こんにちは、Miyabiだ。

LGBTq+は自身の性別の話や恋愛対象の話が出てくるので、自然と「どんな人が好き?タイプ?」という浮いた話題になりやすい。

だが中には「自分は恋愛感情とかはないかな~」「自分は恋人がいても密着したくないな」と思う人もいるだろう。

ノンセクシュアルやアセクシュアルと呼ばれる。

「それってプラトニック・ラブだね」と言われてもピンとこない人もいるかもしれない。

今回はノンセクシュアル、アセクシュアルのこととその違いをお話していこう。自分について整理するための知識として参考にしていただければ幸いだ。

ノンセクシュアルとアセクシュアル

ノンセクシュアルとは?

まずはじめにノンセクシュアルについて見て行こう。

ノンセクシュアルとは、性的指向(恋愛対象)は何であれ、性的な欲求がわかない人のことだ。

性的欲求とは手をつなぐ、キスをする、セックスをするなどの行為のことで、「ここからはNGです」という線引きは人によって変わってくる

そして恋愛感情はわくのだ。恋愛感情と性的欲求を分けて考えていると思えば理解しやすいだろう。

アセクシュアルとは?

アセクシュアルとは、他の人に恋愛感情や性的感情を抱かない人のことを指す。

ノンセクシュアルとの違いは、恋愛感情を抱くかどうかの部分だ。

例えば、どんなに友人と仲が良くても「恋愛感情がある」「付き合いたい」とは思わない、というケースは誰にでも当てはまる。アセクシュアルではない人はこの「友情」と、「付き合いたい」と思う「恋愛・性愛」の2つがあるだろう。

この「友情」だけを考えてみると理解しやすいだろう。

追記

アセクシュアルは英語圏だと、実は日本語のノンセクシュアルと同意だ。

で、日本語圏でも「アセクシュアルで恋愛感情はある」という使い方が一般的となってきた。

なので、「恋愛感情も性的欲求もない」と言う場合は「アロマンティック・アセクシュアル」と言う人が、当事者には多いとのことだ。

「ノンセクシュアル」という言い方があまりされないかもしれないので、追記しとく。

冷たい人?

恋愛感情がない、性的欲求がないというと「冷たい人」「恋愛できないなんてかわいそう」という反応をしてくる人がいる。

だがこれらは本当に気にしなくて良い。

感情=恋愛ではないので、アセクシュアルも他の人と同じように感情はある。世間を見渡しても「恋人=あったかい、友人は恋愛感情がないから冷たい人たち」というわけではないことから、理解できるだろう。

また、性的欲求がないからといって非難される理由もないのだ。確かにノンセクシュアルの人のNGラインを超えた行為をパートナーがしたいと思ったら話し合いが必要になるだろう。

とはいえ、これは誰にでも当てはまることだ。NGラインはノンセクシュアルでなくても存在するし、それを超えた行為を強要することは許されない。

「恋愛感情がないなんてかわいそう」という意見は、きっとそれを言った人は恋愛でとても幸せな出来事があったのだろうな、と思えば大丈夫だ。

ものの考え方は人それぞれ

僕はトランスジェンダー男性でLGBTq+には入るが、ノンセクシュアルやアセクシュアルではない。

でも、トランスジェンダー男性として色んなトランスジェンダー男性を見てきたが、「自分と考えがどこもかしこも全く同じ!」という人は存在しなかった。

むしろ「僕はこう考えるけど、この人はこう考えるのか」と違いが分かるほうが多いのだ。

これはきっとLGBTq+の人LGBTq+ではない人関係なしに、人間はみんな生まれや育ち、環境でものの考え方が変わっているのだ。

そして「〇〇だから××!」と強要できない。

アセクシュアルやノンセクシュアルというのは1つの指標である。

その上で、あなたの価値観・許容範囲というものがある。

このあなたの価値観と許容範囲を大切にしてほしい。

まとめ

トランスジェンダーは性自認のお話なので、トランスジェンダーの中にもアセクシュアルやノンセクシュアルという性的指向の人が存在するのだろう、と記事を書いて思った。

「映画が好き」「科学が好き」「アートが好き」は趣味レベルからプロレベルまで「専門分野」的な扱いがされる。そしてこれらは「ホラー」「生物」「宇宙」「音楽」「美術」などのジャンルが数多くある。

これに対して「恋愛」は万人共通のものとして扱われるから、逆に映画やアートのような多様性が認められにくいのかもしれない。

ゲイやレズビアン、ノンセクシュアルは恋愛をしていても悩むだろうし、アセクシュアルはそもそも恋愛の話で悩むだろう。

とはいえ、異性愛者でも誰あっても「恋愛が人生の中で優先順位が1位」という人が全てではない。「アートが1位」の人もいれば「科学が1位」の人もいる。

恋愛も映画やアートや科学のようにジャンルに分かれるものとして扱われれば、もっと生きやすくなるだろうなと考える1日だった。