こんにちは、Miyabiだ。

日本語には本当に一人称が多い。私、僕、俺、あたし、わし、拙者、わらわ……方言や歴史的な言い方も含めると膨大な数だ。

ところでLGBTq+の中でもFTM、MTF、Xジェンダーなどのトランスジェンダーや、「別の性別のもの」とされる服を着るクロスドレッサーなどは一人称をどうしているのだろう?

僕はFTMでトランスジェンダー男性だが、この一人称問題はかなり精神的に負担も、負担からの解放も大きかった。

今回はこの性自認や性表現に違和感を覚えるLGBTq+向けに、日本語の一人称についてお話していこう。

日本語と性表現

僕?俺?私?

外国人向けの日本語のレッスンを見てみると、日本語会話の実践で大きな山になるのが「性表現」だ。

性表現とは、自分がどんな性別に見られたいかによって、どの服装、髪形、言葉遣いをするか、のことだ。

僕は生まれた体は女性だけど性自認は男性で、人に男性として見られたいので男性っぽい服装や髪形にしている。

生まれた体も性自認も一致している人でも、性表現を他の性別にする人もいる。これは表現の問題なので、LGBTq+もそうでない人も当てはまることだ。

外国人男性が「わたしは~なのよ」と日本語の女性の先生を見本に話すと「あなたは男性だから「僕は~なんだよ」っていうのよ」と訂正される。

このように、日本語は一人称しかり、語尾しかり、かなり性表現と密着している。

日本語の性表現の魅力

ホルモン治療を始める前、女性として生きていた僕は「「わたし」と言わなければ」「「僕」や「俺」と言ったらダメだ」と窮屈な思いをしていた。

今は「僕」と言うし、カミングアウトしていない人の前では「自分」と言って、かなり楽になっている。

日常の言語が性表現に密着していると、自分の認識と周りの認識でズレが生まれたりして窮屈だが、実は魅力もあるのだ。

英語だと一人称は”I”。

老若男女使える一人称は便利だ。だがそれだけに”I~”の部分だけだと、その人の性格や魅力が分からない。

その点、日本語は

「俺は~」「あたしぃ」「ウチ」「僕」「わっち」「拙者」

もうこれだけである程度人物像が浮かぶ。

自分に近い人物像の浮かぶ一人称を選ぶだけで、あなたのアイデンティティを表現できるのだ。

画家に転向する前、僕は漫画を描いていた。そのとき漫画のキャラクターがどんな人物かを読者に伝える大事な要素として、一人称を厳選していた。

「おいどん」といえば「鹿児島人か?」となるし、歴史的にも田舎から売られた娘であっても「わっち」と言わせれば遊郭のお姉さんになれた。

アイデンティティは誰のもの?

日本語の一人称の魅力を挙げてきた。自身のアイデンティティに最も近いものを選べば、自然と自己表現ができてしまうという話だ。

だが一方で、トランスジェンダーなどの場合はここがネックにもなる。

僕が小さい頃「おれ」と言うと「女の子でしょ、わたしっていいなさい」と大人にもクラスメイトにも指摘された。

せっかく一人称で自己表現ができる言語なのに、そのせいで周りからの「こうしなさい」という圧力がある。

特に小学校・中学校などで、大人が「子どもたちを教育しなきゃ」と使命感を感じる場面で起きやすい。自己表現しようとして潰され、「自分は私・俺って言いたいのにダメって言われます」と悩んでいる子どもも少なくない。

アイデンティティは本来、自分自身のものだ。

日本語の一人称の魅力がアイデンティティを表現できることならば、性別というくくりで他人が禁止したり強制したりすることはできないのだ。

もちろん普段はくだけた一人称を使っていても、ちゃんとした場では「僕」「私」などを使用するTPOはある。

だが、簡単に自己表現が可能という日本語の一人称の魅力を最大に発揮するには、本人のアイデンティティを尊重するのが大事だ。

性別・Xジェンダーの一人称は?

Xジェンダーのように男性・女性ではない性別は歴史的に認められてこなかったこともあって、Xジェンダーの一人称も難しい問題だ。

性別を問わない一人称として「自分」があるが、逆に言うとそれしかない。そのうえ一人称「自分」は少しくだけた印象もあるので、「私」や「僕」のようにかしこまった場で使いづらい点もある。

生まれた体が男性の人が「私」を使っても違和感がないが、生まれた体が女性の人が「僕」を使うことに批判的な空気もぬぐい切れない。

Xジェンダーの中にも「無性」「中性」「間性」と様々な自己認識がある。

「男性・女性どちらでもない」「男性・女性の2性別を超越している」「男性が何%、女性が何%」といった具合だ。

また、「男性が何%、女性が何%」という人の中には、その割合に揺れがある人もいる。

先ほども言ったようにアイデンティティはあなたのものだ。

今日と明日で違う一人称を使ってもいい。

一番あなたにしっくりくる一人称を、自己表現として使おう。

クロスドレッサーの一人称

異性装をするクロスドレッサーにも色んな考え方がある。

男に生まれ自認も男性の人が、世間の求める「男らしくしろ」に疑問をもって女性のかっこうをする人もいる。

また「性別とか関係ない。自分は人間だ」として異性装をする人もいる。

これがパフォーマーになると、ドラァグクイーンという職業に分類される。

日常生活から異性装をする人もいれば、仕事として、あるいはオンの自分として異性装をする人もいる。

こういったことから、オンのキャラ・オフの自分を区別するために一人称を使い分けることもあるのだ。

自己表現の問題なので、クロスドレッサーもトランスジェンダーやLGBTq+ではない人と同じで、その時に表現したい自分に一番しっくりくる一人称を使っている。

他の言語と性表現は?

日本語以外の言語を見てみよう。

僕の能力の限界で、僕自身は英語とフランス語しか実際に体験できていないが、他の言語にも性表現と密着している面がある。

ツラかったフランス語の講義

大学で僕は言語の単位をフランス語でとった。ツラいとはいっても、フランス語の文法や読解の講義は普通に受けられた。

問題はフランス語の会話の講義だった。

フランス語の一人称は”je”(ジュ)。「ジュテーム!(愛してる!)」の「ジュ」だ。これは英語の”I”と同様、老若男女使える一人称だ。

だが英語と違い、フランス語には「男性名詞」「女性名詞」があった。

「テーブル」は女性名詞、「鉛筆」は男性名詞、「日本」は男性名詞、「フランス」は女性名詞のように、ほとんどの名詞に男女の区別がある。分け方に規則はないが何故かある。

そして、規則のある男女の名詞の分け方として自己紹介があったのだ。

「私は学生だ」と日本語でいうとどの性別でも使えるが、フランス語だと

  • 男性はJe suis étudiant.
  • 女性はJe suis étudiante.

と違い、発音も「エトゥディアン(男性)」「エトゥディアントゥ(女性)」と変わる。「日本人」と言いたいときも「ジャポネ(男性)」「ジャポネーズ(女性)」と変わってしまうのだ。

僕はこの講義のときトランスジェンダーをカミングアウトできていないので、この女性名詞の講義が「女の子なんだから男性名詞で言うんじゃない」という圧力になっていた。

フランス語と近い言語で、イタリア語やスペイン語にも女性名詞・男性名詞がある。

フランス事情を見てみると、ジェンダーの観点からこの自己紹介のときの男性・女性名詞の言い方の違いを無くそうとする動きがあるらしい。

LGBTq+のトランスジェンダーなどの性自認と性表現の自由のためにも、フランス語の講義でも言い方の強制が無ければ楽しく講義を受けれたなぁ…と思う。

英語の場合

英語の一人称は”I”で老若男女使える。

だが三人称は”He””She”と性別を強く意識した言語になっている。

英語圏のトランスジェンダーやクロスドレッサーなどは、この三人称に対しての自己紹介をしていることが多い。

分かりやすく言うと、「私のことは”He”って呼んで」「私のことは”She”って呼んで」「性別がハッキリするの嫌だから、私のことは”They”って呼んで」という感じだ。

日本語だと「俺っち」と「俺様」で、性別は男性で同じだけど性格はまるで違う、というように一人称にはその人の性格も内包している。

一方で英語は純粋に性別の違いで三人称が成り立っている。

三人称はコミュニケーションや他人からの扱われ方に直結しているだけに、この自己紹介方法は分かりやすくて良いなぁ、と僕は感じる。

ちなみに”It”が性別を限定しない三人称の単数形だけど、「それ」という日本語訳のようにモノ扱い、人間ではない扱い(“IT”ってホラー映画があるように)するときに使うものだ。英語の教科書では犬猫を”It”と指しているものが多いが、実際自分の愛犬や愛猫は”HE””She”を使う。

だから人間味のある”They”なのだろう。僕と同じ世代くらいから、Xジェンダーの人などは”They”を単数形として使っている。

まとめ

今回は日本語・言語と性表現を考えてみた。

英語だと自分では”I”と老若男女区別しないで、他の人からは”He””She””They”と呼んでほしい三人称を使ってもらうことで「公認」感がある。

日本語は一人称でアイデンティティを示すので、どうしても「自称○○」という否定的な空気を感じる場面がある。

だけど、自己表現に資格は存在しないことを考えると、みんな「自称○○」なのだ。

アイデンティティを自分発信できてしまう日本語の魅力を最大に使おう。

それを否定されるときは、あなたが「一時の気の迷いで変な人になっている」と周りの人が感じているからだろう。あるいは「知らない」分野に拒否反応があるかだ。

見慣れると「意外と安全」と安心してくれるかもしれないし、あなたが「一時の気の迷いではなく、僕は○○というアイデンティティを持っています」と表現できて初めて認めてくれるかもしれない。

ところで、周り公認で自分の使いたい日本語の一人称を使えるって、すごく気持ちのいいものだ。

仲間や理解者は世界中に絶対にいる。僕もその1人だ。