
僕は画家で少年画を描いている。で、美少年やLGBTq+に関する作品や歴史を研究している。
それもこれも僕に1つ、夢があるからだ。
美少年になりたい。
小学校高学年からひたすらに抱いている難しすぎる夢であり、年齢的に「少年」ではないだろう…という今現在でも継続している。
キッカケと美少年

物心ついた頃から自分の性別に違和感を持っていた。それはトランスジェンダー(僕の場合は生まれた体は女性だが自認は男性)からであり、もともと「男の子のはずなのに」「少年になりたい」とは思っていたのだ。
小学校高学年頃になると、二十面相で有名な江戸川乱歩の少年探偵団シリーズでリンゴほっぺで頭の良い美少年の描写があるのを見て「少年だけでは違う…僕には美しさが必要だ…!」と感じ始めたのだ。
「少年」だと体が男性に生まれた人全員が持っている。だが「美少年」となれば話は違う。見た目や品位や特技や、どこかに優れた高貴な特徴のある少年。これは希少価値だし、美少年になれるように頑張るぞと努力をする活力にもなる。
「美少年」でありたい理由

先ほども言ったように、僕は男性だが生まれた体は女性だった。
日本の現状では、性別を自分の認識するものに変える治療(ホルモン注射など)は、特別な認可があれば早くて15歳から、通常は18歳以上でないと受けることができない。
僕も男性化治療を始めたのは20を超えてからだ。
つまり、僕はどう頑張っても「少年時代」を過ごすことはできないのだ。地球上の半分は過ごすことのできる少年期が僕にはない。20を超えているから男性化治療が完成しても「少年」はもう無理なのだ。
僕はここに心残りがあった。
また中学時代から、性別を抜きにして、そもそもの自分の見た目にコンプレックスがあった。「う、美しくないぞ…」とガラス窓に映る自分を見て衝撃を受けるのは日常茶飯事だった。
この「性別」「見た目の美しさ」の2つのコンプレックスから、僕は「美少年」を渇望した。自分もそうなりたい。
幸い実年齢より幼く見えるアジア人なので、それで少年感はカバーできそうである。世の中には化粧や髪形や服装で見た目をどうにかできる仕組みもある。高校時代、原宿系ファッションに出会ったのをキッカケにこれらを頑張った。
美少年が画家になった瞬間

自分のこれ以上美しくなれない限界を悟ったあるとき、僕は一度この絶望感を受け入れた。それは美少年ではない自分を受け入れたことでもある。
「美しくなくてはいけない」「なのになれなくてツラい」と、ひとしきり心にあったどろどろした自分への批判を吐き出して、最後に「僕は、こんなに美少年になりたかったのか」「それで、僕はこんなにツラかったのか」と認めた。
そして、「そもそも美醜とはなんだろう?」「美少年になりたいとは言うが、そもそも僕の考える美少年ってどんななんだろう?」と、自分と切り離して美少年の定義について考え、それを作品として絵に描いた。
これが画家・Miyabi Starrの始まりだ。
自己表現を手に入れたコンプレックス持ち

生まれてしまったものは仕方がない。
性別も顔も「自分の考える自分理想像と違う…!」と思った。だが、性別は完全に自分の認識する男性像にはなれないにしてもホルモン注射などで近づけることができる。顔も限界はあれど、化粧などで補正もできれば、マスクや仮面で隠すこともできる。
一番大事なのは、こういうコンプレックスがあったことで「美しいとはなんだろう?」「醜いとはなんだろう?」と考えて、資料を集めて研究をして、絵を描いて作品として発表するまでの行動ができたということだ。
僕の場合は絵を描くことだったが、化粧を研究しまくって整形メイクをする人もいれば、整形をする人、俳優や声優などお芝居をして色んな人に変身する人、文章を描く人、などなど、なりたい自分像を昇華させる方法はたくさんある。
「自分」を表現する方法があって初めて、自分を認められる。
そして毎年、あるいは毎月、時代の変化やそのとき観た作品などによって「美少年とは?」の考えも変化していく。
自分の根本にある「美少年になりたい」という考えと、変化していく「美少年とは?」の考え方をミックスさせて僕は絵を描いていく。