僕は画家でLGBTq+だが、世間一般では画家もLGBTq+もマイノリティにカウントされる。今まで僕の周りにいた人も画家でもなくLGBTq+でも(おそらくは)ない人が多い。

「マイノリティを持っている人は生きづらい」と認識される。少数派の意見は聞こえないふりをされることが多いからだ。文化祭の出し物の話し合いで、多数決で「お化け屋敷」が決まったら、2位以下の喫茶店や占いなどは無かったことにされるのと同じだ。

でも、だからといって喫茶店や占いの出し物が無価値でつまらないかというとそうではない。別のクラスだと喫茶店や占いが1位になっているところもあるだろう。そして、やり方を工夫すればどの出し物も楽しい思い出にできる

こんな考え方をできるようになったのは、僕が持っていた1つのマイノリティの経験からだ。

昔はもう1つ大きなマイノリティを持っていた。

それは外国人だということだ。

インターナショナルスクールの外国人

「日本人」という外国人

幼少期、僕は中国に住んでいて、インターナショナルスクールに通っていた。そこには色んな国の子どもが集まっていて、肌の色、目の色、髪の色、第一言語(母語)が違うのは当たり前の世界だった。

先生は中国人、オーストラリア人、シンガポール人などが多く、学校内の共通言語は中国語と英語だった。

スクールに来たばかりの子は母語しか話せず、同じ国や地域出身の子に中国語や英語を通訳してもらうことから、自然と同じ出身でグループはできていた。僕もスクールに来たばかりの日本人の子に先生が英語や中国語で言ったことを日本語に変換して伝えた思い出がある。

6歳のあるとき事件が起こった。

スクールに韓国人の子3人が一気に転入してきたのだ。

口をきいてもらえない…でも遊びたい!

スクールにもともと韓国人がいなく、その子たちはずっと3人で固まって他のグループとは口をきこうとしなかった。それどころか、先生たちとも話そうとしなかったのだ。

「どうしたものか…」

英語圏の先生は、同じ子どもでアジア人である日本人の僕らに意思疎通をはかってほしいと言ってきたが、困っているのは僕らも先生と同じだった。僕と仲の良かった日本人の子たちは「感じ悪い」と言ってその3人と遊ぼうともしなかった。

でも、韓国人の3人、歳は僕たちと同じくらいだ。

友だちを捕まえては狂ったように走り回っていた子ども時代の僕は、この韓国人3人とどうしても仲良くなりたかった。

韓国語の「こんにちは」を知ってる?

家に帰って、なんとなしにこのことを母に話した。

「韓国から新しい子が来たんだけどね、遊んでくれない」

すると母は

「知ってる?韓国語で「こんにちは」は「アニョハセヨ」って言うんだよ」

と教えてくれたのだ。

こんにちは。

アニョハセヨ。

そうか、あの子たちは韓国語しか話せないのではないか

だから日本人の僕らはもちろん、英語や中国語を話す先生たちとも話せなかったのではないか?

たしかに話しかけても答えてくれないのはツラいけど、感じ悪い「人」というわけではないのではないか

次の日、校庭で走りつかれた僕は憩いの場である図書室にいた。

絵本を読んでいると、そこに例の韓国人3人がやって来たのだ。その子らは空いている席を探して、僕の近くに座った。

千載一遇のチャンスだ。

ドキドキしつつ、僕はパッとその子らの方に振り向き

アニョハセヨ!!!

と呼びかけた。

すると。

3人は「えっ…」と困惑したようにお互いの顔を見合わせた。それから

ア…アニョハセヨ…!

はにかみながら返してくれたのだ!

通じたのだ

外国人として外国人ばかりの世界にいてわかったこと

スクールに韓国語が通じるのはおそらくその3人くらいだったのだろう。スクールでは韓国人はマイノリティだったのだ。

そして、英語や中国語を話せたものの、日本人である僕らもマイノリティだった。

日本の学校でも、自分と同じ趣味を持っている子と巡り合うのは難しい。ある人はサッカーが好きだったり、ある人は宇宙が好きだったり、趣味は種類が多い。

「マイノリティ」というと、マジョリティの反対側、「多数派か少数派か!?」のように、2極化されることが多い。テレビなどメディアはそう煽ってくる

けどその実、最初に挙げた文化祭の出し物の例のように、マジョリティである「多数決」1位は確かに存在するものの、マイノリティは多数決の2位以下(どこかに同票もあるだろう)はたくさんの種類が存在する

サッカー好きな人が「サッカー以外はクズだ!」とかたくなになると他の趣味の人と分かり合えない。でも「サッカーが僕は大好きだけど、君は何で宇宙がそんなに大好きなの?」と相手の存在を認めて語り掛けると、新たな発見があるかもしれない。もしかしたら宇宙の特徴が自分のサッカーに影響を及ぼすかもしれない。

理解できないから、共通言語を探す。フックが多いほど、僕らは深く考えられる

結局、僕は「アニョハセヨ」以外の韓国語は話せないまま帰国をした。だが「アニョハセヨ」だけでも知れて、実際に使えて、じゃっかん6歳にしてこのような収穫があったのだ。あのとき確かに僕は韓国人3人と友達になれた。