
こんにちは、Miyabiだ。
西洋史やLGBTq+の歴史を見てみると「ソドミー法」というのが出てくる。
一口に言えば「自然に反する性行為を禁ずる」法なのだが、キリスト教の世界観が生まれたときにこの考えができて、近代の植民地時代に西洋国の植民先でも法律として施行されたものだ。
西洋社会においてのソドミー法は現代でも影響が大きく、明治以降からの日本も例外ではない。
「そもそも「自然に反する」って?」「同性愛者だけで異性愛者は関係ないの?」「今もソドミー法ってあるの?」と疑問が出てくるだろう。
2018年9月にインドの最高裁が同性同士の性行為を合法と判決を下したのが記憶に新しい。このように世界でじょじょにLGBTq+の人権意識が高まっている。
ではそもそも何故、同性同士の性行為が違法だったのか?LGBTq+の迫害の原因の一端を担っているソドミー法とは何か?
これをお話していこう。
目次
ソドミー法とは
法律の歴史によると

ソドミー法は、先ほども述べたように古くはキリスト教が成立してから、その世界観に合わせて生まれた性行為に関する法律群だ。「ソドムの罪」と言われるように、風紀の乱れから神が町を焼いた話が聖書に出てくる。キリスト教は「純潔」が大事にされている世界でもある。
西洋のアート作品を観ても、処女性や童貞性が重視されているのが分かる。
その中でもイギリスの法制史を見ると、イングランドのヘンリー8世が「男女を問わず肛門性交および獣姦」を犯罪としている。
ところで中学や高校での世界史の授業でも教わるように、近代のイギリスは世界中を植民地支配していた。「アヘン戦争」など、あの時代だ。
植民地にすると、元の文化や思想や法がどうであれ支配者側の国の考えが押し付けられる。これによって、もともと同性愛を禁じていなかった国にも19世紀以降ソドミー法が定着していったのだ。
「自然に反する性行為」って?

ソドミー法は「自然に反する性行為」を禁ずるわけだが、「自然に反する」とはなんとも曖昧な表現だと思った方も少なくないだろう。
時代や細かい法律によって変化はあるが、一般的に口内性交、肛門性交、獣姦、マスターベーションなど、子どもを作る目的でないものが該当するようだ。
中世ヨーロッパを舞台にした物語で、貴婦人や乙女、騎士が登場して「高潔」「純潔」を尊んで、何かが起こると「汚らわしい!」と叫ぶのを見たことがあるだろう。その世界の価値観と考えると分かりやすいかもしれない。
なので、実は異性愛者も関係のある法だったのだ。
「同性での性行為は自然界に反している」「同性愛の文化は我が国にはもともと無い」という考えがよく出てくるのもソドミー法の特徴だ。
とは言っても、西洋においてはキリスト教が政権を握る前のローマ帝国で同性婚があったこと、皇帝が同性婚をしていてパートナー男性には皇后と同等の権限があったことは分かっている。日本でも同性愛は古代からあった。「無いと主張したい人が無かったこととしている」「差別社会にしてカミングアウトできなくさせている」だけで、たいてい今も昔もどこでも異性愛・同性愛はある。
自然界に反しているというのも、動物界や植物界を見ると同性愛があるし、ジェンダーレスも珍しいことではない。僕もオスの牛同士が交尾を始めるのを目の前で見たときに、改めて「自然に反するとは何ぞや?」と考えたものだ。
現代とソドミー法
2018年、インドの事例

最初に述べたように、2018年9月にインドの最高裁が同性同士の性行為を合法と判決をした。
これが大きく報道されたのは前日談があって、そもそも近代のイギリス植民地支配によってソドミー法が現代までインドで生きていたこと、2013年に一度「同性間での性行為は違法」と判決を下してしまっていたことにも起因する。
ソドミー法はその性質からゲイ、レズビアン、バイセクシャルなどの性的指向のみならず、トランスジェンダーという性自認に関しても迫害の対象となってしまっている。
また、性行為に関する法律は傷害事件から人を守るためのものだ。性教育も大事だろう。だがお互いに確実に合意があり責任をもてる性行為を禁止したり罰したりするのは恋愛の自由を侵害してしまっている。
だから、この「合法」の判決というのはLGBTq+、それ以外の人全体にとって朗報となったのだ。
日本のソドミー法

日本では明治5年(1872年)とその翌年に出された法律によって男性同士の肛門性交が禁じられた。
これは明治になって日本が開国し、西洋文化を受け入れた影響の1つとみれる。というのも、同性愛行為は古くから日本に存在していたからだ。禁止されたのが恋愛ではなく「行為」の方というのもソドミー法の定義に同じだ。
とは言っても、数年後の明治15年(1882年)に施行された法律からはこの項目が消滅し、男性同士の肛門性交は違法ではなくなった。以降、日本法制史にソドミー法は出てこない。
だが、同時に同性愛者やトランスジェンダーは、同性・異性のパートナーから性的・肉体的・心理的な暴力を受けても、守ってくれる法律がない。
まとめ
現代ではLGBTq+が生きやすくなるように動きが見えているが、西洋からきたソドミー法的考えの影響はまだある。
また、日本では「女性差別が直ってから、それからLGBTq+差別問題」とLGBTq+に関することを先送りにしている。だが世界では大きくは「あらゆるジェンダーに関する問題」として女性も男性も、LGBTq+もまとめて議論が進んでいる。
大切なのは「自然に反する、反さない」よりも「正しい性知識」なのではないだろうか。