
こんにちは、Miyabiだ。
「恋人と永く一緒にいたい」とお互いに思ったら「結婚」が視野に入ってくるだろう。
だが2021年現在、日本では異性間での結婚はあれど、同性同士の結婚関係を法律的に認められていない。
「恋人関係のままでもいいのでは?」「結婚のメリットって何?」
今回はこれらをお話していこう。
目次
結婚って何だ?
「結婚」の定義

辞書で調べると「夫婦になること」と出てくる。「…つまりどういうこと?」フワッとしていて分かりにくいのでもう少し踏み入って調べてみた。
すると「同性結婚」のウィキが分かりやすいことを言っていたので引用する。
愛情や性的な親密さに基づいた男女の関係を、ある社会が、「血縁ではない家族関係」として承認し、尊重していく制度
同性結婚 – Wikipedia
これが一般的な「結婚」の定義であって、日本における結婚も同じことだろう。
2001年より同性同士の結婚を認めているオランダでは、上の「男女」のところを「両当事者」と読み替えた認識で、同性婚も異性婚も同等のものとして扱っている。
同性同士に「事実婚」はあるのか?

男女のカップルが籍を入れずに永く連れ添っていると「事実婚」として法律が適応してくる。
事実婚が適応されると、法定相続権や所得税の配偶者控除、配偶者ビザなどは認められないものの、
- 関係解消時の財産分与が請求できる
- 浮気されたときに損害賠償を請求できる
- どちらかが亡くなったときに子どもの親権をもう片方が受け継げる
- 犯罪の被害者の遺族給付金が適応される
- 社会保険(健康保険、年金、遺族年金)で家族として扱ってもらえる
- ケガや病気で病院に行ったとき、面会や病状説明を受けれたり、手術同意をできたりする
などなど、「家族」として扱ってもらえる権利がある。
だがこれは現状、異性間にしか認められていない。同性同士のカップルはどんなに永く連れ添っても、どんなにお互いを思い合っていても「家族」扱いにはならないのだ。
同性同士の結婚手続きが必要なわけ

日本では憲法に「法の下の平等」と「人種・信条・性別・社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」ことが保障されている。
そう、保障されているはずなのだ。
それなのに同性同士のカップルというだけで異性婚と同等の権利がないというのは、憲法の元に作られる法律としてどうなのか?という問題が今かなり主張されている。
夫婦同然の人が病気やケガで入院しているとき、異性ならそばで家族として見守れて、同性は他人扱いされる。
永く連れ添ったパートナーが亡くなったとき、異性なら家族として家や財産を相続でき、同性は他人として追い出される。
これは「平等」とは言えないのではないか?
同性婚の歴史
同性婚にも歴史がある。
キリスト教がソドミー法を出すまで、同性に恋愛的魅力を感じるのは人間として普通のことと考えらえていた。
古代ギリシャ

古代ギリシャでは年長者が年少者を引き取って稚児、または恋人として武芸教育や内面の倫理的な教育を行う習慣があった。
成人男性と12歳~17歳くらい少年と歳の差があることが前提の「少年愛」の関係だが、年長者・年少者の両方に相手を選ぶ権利があったり、年長者が年少者の父親に許可をもらいに行ったり、社会的な認知が伴っている。
社会的な認可は片方が少年であることも絶対で、現代のような成人男性同士のカップルが認められる世界ではない。この点においてはちょっと残念ではあるが、成人男性同士のカップルがいなかったわけではない。大人になってからは人目を忍んで愛し合っていたのだろう。
公に認められる関係は期限付きであるものの、同性同士で「結婚」に近い認識が一時的であっても存在していたのだ。
皇帝ネロと結婚した男性

古代ローマ帝国の「暴君」として知られる皇帝ネロは男性と婚姻関係を結んでいる。
「暴君」と言われているのは後世からであって、ネロが当時まだマイナーだったキリスト教徒を迫害したからである。ネロの時代はまだキリスト教が国教ではなかった。
だが同時に皇帝ネロは美しいものが大好きで芸術を愛した皇帝としても知られているのだ。
で、そのネロは男性と婚姻関係を結んだのだが、その内の1人には皇后に匹敵する栄誉を与えている。
「皇帝」というアドバンテージがあるものの、同性同士の結婚が異性間の結婚と同じように扱われた、古い例の1つともいえる。
ネロ以外でも、古代ローマでは古代ギリシャの精神が受け継がれ、キリスト教が国教になるまでは皇帝には寵童がいるのが普通くらいだった。
成人同士の同性婚が認められたのは最近

古代から「少年愛」は世界に広くあったものの、成人同士の同性のカップル、とくに女性同士のカップルが公に認められたのは20世紀に入ってからである。
これは人権意識が20世紀前から成長しているからと考えられる。
18世紀のフランス革命で人権宣言が出たが、それまでの世の中は国王による独裁が激しく、「王族」「国民」での差が大きかった。
また、魔女裁判で魔女疑惑のある人間の有罪・無罪を決めるのに「重石をくくりつけて深い水に沈め、浮かびあがり生還したら潔白、沈んだまま溺死したら有罪」という有罪にしかならない方法で確かめたことから分かるように、上に立つ者の都合のいいように真実が塗り替えられ放題な世界だったのだ。
フランス革命の「王族と国民の差」への疑問から始まり、19世紀には「男性と女性の差」への言及、20世紀に入って「LGBTq+とそうでない人の差」に意識が広まった。
この世界の流れがあるのだ。
21世紀の今、日本の人権意識はまだ世界の19世紀で足踏みをしているが、性別も恋愛対象も関係なく全ての人に「法の下の平等」が享受できるようにすると、「男性と女性の差」も「LGBTq+」も良い方向に向かうはずだ。
まとめ

世界中の色んなアーティストが「人種・信条・性別・社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」ことを訴えた作品を創っている。
LGBTq+当事者であり、アジア人である僕はさまざまなアート作品に心を励まされ、また自分でも制作をしている。
僕自身、結婚したいとか子どもが欲しいとかいう考えは今のところないのだが、「結婚してパートナーと「家族」として手続きをしたい」「子どもを「家族」として育てたい」という異性・同性のカップルは大勢いる。
彼ら・彼女らの幸せが実現するように、僕はLGBTq+のアーティストとして作品制作を通して主張をしていきたい。