
こんにちは、Miyabiだ。
LGBTq+の歴史を見ると、ゲイの歴史の情報が多く残っている。
そして美少年を題材にした作品には「薄幸の美少年」ジャンルがあり、1000年、2000年以上安定した人気を誇っている。
今回は「薄幸の美少年」ジャンルを歴史とアート史に刻み込んだ古代絶世の美少年・アンティノウスについてお話しよう。
目次
皇帝に愛された美少年
古代ローマ帝国時代、キリスト教がまだマイナーだった。よって後々「同性愛は罪」という「ソドミー法」的考え方は生まれておらず、同性愛は人間にとって普通という認識があった。
アンティノウスとは?

アンティノウスとは古代ローマ帝国の皇帝・ハドリアヌスが寵愛してやまなかった少年の名前だ。
アンティノウスは111年頃にビテュニアというギリシャの文化圏で生まれ、123~124年にそこに訪れたハドリアヌスと出会ったと言われている。
ギリシャ好きのローマ皇帝・ハドリアヌスはギリシャ文化圏生まれの美少年・アンティノウスを傍におき、各地巡察などに付いて行ったそうだ。
だが130年10月(25日か?)、アンティノウスはナイル川を下る船から落ちて溺死してしまう。これをハドリアヌスが発見、ひどく悲しんだ。
アンティノウスの年齢は?

皇帝ハドリアヌスはアンティノウスの姿を彫刻やメダルに彫らせている。
その姿から「アンティノウスは18歳前後で亡くなったのではないか」というのが一般的な説となっている。130年10月に溺死したのが分かっているので、生まれたのは111年頃と推測される。
「美少年というより美青年というべきでは?」と思った方も多いだろう。
ここで、アンティノウスの溺死に1つ疑問が生じてくる。
神となったアンティノウスと死の謎
皇族以外で神格化された最後の人物

アンティノウスが溺死したとき、皇帝ハドリアヌスは54歳と当時としては高齢になっていた。
ローマ五賢帝の1人であるハドリアヌスは、通常は皇族のみ適応される神格化を元老院など会議を通さずに直接自分の亡くなった美少年に宣言した。アンティノウスは死後、神になったのだ。
古代彫刻を見ると神話に出てくる神々をかたどったものが多い。このようにキリスト教を国教にする以前のローマ帝国ではたくさんいる神々をアート作品にしていて、アンティノウスも例にもれず、神格化されたのちも多くの芸術作品として姿が残った。
皇族でもなく会議もなしに神格化された少年を、ローマは初めのうちは歓迎しなかった。だがだんだんと受け入れられていき、絶大な信仰の対象となっていったのだ。
本当に事故死?

皇帝ハドリアヌスとアンティノウスが愛し合っていたのは疑いようのないことだ。
だが、その溺死については事故当時から色々な憶測が飛び交った。
- 皇帝ハドリアヌス自身がこの事故を引き起こした説
- ハドリアヌスの命や治世が長く続くように、アンティノウスが自ら生贄となった説
「ナイル川を下る船から18歳くらいの青年が1人落ちた」というのはなんとも不自然だと古代人たちは考えたのだろう。しかもアンティノウスはそれまでも皇帝ハドリアヌスに付いて各地を旅している経験もあった。
「愛する年長者のために自ら生贄になる美少年」というのは世界各地の神話や伝説、民間伝承でよく見られるストーリーパターンだ。日本にもその手の民間伝承が多く残っている。
本当に事故だったり、自ら生贄になったりならばまだ「悲劇」でおさまりが付く。
問題は「皇帝ハドリアヌス自身が事故を引き起こした」説だ。
美少年の賞味期限

先ほど皇帝ハドリアヌスはギリシャ好きで、アンティノウスはギリシャ文化圏出身だとお話した。
ここで「ギリシャ的愛」、すなわち古代ギリシャにおける少年愛についての引用を見てみよう。
十二歳の少年の美花に、私は愉悦するが、だがそれとても、欲情をそそることにかけて、十三歳の子には、遥か及ばない。
十四歳の子の花の蜜は、それよりもさらに甘く、十五歳になったばかりの子から得られる悦楽は、なおいっそう大きい。
だが十六歳は、神々のための年齢であり、十七歳になれば、それを求めるのは、ゼウスの為したまうことで、私のすることではない。
「少年愛詩集」四番、ストラトン(2世紀)・編、吉田敦彦・訳
現代人で20歳を超えた僕からすると18歳を超えていないとこわいのだが、当時のギリシャでは年長者が十二歳頃の少年を少年の両親から託されて勉強や武芸などの教育をする文化があった。
良い年少者を見つけた年長者はその父親を説得、1対になった年長者と少年は恋愛関係になっても良いシステムだ。そして少年から成長した男性は、今度は年長者として少年を育てる。
つまり、恋愛関係が認められるのは17歳前後以下の少年と年長者の間だけで、現代のような成人同士のゲイは公には認められていなかった。

この文化がギリシャにはあったことを踏まえ、ローマ皇帝・ハドリアヌスとアンティノウスを見てみよう。
アンティノウスは彫刻を見る限りあどけなさを残しているとはいえ、18歳くらいの青年の体つきをしている。いくら美しくても美少年としての賞味期限はきていた。
他の古代ローマ人のゲイについて見る限り、青年になっても問題なく愛している。
だが皇帝ハドリアヌスはギリシャ趣味だった。同性愛についてもギリシャを踏襲していたとしたら、アンティノウスの美少年の姿を永遠にとどめるために事故を引き起こしたという説は完全には否定ができないのだ。
芸術品となったアンティノウス
美少年の彫刻に囲まれて過ごした皇帝

いずれにせよ、皇帝ハドリアヌスはアンティノウスの死を嘆いた。誰も皇帝を慰められなかったという。
神格化もともなってアンティノウスの姿は多くの彫刻作品として生み出され、皇帝ハドリアヌスも数百ものアンティノウス像を造らせた。
亡くなった18歳くらいの美しい姿をとどめたアンティノウス像を皇帝ハドリアヌスは手入れをし、服を着せ替え、まるで本人のように愛でたのだ。
古代人に有名になった美少年

ナイル川のあるエジプトの人々は、アンティノウスにエジプト神話「オシリスの従者」のイメージを抱き、こちらでも信仰の対象となった。
このようにたくさん作られたアンティノウス像は多くの人に鑑賞・信仰され、古代絶世の美少年となったのだ。
これはローマ帝国の国教がキリスト教になり、唯一神以外の神の信仰を異端とされるまで続いたのだった。
まとめ

通常は成長や老いによって「儚い」と表現される美少年だが、若くして溺死してしまったがゆえに永遠に美少年になったアンティノウス。
皇帝ハドリアヌスと愛し合っていたのだから幸せだともいえるが、僕の現代人の感覚とこれからのゲイの幸せのために「薄幸の美少年」としてアンティノウスを数えている。