875年)

どうしても少年画はカラヴァッジョと比べたくなる。

ブグローは19世紀、カラヴァッジョは17世紀で200年ほど時差があるが、美少年画というフェーズで見てみる。

美術史的にはカラヴァッジョのバロック美術の後にロココ美術、新古典主義、ロマン主義などを経てのブグローの画風になる。アカデミズムなブグローはルネサンス期からの技術を受け継いでいるので、おおむねこの流れをくんでいるだろう。

美少年画的にいうと、カラヴァッジョは少年とはいえ男性の肉体美を重視しているのに対し、ブグローの少年は女性的だ。

モデルの年齢差もあるだろうが、このモデル選びの段階で「美少年」の考え方がカラヴァッジョとブグローで違いがあるのが分かる。

カラヴァッジョの少年画はゲイアートに通ずる。

ブグローは70年代少女漫画の美少年に通ずる画風だ。

キューピッドな美少年

「アムールとプシュケー」(1890年)

ブグローが描く美少年は女性的だ。

というのもブグローは女性画をメインに描いていて、 ヴィーナスを始めとした「女性の美しさ」を極限まで引き出して描く画家だからだ。

あとはモチーフがクピド(キューピッド)と、外見から男女の差の分かりにくいことも起因しているだろう。クピドは少年の姿で描かれることが多いが、神話の興ったときは両性具有、または無性だったと考えられる。このこともあってクピドは少年といっても幼児期として描かれる慣習なのだろう。

これがブグローの美意識だった。

「プシュケーのアブダクション」(1895年)、右の人物がクピド。

青年の姿をしたクピドを描いた絵もあるが、やはり女性的だ。

ブグローの絵の中には成人男性の荒々しい肉体を描いたものもある。だがこれは男性の肉体美というよりかは歴史や文学のテーマだからだったり、周りの女性たちの美しさの引き立て役だったりする。

よって、「美少年」という概念をブグロー的に解釈すると中性的~女性的というタイプになるのだろう。

今日までの人気の波

19世紀といえば印象派だ。マネ、セザンヌなどがアカデミック絵画に対向して出てきた。

とはいえ、確乎たる技術と伝統のアカデミックかつ甘美でアンニュイな画風の組み合わせのブグローはとても人気だった。

「プシュケーとアムール」(1889年)

死後の20世紀、キュビズムやダダイズムなどなど、アカデミックはもちろん「アート」という概念をも疑問視した派閥が次々と組織され、それがアート界の主権を握っていくと、ブグローの人気は急激に下がった。この時代にお呼びではなかったのだ。

だがアート史というのは振り子のようなもので、20世紀の終わりにアカデミズム絵画も正当に評価しようという流れから、ブグローは再評価された。

最近はまた写実的・フォトジェニック絵画が流行していることもあり、日本でもブグローは人気だ。

1時代はアカデミズムを理由に毛嫌いされてきたが、やはり学生時代からレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロなどの過去の巨匠の作品を真面目に模写したり研究したりしてきた努力は本物だったのだ。

写真のようにリアルに描ける=上手いではない。それだけだと「写真で良い」になるからだ。

技術を下敷きに、いかにテーマや思想を作品の内側からの存在感に変換していくかが画家の本当の腕だ。ダ・ヴィンチしかりピカソしかり、ブクローしかり、残る画家の共通点はこれだと感じる。

まとめ

僕は「男性の体は美しい」という思いから絵を描いたり、絵画・映画・写真・彫刻などを調べたりしている。

それゆえにブグローの「美少女画です」でも通じるような美少年画は、物足りなさを最初は感じた。

だがずっと眺めているうちに気づいた。

彼の作品の構図の巧みさや、映画や演劇のワンシーンかのような演出、目の前にいるモデルの1番美しい瞬間を永遠にしてやるという執念、レンブラントやフェルメールとはまた違った近代フランス的な軽やかさを持った光の扱いなどなど、絵として引き込まれる要素が果てしないのだ。

改めて「美少年」は概念だ、と思ったのだった。

最近はFTM(女性から男性に変更したトランスジェンダー)の美少年モデルを新たに見つけてしまってとても嬉しい。

僕もFTMの画家として頑張りたい。