こんにちは、Miyabiだ。

日本現代文学の巨匠・三島由紀夫が同性愛者だと知られるキッカケとして「仮面の告白」という自伝的長編小説がある。

ここで出てくる絵が聖セバスティアヌスを描いたものだった。

三島が性的・文学的に魅かれたこの聖人は20世紀から「同性愛の守護聖人」としてゲイカルチャーでよく見られる。

今回はこの聖セバスティアヌスについてお話していこう。

聖セバスティアヌス

三島由紀夫の見た聖セバスティアヌス

聖セバスティアヌス(聖セバスチャン、聖セバスティアンとも読む)はカトリックや正教会などのキリスト教が崇める殉教者であり聖人だ。

よって中世ヨーロッパの画家を中心に彼の宗教画がよく描かれた。

三島由紀夫が「仮面の告白」で書いている聖セバスティアヌスの宗教画は、グイド・レーニ「聖セバスティアヌスの殉教」で1616年頃に描かれた油絵だ。

グイド・レーニ「聖セバスティアヌスの殉教」

この小説では13歳のときに見て性的・文学的興奮を感じたと三島は書いているが、実際の三島もこの絵画が大好きだったようで、この絵のポーズをを自分でとった写真を撮影させている。

三島の死後もアーティスト・横尾忠則がその写真とオマージュした三島の肖像を制作している。

何故、矢で射られているの?

宗教画にはお約束があり、必ずその聖人の象徴となる物が絵の中に描かれている

初音ミクのネギ、ルパンの次元の銃、のようなもので、「これを描けば、誰が見てもこの人・聖人だ」というアイテムがあるのである。

聖セバスティアヌスの場合はだった。

何故矢が刺さっているのか?

それは殉教の仕方に理由がある。

聖セバスティアヌスの殉教

ラファエロ「聖セバスティアヌス」

キリスト教の聖人はたいてい、キリスト教がマイナーで迫害されていた時代に教えを広めたり、教えを守るために命をかけた人たちだ。

聖セバスティアヌスはその迫害されていた時代に周りにいた人たちを奇跡で助け、大勢をキリスト教に改宗させたのだ。

セバスティアヌスがキリスト教徒だと知らずに親衛隊で出世をさせた皇帝は、セバスティアヌスを裏切りの罪で処刑することにした。

草原に引き立て縛り上げ、ハリネズミのようになるまで彼の体に矢を打ち込み、絶命するまで放置した。これが聖セバスティアヌスのモチーフに矢が出てくる所以だ。

ところがさすが聖人、矢を大量に打ち込まれ、その場に放置されても亡くならない。

ソドマ「聖セバスティアヌスの殉教」

聖イレーネという女性がこれを埋葬するために来ると、まだ息があることを発見した。「助かるかもしれない」と自宅へ運んで介抱をしたのだった。

セバスティアヌスはそこにいた盲目の少女に洗礼を施して視力を与えるという奇跡を起こし、自身も健康を取り戻すという奇跡を起こした。

そしてもう一度、皇帝の前に行き熱弁を繰り広げ、今度こそ処刑されてしまった。

このことからセバスティアヌスは殉教者・聖人として語り継がれてきた。

アートの中の聖セバスティアヌス

兵士・黒死病の守護聖人

ボッティチェリ「聖セバスティアヌスの殉教」

矢が刺さった跡が黒死病(ペスト)にかかったときの斑点に似ていることから、また大量に矢が刺さっても絶命せず健康に戻ったことから、聖セバスティアヌスは黒死病・兵士の守護聖人として崇められた。

特にペストが流行った中世に人気が急上昇し、ゴシックやルネサンスの画家が彼の姿をよく描いた。

キリストよりも若い青年として描かれることが多く、矢が刺さっている他、半裸、体をくねらせる、という構図が主流だった。

カトリックで同性愛行為は罪になるのにも関わらず、色っぽい青年が「宗教画なので!」というていで描かれているのが面白い。

ルネサンス期は「古代復興」として、キリスト教の浸透する前の文化である古代ギリシャ・古代ローマの文化が再熱する時代だ。古代彫刻といえばリアルで肉感的なものが多い。ルネサンス期の聖セバスティアヌスの絵画にはその影響もあるのだろう。

スキャンダルを引き起こすセバスティアヌス

ニコラ・レニエ「聖セバスティアヌスと聖イレーネ」

17世紀に入ると「聖セバスティアヌスと聖イレーネ」という構図が増えた。

ルネサンス期のように聖セバスティアヌス単体だと男色的である、また色っぽ過ぎて女性に見せたくないとして教会が回避したかったのだろう。

聖イレーネは先ほど言ったように、瀕死の聖セバスティアヌスを介抱した女性だ。この介抱の様子が描かれるようになった。

「キリスト教のために身を挺した聖人と、慈悲深く瀕死の聖人を見守る聖人」という構図は教会が安心して飾ることができた。

現代の聖セバスティアヌス

ニコラ・レニエ「聖セバスティアヌスの殉教」

教会は聖セバスティアヌス単体の絵を掲げることを避けたが、その美しさは確かなものだった。

絶世の美少年映画として不動の人気を博す「ヴェニスに死す」の原作小説で原作者トーマス・マンはセバスティアヌスの像はギリシャ神話のアポロンのように永遠の若さを表す至高の象徴として描いている。

耽美主義で自身もゲイの罪で投獄されたオスカー・ワイルドは、三島も見たグイド・レーニの「聖セバスティアヌスの殉教」を今まで見た絵画のなかで最も美しいと言っている。

聖セバスティアヌスは若い男性の美しさ、耽美主義、ゲイカルチャーのアイコンとして脈々と受け継がれ、19世紀末から同性愛の守護聖人として崇められ、20世紀でLGBTq+の人権が訴えられる中でその人気が絶えることはない。

まとめ

男性の肉体美は昔は「宗教画」や「歴史画」といった「言い訳」がないと描けなかった。ヌードが言い訳なく描かれるようになってからも「美しいもの」である女性がメインで、男性は「美しくない」とされることが多かったり、「肉体美=性的搾取」ということでしか表現できなかったり受け取られたりしている。

その中であっても聖セバスティアヌスは男性の肉体美を表現できるモチーフであり、純粋な美しさとしても見事だ。

これはゲイのみならず、「美しいわけがない」とタブー視されてきた男性の体の美しさに対する自己肯定の安心材料にもなりえる。

僕もLGBTq+の画家として、美しさを保障して自身を肯定できるような作品を描いていきたい。